北上山地は早池峰山を境にして南北に分かれるという。
遠野盆地 早池峰山の南になる
遠野 猿ヶ石川
遠野 鱒沢付近と北上山地の山容
早池峰山の北になると・・・
岩泉 龍泉洞の入口付近と山容
龍泉洞入口
更に北へ行くと・・・・
久慈渓流 H28大水害の跡がのこる
久慈渓流 “鏡岩”
『後期ジュラ紀から前期白亜紀には、南部北上古陸(南部北上山地)が南方から衝突して北部北上山地の付加体に乗り上げ、地層は大きく変形し、北上山地が隆起しました。地下には大量のマグマが発生して花崗岩類を形成し、地上では安山岩質の激しい火山活動が起こりました。花崗岩類は、階上岳や岩手県の宮古・遠野・千厩、秋田県の大平山などで見られます。地上で起こった激しい火山活動でできた火山岩類は種差海岸などの海岸部で見られ、著しく変質したデイサイトや流紋岩、それらの火砕岩などからなります。』(青森県立郷土館資料より)
更に北へ・・・・・
階上岳の山頂
同上 花崗閃緑岩
階上岳山頂 同上
『花崗閃緑岩は、地下の深い場所でマグマがゆっくりと冷え固まってできる岩石で、岩石を構成する鉱物の結晶が大きい。鉱物は、主に無色透明な石英、白っぽい長石、黒い黒雲母からなり、全体的にゴマシオ状に見える。花崗閃緑岩の中に灰色の石が見られることがあるが、これは捕獲岩といい、マグマが上昇する際に周囲から取り込まれた岩石である。』(青森県立郷土館資料より)
更に少し北には・・・・・
露天掘りの八戸石灰鉱山がある。
八戸石灰鉱山
同上 階上岳の一部が見えている
『後期古生代から中生代ジュラ紀にかけ、現在のアジア大陸の東縁の海溝付近には、古太平洋プレートの沈み込みにより海洋堆積物が次々とと付加していき、“付加体”と呼ばれる地層が形成されていきました。付加体の一部である石灰岩は、八戸石灰鉱山(八戸キャニオン)で見ることができます。
松館川流域には、住金鉱業株式会社が石灰石を露天掘りしているためできた巨大なすり鉢状の穴があり、地元では“八戸キャニオン”と呼ばれている。現在最深部は海面下170mで、日本で唯一の海面下を採掘している石灰石鉱山である。
石灰石は、サンゴや貝殻などが海底に堆積してできた、炭酸カルシウムが主成分の岩石。中生代に遠い南の海でできたものが運ばれてきたと考えられており、展望所には石灰石に含まれる貝化石“メガロドン”が展示されている。石灰石鉱山より階上岳に近い場所では、石灰石が花崗閃緑岩の接触によって変化した“大理石(結晶質石灰岩)”が見られる。これらのことから、石灰石は花崗閃緑岩できた時代より古い三畳紀~ジュラ紀にできたことがわかる。』(青森県立郷土館資料より)
【参考資料】
本県内にあった鍾乳洞に関わる記述を見つけたので引用する。
『現代語訳 八戸見聞録』渡辺村男 原著 木村久夫 訳・著
130年前・明治14年・1881年8月に著わされた。
原典は、八戸地方で最初の地歴史で、明治天皇に献上。
「閉伊穴・へいあな」
『八戸の東二里(8㎞)ばかりの所(現・八戸市松館)の東南に、“閉伊穴”という洞穴がある。この洞穴は昔から陸中閉伊郡宮古の鍬ケ崎まで通じていると言い伝えられていたことから、“閉伊穴”という。鍬ケ崎にも大きな洞穴があり、これを“八戸穴”と呼んでいる。この閉伊穴は、昔、蝦夷人が住んだとか、囚人を収容したとか、工藤祐経・すけつねの子犬房丸が隠れた所とか、などといわれている。長い間この洞穴に人が入ることはなかった。今より20年前、栃内吉忠が弟子たちを連れて初めて入ったが、その後は誰も入らなかった。
明治13年(1880)、私(渡辺)は中学生数名とこの洞穴を探査した。同14年(1881)5月には再びこの穴を探査した。我々はろうそくを手にして一列になって入っていった。洞穴の中は外の暑さを忘れるほど寒く、その上真っ暗であったため、短い距離を進むのもやっとであった。穴は曲がりくねっており、高くなったり低くなったりで、岩にすがってびくびくしながら進んだ。進むことおおよそ二十間(約36m)、そこから腹ばいになって上の穴に入れば、十二間(約22m)ばかりで前の洞口の近くに出た。それより進むこと数歩、腹ばいになって下の穴に入った。そして、行くことおおよそ十五間(約27m)ばかりで洞穴は広々と大きくなった。ろうそくを上げて見ると片隅に光輝くものがあり、皆びっくりした。これに近づいてみると、それは怪物ではなく、直径七~八尺(一尺約30cm)ばかりの水たまりであった。試しに石を投げ入れてみたが、かなり深いようであった。頭上には流れてきた大木のようなものがあったり、麦殻のようなものが所々の岩の隙間に詰まっていた。これらがなぜそうなっているかは知らない。
洞穴内部の岩は皆鱗形であるため、土地の人は龍が駆け抜けた跡であると言っている。この洞穴には人が手を加えたような所や自然の造形のような所がある。私はただ実地に探査したことを記録して識者に質問した。また、この洞穴がある山の尾根にも一つの洞穴があり、これを“物見の窓”という。山頂より入ると山の中腹に出る。その長さは、おおよそ十間(約18m)ほどである。
(「写本」昭12記述=閉伊穴は石灰岩を採掘するセメント会社の所有となり、ついに掘り崩されてしまい今はその付近は山の形をなしていない。こうして伝説の名所は永久に滅んでしまった。)』
「金山沢の洞窟」
八戸から南に行くこと三里半(14㎞)の所(現・階上町金山沢)に、“金山沢の洞窟”がある。・・・・・・・・・・・
この洞窟は昭和20年(1945)以降、石灰岩採掘のために掘り崩された。現在、跡地周辺は階上町の“ふる里河川公園”となっている。