陸奥のパワースポット

みちのく青森の、自然や神様など、こころ洗われ元気がでる場所を巡る。

岩肌を探るーー10ーー・・・・三陸海岸・・・・

2017-09-26 04:49:41 | 旅行

三陸海岸と言えばリアス式海岸と習った。

 riasはスペイン語で深い入り江の意。

多くの谷が、地盤の沈降または海面の上昇によって沈水してできる。

 

三陸海岸を南から覗いてみると・・・・・

南三陸では・・・

 

唐桑半島  2億9900万年~2億5100万年前に海で形成された地層とされる

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

同上

 

 

 

北三陸へ向かうと・・・

 

田野畑村の“鵜の巣断崖”

 

同上     アプローチの松林に作家 吉村 昭 の碑がある

同上

 

 

田野畑村 羅賀   1億4600万年~1億年前の火山岩(安山岩、玄武岩)

 

 

更に北へ・・・

 

北山崎   1億4600万年~1億年前の火山岩(デイサイト、流紋岩)

 

 

 

 

 

同上

 

同上

 

 

また北へ・・・・

 

黒崎  1億4600万年~1億年前の火山岩(デイサイト、流紋岩)

 

 

同上

 

 

北へ・・・

 

 

 階上はしかみ   1億4600万年~1億年前の火山岩(デイサイト、流紋岩)

 

 

北へ

 

種差海岸

 

 

種差

 

 

種差海岸  1億4600万年~1億年前の火山岩(デイサイト、流紋岩)

 

 

中須賀     1億4600万年~1億年前の火山岩(デイサイト、流紋岩)

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

葦毛崎      1億4600万年~1億年前の火山岩(デイサイト、流紋岩)

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

小舟渡

 

 

 

 

蕪島        1億4600万年~1億年前の火山岩(デイサイト、流紋岩)

 

 

同上

 

ハマギクは強靭だ・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 


岩肌を探るーー9ーー・・・・北上山地、階上岳、八戸石灰岩・・・・

2017-09-20 10:31:30 | 旅行

北上山地は早池峰山を境にして南北に分かれるという。

 

遠野盆地  早池峰山の南になる

 

 

遠野   猿ヶ石川

 

 

遠野  鱒沢付近と北上山地の山容

 

 

早池峰山の北になると・・・

 

岩泉 龍泉洞の入口付近と山容

 

 

 

龍泉洞入口

 

 

更に北へ行くと・・・・

 

久慈渓流 H28大水害の跡がのこる

 

久慈渓流 “鏡岩”

 

『後期ジュラ紀から前期白亜紀には、南部北上古陸(南部北上山地)が南方から衝突して北部北上山地の付加体に乗り上げ、地層は大きく変形し、北上山地が隆起しました。地下には大量のマグマが発生して花崗岩類を形成し、地上では安山岩質の激しい火山活動が起こりました。花崗岩類は、階上岳や岩手県の宮古・遠野・千厩、秋田県の大平山などで見られます。地上で起こった激しい火山活動でできた火山岩類は種差海岸などの海岸部で見られ、著しく変質したデイサイトや流紋岩、それらの火砕岩などからなります。』(青森県立郷土館資料より)

 

 

更に北へ・・・・・

階上岳の山頂

 

 

同上 花崗閃緑岩

 

 

階上岳山頂  同上

 

『花崗閃緑岩は、地下の深い場所でマグマがゆっくりと冷え固まってできる岩石で、岩石を構成する鉱物の結晶が大きい。鉱物は、主に無色透明な石英、白っぽい長石、黒い黒雲母からなり、全体的にゴマシオ状に見える。花崗閃緑岩の中に灰色の石が見られることがあるが、これは捕獲岩といい、マグマが上昇する際に周囲から取り込まれた岩石である。』(青森県立郷土館資料より)

 

 

更に少し北には・・・・・

露天掘りの八戸石灰鉱山がある。

八戸石灰鉱山

 

 

同上  階上岳の一部が見えている

 

 

『後期古生代から中生代ジュラ紀にかけ、現在のアジア大陸の東縁の海溝付近には、古太平洋プレートの沈み込みにより海洋堆積物が次々とと付加していき、“付加体”と呼ばれる地層が形成されていきました。付加体の一部である石灰岩は、八戸石灰鉱山(八戸キャニオン)で見ることができます。

松館川流域には、住金鉱業株式会社が石灰石を露天掘りしているためできた巨大なすり鉢状の穴があり、地元では“八戸キャニオン”と呼ばれている。現在最深部は海面下170mで、日本で唯一の海面下を採掘している石灰石鉱山である。

石灰石は、サンゴや貝殻などが海底に堆積してできた、炭酸カルシウムが主成分の岩石。中生代に遠い南の海でできたものが運ばれてきたと考えられており、展望所には石灰石に含まれる貝化石“メガロドン”が展示されている。石灰石鉱山より階上岳に近い場所では、石灰石が花崗閃緑岩の接触によって変化した“大理石(結晶質石灰岩)”が見られる。これらのことから、石灰石は花崗閃緑岩できた時代より古い三畳紀~ジュラ紀にできたことがわかる。』(青森県立郷土館資料より)

 

 

 

【参考資料】

本県内にあった鍾乳洞に関わる記述を見つけたので引用する。

 

『現代語訳 八戸見聞録』渡辺村男 原著  木村久夫 訳・著

130年前・明治14年・1881年8月に著わされた。

原典は、八戸地方で最初の地歴史で、明治天皇に献上。

 

「閉伊穴・へいあな」

『八戸の東二里(8㎞)ばかりの所(現・八戸市松館)の東南に、“閉伊穴”という洞穴がある。この洞穴は昔から陸中閉伊郡宮古の鍬ケ崎まで通じていると言い伝えられていたことから、“閉伊穴”という。鍬ケ崎にも大きな洞穴があり、これを“八戸穴”と呼んでいる。この閉伊穴は、昔、蝦夷人が住んだとか、囚人を収容したとか、工藤祐経・すけつねの子犬房丸が隠れた所とか、などといわれている。長い間この洞穴に人が入ることはなかった。今より20年前、栃内吉忠が弟子たちを連れて初めて入ったが、その後は誰も入らなかった。

明治13年(1880)、私(渡辺)は中学生数名とこの洞穴を探査した。同14年(1881)5月には再びこの穴を探査した。我々はろうそくを手にして一列になって入っていった。洞穴の中は外の暑さを忘れるほど寒く、その上真っ暗であったため、短い距離を進むのもやっとであった。穴は曲がりくねっており、高くなったり低くなったりで、岩にすがってびくびくしながら進んだ。進むことおおよそ二十間(約36m)、そこから腹ばいになって上の穴に入れば、十二間(約22m)ばかりで前の洞口の近くに出た。それより進むこと数歩、腹ばいになって下の穴に入った。そして、行くことおおよそ十五間(約27m)ばかりで洞穴は広々と大きくなった。ろうそくを上げて見ると片隅に光輝くものがあり、皆びっくりした。これに近づいてみると、それは怪物ではなく、直径七~八尺(一尺約30cm)ばかりの水たまりであった。試しに石を投げ入れてみたが、かなり深いようであった。頭上には流れてきた大木のようなものがあったり、麦殻のようなものが所々の岩の隙間に詰まっていた。これらがなぜそうなっているかは知らない。

洞穴内部の岩は皆鱗形であるため、土地の人は龍が駆け抜けた跡であると言っている。この洞穴には人が手を加えたような所や自然の造形のような所がある。私はただ実地に探査したことを記録して識者に質問した。また、この洞穴がある山の尾根にも一つの洞穴があり、これを“物見の窓”という。山頂より入ると山の中腹に出る。その長さは、おおよそ十間(約18m)ほどである。

(「写本」昭12記述=閉伊穴は石灰岩を採掘するセメント会社の所有となり、ついに掘り崩されてしまい今はその付近は山の形をなしていない。こうして伝説の名所は永久に滅んでしまった。)』

 

「金山沢の洞窟」

八戸から南に行くこと三里半(14㎞)の所(現・階上町金山沢)に、“金山沢の洞窟”がある。・・・・・・・・・・・

この洞窟は昭和20年(1945)以降、石灰岩採掘のために掘り崩された。現在、跡地周辺は階上町の“ふる里河川公園”となっている。

   


岩肌を探るーー8ーー・・・・尻屋崎、夏泊半島、権現崎、傾り石・・・・

2017-09-17 09:56:01 | 旅行

付加体、メランジュ、付加コンプレックスはプレートテクトニクスで説明されている。

海のプレートの沈み込み帯には弧状に海溝ができる。海溝は深さ8000m~10000mの急傾斜を伴う長い溝だが、対峙する両プレートに載っていた土砂の類はその底にごちゃごちゃに積もる。それらが陸側に押し付けられ張り付けられたものが付加体だと解されているようだ。

ところでこの付加体は本県内にも分布しており、中には石灰岩の採掘稼働中のところもあるが、地質図では2億年~1億4600万年前に付加された石灰岩やチャートや玄武岩などとされている。そしてその周りには新第三紀の火山岩類・グリーンタフ地域 が分布しているのだが、その時間差をどのように想えばよいのだろうか。

大陸が割れ出した時点では、それが全部が付加体相当分だと、観音開きモデルで動いたものも付加体相当分だと想えばよいのだろうか。

 

県内のいくつかの付加体を覗いてみよう・・・・・・

 

まず尻屋崎

尻屋漁港

 

 

尻屋崎  灯台付近より

 

 

尻屋漁港付近

 

 

尻屋崎  灯台付近

 

 

同上

 

同上

 

 

夏泊半島では・・・

夏泊半島の立石

 

同上

 

 

同上

 

 

同上  スカシユリが見える

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

小泊の「傾り石」では・・・

 

傾り石・かたかりいし

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

同上

 

 

小泊の権現崎では・・・

 

権現崎

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 【参考】

 シームレス地質図(産総研)で県内の付加体(前~後期ジュラ紀の付加コンプレックスの基質)を探してみると・・・・・

桑畑山、片崎山、大森、川内ダム、佐井の腰切岩、夏泊の立石、東岳、世増ダム・よまさり、階上金山沢、八戸市松館

小泊岬・権現崎、傾り石などに相当するところがある。

 

 


岩肌を探るーー7ーー・・・・津軽半島・・・・

2017-09-14 10:38:46 | 旅行

 津軽半島は、『津軽半島における新第三紀以降の地形は、中軸の津軽山地(四ツ滝山山地、大倉岳-袴腰山地、梵珠山-馬ノ神山地)、東北部の平舘山地、および南西部の屏風山砂丘地の三つの隆起帯と、それらの間の今別丘陵---蟹田丘陵---青森平野西部、津軽平野の二つの低地~丘陵地により特徴づけられる。(根本)』と概観される。

これらに関わる岩肌を覗いてみると・・・

四ツ滝山の北部の竜飛火山岩類は

竜飛崎の竜飛火山岩類

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

 

同上

 

同上   帯島

 

同上

 

同上   帯島

 

同上  竜飛漁港

 

 

七つ滝

 

 

七つ滝

 

 

七つ滝

 

 

 

 

 

 

 大泊海岸    平舘山地に属するとみられる

 

 

梵珠山-馬ノ神山山地では

 

梵珠山松倉神社の岩

 

梵珠山松倉神社

 

 

屏風山砂丘地では・・・

 

埋没林の現れている出來島海岸

 

 

 

【参考資料】

「津軽半島における新第三紀以降のテクトニクス」(2014、根本)より

『〇津軽半島における新第三紀以降の地史は、他の日本海沿岸地域と類似する。

〇前期中新世に日本海誕生に伴う火山活動によりグリーンタフが形成され、

〇中期中新世には日本海拡大に伴い浅海から深海へと沈降した。

〇鮮新世以降、東北日本弧は東西圧縮の応力場に置かれ、津軽半島では逆断層やドームなどの地質構造が発達した。その地質構造を反映して、津軽半島の地形は北東部、中軸部および南西部の三つの隆起帯と、それらの間の低地~丘陵地から構成される。』

 


岩肌を探るーー6ーー・・・・森吉山系・男鹿半島・・・・

2017-09-12 14:52:26 | 旅行

森吉山系のダム湖大平湖に流入する小又峡は、下北の薬研渓谷と似た景観を持つ。

 

小又峡

 

小又峡

 

 

小又峡 甌穴おうけつ

 

 

小又峡  「三階の滝」

 

 

男鹿半島には東北日本の基盤となる地層が揃い、その模式地と言われてきた。

 

入道崎

 

西黒沢海岸

 

 

西黒沢海岸

 

 

二の目潟と戸賀湾  これらは第四紀火山とされるマール

 

二の目潟     一の目潟には地下数十キロの深さから抱えられて噴出したカンラン石ある。

 

 

桜島

 

 

男鹿水族館付近

 

 

西海岸

 

 

潮瀬崎

 

 

館山崎  グリーンタフ   “なまはげ”に見えてくる。

 

 

生鼻崎・おいばな  

 

 

 

 

【参考資料】(宮城)

新第三紀・グリーンタフ地域の地層区分

200万年前

脇本層

北浦層

船川層

女川層

西黒沢層

台島層

門前層

2500万年前

 

男鹿半島はこれらの地層の模式地(標準・代表)とされる。