陸奥のパワースポット

みちのく青森の、自然や神様など、こころ洗われ元気がでる場所を巡る。

傾り石・片刈石 (かたかりいし)・・・・・・・津軽森林鉄道、みちのく松陰道

2014-07-24 11:16:18 | 旅行

 津軽半島の権現崎と竜飛岬の中間に「傾り石」がある。

海岸に近い沢の両側に堆積岩の崖が現われている。

岩肌は褶曲しつつ傾斜しており、「傾り石」の由来とみられる。

ここから三厩にぬける山道が「みちのく松陰道」だ。

この道をしばらくたどると、

深い沢の中に、森林鉄道の軌道跡が現れた。

 

 

 地質図によると、この沢の奥には、権現崎の突端と同様、

県内では最も古いジュラ紀(2~1.5億年前)の付加体がある。

 

 地名の由来らしい堆積岩の傾斜

 

沢の中に現われた森林軌道跡

 

 

 

 

 

津軽森林鉄道 小泊海岸林道 片刈石支線の現在のすがた。

100年近く風雪に耐えているこの木と石の構築物は、明治の人の

技術とパワーを伝える文化遺産だ。

 

小泊海岸林道は、岩場の海岸沿いに隧道や石積を築きながら

沢をスイッチバックで山奥へ入ったとされる。

七つ滝の隧道跡

 

七つ滝の石積跡

 

この日(H26・7・20)松陰道沿いに見られた草木は・・・

カラスザンショウ

カラスザンショウ  アゲハ類の食用木

 

シナノキ

 

オシダの類

 

クサギ

 

クズ

 

ナワシロイチゴ

 

 

道端に不思議な岩塊。

 

 

津軽森林鉄道は・・・・・・・

102年前、青森ヒバの輸送を目的に

青森大林区署が、明治38年~42年に建設した。

(東北本線明治24年、奥羽本線明治27年、津軽線昭和26年に開通)

レール幅は762㎜(JR1067㎜、新幹線1435㎜)で統一された。

本線開設後、津軽半島内の沢という沢に支線、分線が敷設され、

昭和35年頃には320㎞に達している。

だが、モータリゼーションの波には抗しきれず、昭和42年に

58年間の歴史に幕をおろした。

 

             青森市森林博物館の展示

 

 

 

 

 

 

 

 


八甲田山 すいれん沼・・・・・・アオモリトドマツ(オオシラビソ)・・・・・

2014-07-06 11:25:42 | 旅行

 田代平泥炭の花粉分析により、

最終氷期の八甲田山は、山麓も平地も

亜寒帯の針葉樹林に覆われていたとされる。

日本海に暖流は無く、雪は積もらず、乾燥した寒さだったという。

タイガ的森林のなかで、モミ属(アオモリトドマツ)はごく少数派だったらしい。

その後の温暖化にともない、

また日本海への対馬暖流々入と多雪地化により、

八甲田の植生も移り変わってきたといわれる。

モミ属のアオモリトドマツは3,000年前から拡大してきたようだ。

気温の上昇による消滅をまぬがれ、

「レフュージア(退避地)」で細々と暮らしていたものが、

標高の高い所に生育地を見つけ、

雪の量、風、土質、傾斜などの条件にそいながら、

このアオモリトドマツ林は分布を図ってきたのだと議論されているという。

睡蓮沼の広い木道に立ち、

遠く近くこの樹にぐるりと囲まれると、

氷河時代にワープするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

沼のほとりには、氷河期の遺残種といわれるミツガシワが花を見せていた。

 

 

                             以上2014・7・5の睡蓮沼

 

 

そのほか八甲田のアオモリトドマツのすがたは・・・・・・・

南八甲田

 

高田大岳

 

高田大岳

 

高田大岳  猿倉から

 

毛無岱

 

毛無岱

 

井戸岳 毛無岱より

 

最終氷期にレフュージアに潜んでいたのは、

アオモリトドマツなどの針葉樹ばかりでなく、

ブナなどの落葉広葉樹もまた隠れていたようである。

その場所はわかっていない。

温暖化と多雪化によって、これらの樹林は

すみわけつつ現代に至っているというのだ。