陸奥のパワースポット

みちのく青森の、自然や神様など、こころ洗われ元気がでる場所を巡る。

大銀南木・・・七戸町銀南木 いちょうのき・・・

2021-11-06 09:02:18 | 旅行

11/6 雨上がりの午後 色づいた大イチョウを仰ぐことができた

 

 

場所は

奥羽牧場の奥

 

樹のまわりを一巡りできた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解説板  法身国師 ほっしんこくし の手植えと伝えられているという

 

 

【参考】

 

 

法身塚  十和田市洞内

 

北金ヶ沢、根岸、法量、宮田の各大イチョウの今は・・・・・・・・・・


海成段丘と湖沼群・・・六ヶ所村・・・

2021-11-03 16:38:02 | 旅行

 

 

鷹架沼とフラットな地形

 

 

県立郷土館の秋の自然観察会に参加した。

西風が強く、アラレも降ってくる天気だったが

地質や植物などについて学んだ。

 

下北縦貫道六ヶ所インターで降りて、鷹架野鳥の里森林公園へむかった。

左のピークは吹越烏帽子岳

 

鷹架沼  この対岸が鷹架野鳥の里森林公園  西風強し

 

 

風波を避ける水禽の群れ

 

 

公園の地面 エゾスナゴケ

 

ノコンギク

 

 

アキグミ

 

 

ナギナタコウジュ

 

 

オオバクロモジ

 

 

チマキザサ

 

 

同  蛾の幼虫の食痕

 

 

ヨモギハムシ

 

アキアカネ ?

 

 

ブナ    寒冷低地のブナ・・・・

 

 

地質関係は

観察会資料より   猿子沢地区露頭の位置

 

 

観察した露頭

 

 

 

 

解説

● 標高25mの海成段丘である。

● 形成のしくみを単純に考えれば、波の浸食で台地が削られ、海底にフラットに堆積したものが、海面の低下または陸の隆起によって、元の陸に戻り、標高25mまで隆起したかたちだということになる。

● では、何時から隆起したものか・・・・?  

● 地層のどのレベルまでが海底であったのか・・・・?

● 貝化石は見当たらないが、礫と砂の色が海であった証拠となり、かつ、砂にはクロスラミナと呼ばれる斜め模様の波の跡が見られる。波に砂が運ばれた跡だ。浸食の勢いが強い時には礫が混じる。

● ここの地層の上部は赤茶色で、陸になってから堆積したものだ。何時から海が引いたのかを調べたいが、赤茶の層に挟まれている火山灰に注目したい。火山灰は同一時に堆積するので、時期を調査するうえで都合のよいものだから。

● そこでこの挟まれた火山灰を分析し、調べると、北海道の洞爺カルデラ形成時のものだと判明した。その時期は11万年前の噴火である。

● したがって、ここの段丘が陸化したのはそれ以前のことだと解る。

● ならば、どうして陸化したのか? 海水面が下がったのか?

● 氷河時代には、氷期と間氷期が10万年周期で繰り返されてきたという。12万年前は間氷期で現在と同じくらいの暖かさであったという。それが氷期にむかい海面が低下し、12万年前にここが陸化したとみられる。そこに洞爺カルデラの火山灰が積もったのだ。

● その上部はロームであるが粘土化している。

● そして、大きな広い段丘がつくられ、六ヶ所から小川原湖にかけて更に広い段丘となり、風も強く、高木も生育しずらい地帯となった。現在でも、畑作や牛馬の放牧地となっている。

● ここの段丘堆積は、1600万年前の鷹架層の上にできている。

● 陸化した頃の氷期には、ここには植生が無かったものとみられる。氷期のピークは2万年前であり、その後急激に温暖化が進み、植生が入り炭化している。黒い部分の下は1万年分あり、縄文時代は黒土の部分である。南部地方ではその下に十和田火山の軽石層が入る。

● 陸地の隆起と寒冷化による海面低下は、幾筋かの河川による陸の浸食が促進され谷をつくったが、それらの海への出入り口か゛塞がれて、尾駮沼、鷹架沼、市柳沼、田面木沼、小川原湖が出来たと見られる。

 

 

【参考資料】①

水野 裕

昭和42年「青森県の地質と地下資源」「地形」「海岸段丘」より

はじめに

 海岸段丘とは海岸地域において海岸線にほぼ平行して存在する階段状の段地をさし、これは土地の間歇的隆起または海面の間歇的低下によって形成されたもので、幾段もの階段状の段丘は、土地の隆起または海面の低下の回数をそのままあらわしているわけである。また段丘面の上には段丘礫層とよばれる円礫層がのっていることが多いが、これは礫浜や浸食台の上にうすく礫をのせたまま隆起して海岸段丘がつくられたためである。

 海岸段丘は日本の地形の著しい特徴をなすもので、青森県においても西海岸・津軽半島沿岸・下北半島沿岸など各所に典型的なものがみられる。

 日本のように造山帯に属している地域では地盤運動がさかんなため、海岸段丘の分布範囲が広いということはわかるが、欧米大陸のように地盤運動のそれほど激しくない地域にも海岸段丘は多くみられるのである。

 これは地盤が不動であっても、大陸氷河の消長に由来する海岸昇降の結果できたものであり、E.Suessはこのような海面の昇降を、グレーシアル・ユースタシー(Glacial eustasy)と名付けている。すなわちグレーシアル・ユースタシーは洪積世以後の氷期および間氷期という気候変化によるもので、氷期の気温低下は極地の氷床の拡大と海水面の低下の原因となり、また氷期と氷期の間の暖かい間氷期には逆に海水面の上昇という現象を起こすのである。

 現在、両極地方の氷が完全にとけた場合には、約60mも海面が上昇するといわれているが、かつての間氷期にも氷床の後退によって海面が上昇したことが考えられ、この時の海底面は当然、現在海岸段丘として残っているはずである。

 わが国では関東地方の下末吉面(模式地は横浜市北方にあり、現在標高50mの台地)がこの間氷期の海面上昇によってできた段丘面とされており、この下末吉面に対比される段丘面が後述の西津軽地方をはじめ県内各所にみられるのである。

 

【参考資料】② 「インド洋」より

 

 

 

【参考資料】③ 六ヶ所村郷土館の展示資料より

 

 

 

 

 

 

山の上に貝化石、海が上がったり下がったり、陸が隆起したり?・・・・・・

多島海、海底火山、深海、浅海、東西圧縮、氷床の盛衰・・・・・・・・・・・・