菅江真澄は 外ヶ浜を北へ向かった
その紀行文に関する資料があるのでここに引用する
【参考資料】
石上玄一郎著「菅江真澄の旅」
「舎利母石」より
『 天明八年七月十日。
奥平部の村を過ぎると茜沢(あかねざわ)という埴土(はにつち)の浜があった。小高い所に生い茂った草木の根までみな赤く、渚などは血を流したように見える。そこに泳いでいる魚もみな赤いが、とりわけアカソイという魚は色が濃いという話だ。たしかに浜の真砂も猩々石とでもいうのか、あるいは丹砂などでもあろうか、真っ赤である。近世になってここを「錦ヶ浜」と呼ぶようになったそうだが、いかにもその名にふさわしい。
鷹の岬という所を通って海沿いの道を行き、また山路にかかった。渚に直立している大石の上に隼が巣を造っていたが、空にも鷹の叫ぶのが聞こえ、ものすごいような荒磯である。
胎内くぐりとか犬くぐりとか、あるいはまた白犬くぐりなどといって、その高さはどれほどあろうか。蟇股(ひきまた)のように分かれた岩窓を通って袰月の浦で休み舎利浜に出た。
「地蔵の滝」という滝が、桧原のあたりに面白くかかっている。この滝の落ち口や、流れが海に入るあたりを掘ってみると、黒い砂にまじって露のこぼれたように舎利石がたくさん出てくる。
この沖合に、「舎利母石」といって、ものの横たわっているような形の石があるが、そのまわりには舎利石の散乱しているのが、暁天の星のように見える。この海に落ちた石が波にさらわれてこの浜に打ち寄せるのが、この舎利石なのだと浦人が言った。』
赤い塗料『ベンガラ』の原料となる石や、『錦石』に関することが記録されている。
大泊漁港より 今別・三厩の湾を望む
龍飛崎から高野崎にかけては錦石が産出されるが、
錦石についての資料をここに掲げる
「青森県の地質と地下資源」昭和42年 (50年前)
宮城一男著「地下資源」より
付加体や新第三紀の火成活動などとこれらの岩石・鉱物との関わりは ??
平舘海峡をはさんで 下北半島(焼山崎あたり)を望む
平舘海峡と下北(釜臥山など)を望む
平舘方面から 青森湾と南・北八甲田連峰ならびに東岳を望む
平舘灯台
外ヶ浜町の観爛山から陸奥湾と下北を望む。海面を渡る強風。
観爛山から 蟹田港とむつ湾フェリーターミナルを望む
蟹田港のフェリーふ頭 望楼より
後潟漁港から青森湾を望む
奥内漁港より下北を望む
奥内より八甲田を望む
奥内より東岳を望む
外ヶ浜には 松前街道をしのばせる黒松が点在する。
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