※ もう一つのNATOのこと・・
外国から見た皮肉で、日本人や日本社会は何事につけてNATOであるらしい。
No-Action,Talk-Only という意味という。
議題に出す認識はあるが、積極的には踏み出さない社会と皮肉られている。
そして今一つ、too little, too late とも・・
事に当たって、出遅れて効果が薄く、しかも対応の質量が小さいということだ。
軽口だろうけど、案外にマトをついている。
私たちの生活周辺でも何事も当初は、
周りの気配を見た挙句に、様子見が良策とされがちだ。
なかなか、先陣をきらない。横並びの安心や前例を選んでしまう。
それらの方策にも利点はあるが、昨今の激変し続ける国際環境では、
こころもとないこと夥しい。先進事例を例外と見るべからずである。
情報や技術の平準化と増幅によって、
着想と具現化が世界中で煮えたぎっている。
先進性を先取りできずとも、流れに棹差すような鈍ではいられない。
※ 出遅れた打者
ここ数年のニュースを見ていくと、日本の様々な出遅れに関する記事が多い。
先進国や他国と比べると、今の日本の出遅れ現象はつまるところ人材不足に尽きる。
人材の育成を軽視し、広範な工業力や技術力について慢心があった。
その育成に時間が必要なことを失念してきた。
次の時代進化に向けた先見的人材育成に目を向けてこなかった。
日本全体が、40年も昔のジャパン アズ ナンバーワンの成功体験に座して、
世界の急速な進化を傍観していたと思えてならない。
以来、今やまるで空振り打者である。
いつでも3割を打てるよと慢心しているが、すでに活力のない打者に似てる。
人材育成への投資をしない結果、世界の進化に対応する俊敏な反応が鈍い。
ITシステムの例を待つまでもなく、
叫ばれているのは駆使できる人材の圧倒的不足である。
といって、外国からの優秀な人材で補うことに消極的な社会なのである。
もともと、動きがゆっくりとした村社会的な国であるから、
一旦座り込んだ姿勢はなかなか立ち上がらない。
その間に周りの国々は忙しく立ち回っていた。
事態の把握と実態の改善の間に、大きなタイムラグが横たわっている。
速やかに対応できにくい社会になってしまった。
日本はすっかり人材や研究インフラに予算を使わなくなっていないか。
何が21世紀の社会のインフラなのか、見えなくなっていないか。
国力に対する先見性が希薄になっている。
実質長く政権を独走している自民党政権の大きな不作為ではないだろうか。
ましてや野党も・・。
日本社会も日本人も外の目を気にするくせに、
世界の動きを覚ることが苦手なのである。
個々には優秀な研究者や技術開発者がいても、優秀な職人技があっても、
それらを新しいシステムに増幅したり、着想する人材や組織が希薄である。
新技術について統合的に目利きできて、新展開を促す機関もないようだ。
平たく言って、優秀なディレクターは多くいるが、
大きな構想を持ったプロデューサーの出現がない社会である。
優秀な技術はあっても、それを多面的に結びつける力が弱い。
そんな弱点が日本社会にある。
勝手に言えば、アメリカのダイナミズムは、
まさにプロデューサー力と思う。
優越者は、社会をすり抜けるための道具として、
法律を巧みに使っている。
だが、気づかぬうちに他者を傷つけているものだ。
いつも自己点検が求められている。
日本は、先進国の一つである。
この社会にどっぷり浸かって、生涯を過ごしてきて思うに、
何ごとであれ、歩調を合わせることを良とする社会である。
変革の認識があっても、変化のエネルギーはなかなか発揮されない。
自ら発信、発動しないことに積極的である。
異端や異見に過ぎないと思いこむのだろう。
殊に組織のリーダーに顕著である。
先手、専攻のリスクを案ずるばかりだ。
論戦が嫌いである、下手である。
根っこはやはり、村社会の合議待ちなのである。
その傾向は底深い。先進する気概がむしろ希薄なのであろう。
外圧を受けた時にしか動き出さい。
僕にはITの才能がないようです。
”世態迷想”やや偏っているかなと思いますが、面白いですね。
宗教については厳しいですね。
基本的な考え方はその通りだと思いますが、
僕はやわなので、人間って弱いもので何かに縋りたいと思うことってあるんだろうなと思ってしまいます。そこにつけ込むのが宗教といえばそうなのですが・・・。
これからも色々書いて下さい。
楽しみにしています。
小笠原恒夫