世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

残像(8)初めての自転車

2018-03-19 | 記憶の切れ端

 

 小学校の2年か3年かはっきりしないが、子供用の自転車を母が手に入れてくれた。

敗戦直後だから、自転車を持っている子なんて滅多にいなかった。

まして父が復員しておらず、

その日暮らしに近かった頃なのに、どうして自転車を持てたのかはわからない。

新品ではなかった。タイヤは空気が入るものでなくタイヤ状のゴムの輪だった。

それでも遊び友達にも喜ばれた。

僕は自転車乗りを覚えてしばらくは得意がっていたと思うが、

他人よりいいものを持っていることがなんだか悪い気がして、

誰にでも快く貸していた。

いつしか誰に貸したままか、自分のところに帰ってこなくなった。

母も大いに怒るわけでもなく、お前は人がイイからねえ・・と言われたことは憶えている。

 

ジープの排気ガスの匂い

僕の家は国道に面していて、進駐軍のトラックやジープが燧なしに通っていた。

田舎町の子供にとって異邦人ほど珍しく思えるものはない。

国道とはいえ町中を抜けるとき、こうした車列もずいぶんスピードを落としていた。

長い車列のときもあれば、2,3台の事もある。

子供の脚でも2,30メートルはジープの後ろをついて走ることができた。

わーと言って車列の後ろに走りこむのだ。

進駐軍が珍しいし、自分たちと違う顔をもった米兵を見たいのだ。なにしろ外国人だ。

ましてや荷役馬車や木炭車が日常的な光景なんだから、ジープは格好イイ。

ぼくはジープの排気ガスの臭いが好きだった。

違う世界に誘われる気がするのである

米兵にギブミーチョコレートと言った記憶はない。

そんな言葉を知るほど情報がはいる町ではなかった。

でもチョコレートや甘いものをジープから受け取ったことは何度もある。

その味がどうだったのか、なにも覚えてない。

 

 

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