小学校の2年か3年かはっきりしないが、子供用の自転車を母が手に入れてくれた。
敗戦直後だから、自転車を持っている子なんて滅多にいなかった。
まして父が復員しておらず、
その日暮らしに近かった頃なのに、どうして自転車を持てたのかはわからない。
新品ではなかった。タイヤは空気が入るものでなくタイヤ状のゴムの輪だった。
それでも遊び友達にも喜ばれた。
僕は自転車乗りを覚えてしばらくは得意がっていたと思うが、
他人よりいいものを持っていることがなんだか悪い気がして、
誰にでも快く貸していた。
いつしか誰に貸したままか、自分のところに帰ってこなくなった。
母も大いに怒るわけでもなく、お前は人がイイからねえ・・と言われたことは憶えている。
ジープの排気ガスの匂い
僕の家は国道に面していて、進駐軍のトラックやジープが燧なしに通っていた。
田舎町の子供にとって異邦人ほど珍しく思えるものはない。
国道とはいえ町中を抜けるとき、こうした車列もずいぶんスピードを落としていた。
長い車列のときもあれば、2,3台の事もある。
子供の脚でも2,30メートルはジープの後ろをついて走ることができた。
わーと言って車列の後ろに走りこむのだ。
進駐軍が珍しいし、自分たちと違う顔をもった米兵を見たいのだ。なにしろ外国人だ。
ましてや荷役馬車や木炭車が日常的な光景なんだから、ジープは格好イイ。
ぼくはジープの排気ガスの臭いが好きだった。
違う世界に誘われる気がするのである
米兵にギブミーチョコレートと言った記憶はない。
そんな言葉を知るほど情報がはいる町ではなかった。
でもチョコレートや甘いものをジープから受け取ったことは何度もある。
その味がどうだったのか、なにも覚えてない。
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