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知識は武器である。隠し持っていよう。
だが知識は、知恵ではない。
状況の変化でその知見が錆びつかないよう、
現実の表と裏をすり合わせて考えること、
それが砥石となる。
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挑まざるを得ない大波が来れば、因習を超えたエネルギーを発揮できるが、
小波になると旧態然とした物事の運びが再び顔を出して、対処を遅滞させる。
変化を嫌がる因子が沸々と発酵を始めるのである。
日本の保守社会に潜む酵素のようなものだ。
いちばん身近で究極の幻想が宗教であろうと思う。
レトリックが達者になると、宗教者になれる。
宗教はレトリックの総本山である。
達者なレトリックと詐欺師の違いは紙一重である。
どの宗教もその黎明期と異なり、学派や分派が派生すると、
伝える言葉も儀式も過度に装飾されていく。
宗教者は言うだろう、世界中が我が宗教に帰順すればいいと。
自分たちの信仰の価値観こそ、人や社会の生きる道だと。
他者排除が原則化する。世界史がそう伝えている。
より先鋭化して、分裂をつづける。
宗教の有り様は、IT世紀にあっても、なお紛争の背景になリ続けている。
宗教それぞれは、単に勢力拡張の野望に過ぎないのではないか。
そうして、また、世界中に諍いを深めていく。
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寝込むと、視野が限られる。
病体を横たえている人に見えるのは、病室の壁だけである。
若しくは、天井だけである。
比例して、その病人の思考とか感情は、極めて狭められている。
人には視野範囲が、思考に大きく影響を与える。
場面に次の展開とか光景がなければ、心理や思考の次も出てこない。
ただ圧迫されて、感情も思考も狭小に偏っていく。
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物事の推移を大づかみにするときに、
私はサシミ(3,4,3)の法則を使うことにしてる。
肯定、好意、味方などの支持側が≒30%、
どっちつかず、無関心層が≒40%、
否定、嫌悪、対立などの不支持側が≒30%、という仮定である。
社会的な事柄も個人に関わることも、この法則を当てはめると俯瞰しやすい。
何事も、中ほどに横たわる無関心層の動きで、大きく変容するのだ。