世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

今日の自分は・・

2020-02-09 | 迷想が誘う寸言もどき

📌

誰であれ、今日の自分は昨日より新しい。

歳が古れてもそれはなお変わらない。

「自分にとっての進化かな・・」こう思えることが案外いい。

 

📌

一日を楽しく過ごすのは案外難しい。

それを続けるとなるとさらに難しい。

一日を充実させる事も難しい、没頭し続けることはさらに難しい。

だが、怠慢であり続けることはとても易しい。

 

📌

一過性の業績と、形や記録として時を超えても触れられる業績とがある。

いま華やかな事は、そのほとんどが一過性である。

今日あるものは明日にはない。

時の流れの中で感動したりする、一過性である。

その感動を創り出す人も、感動を受ける人もそれでいいのだ。

それで時は過ぎる。それでいいのだ。

 

📌

幼児の振る舞いを見ていると、小宇宙だ。

その脳細胞が、にょきにょきと神経を伸ばし、きょろきょろと動いて、

別の神経と懸命につながろうとしている。なにかを探し続けている。

そう、繰り返し繰り返し、好奇心と記憶と移り気が入れ替わっている。

 幼児の自己主張は、

「いやだ」と「○○ちゃんも(自分も)・・」の連発から始まる。

人も社会も自己主張は、すべからく拒否と利得で構成されている

 

📌

若い人たちの躍動は素晴らしい。

 

📌

動物は時を知らないだろう。ただただ今を生きる。

人は、時の経過を数字で自覚する。

10年ごとに見直せれば、人生の不足に気づくはずだ。

だが100年生きても、きっと知らないことばかりだ。

 

📌

自分の足りないところを知って焦るのが、凡なるゆえんか。

損得を気にしてしまう人生もある。

脱皮し続ける人生もある。

はっきりと目標を立てるか、背中を押してくれる誰かがあって、向上心は増幅する。

一本道のようでもあり、迷路の旅でもある。

たとえ幅広い活動の人生であっても、それはやはり消滅への一本道に変わりはない。

 

📌

80の日々は、おろおろ旅のよう。

病に揺すられ、感傷に揺すられ、悔悟に揺すられて、

それでも明日はまた何かに出会える、そんな思い、

なるほど生涯は短い、物足りない。

そう、来る日も来る日も、何か宿題を忘れているような、

もやっとした気分に追いかけられている。

 

📌

自分の感じるところを伝える言葉を探すのは難しい。

 存在する言葉が、人の感情の機微を表し得るとは言えない。

 巧みに言葉を絡めて心情の近似値を伝えるだけである。

 詩がそれを救う。

詩は言葉の閉塞からなんとか脱出しようという試みである。

 

📌

 人生って何だ、自問できても自答できない。

たった一回だけ、誰もが知っている冷酷な人生の理を、

熟年期も疾うに去った晩年のある日、沁沁と感じる。

悟りか未練か。悟りなんかあるものか。

深傷を逆撫でするような痛みばかり。そうでない人は達人である。

若さはそんなことに知らんぷりしてばかりだった。

自分の時間をどう使うか、

その大事さにやっぱり気がつかないものだ。

 

📌

地べたばかりを見てきたが、ちかごろよく空を見るようになった。

生きる時間が短くなってきたせいだ。

そして、誠に素朴な疑問ばかりを抱くようになっている。

宇宙って何だろう。

誰も答えてくれなくていい、

ほんとの事は誰にも分かってないんだから。

 

宇宙には一切の愛がない。

 

 

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