日々のパソコン案内板
【Excel関数】 No.1(A~I) No.2(J~S) No.3(T~Y)
【Excelの小技】 【HTMLタグ&小技】
【PDFの簡単セキュリティ】
【複数フォルダーを一括作成するんならExcelが超便利だよ!!】
【アップデートが終わらない!? Windowsの修復ツールを使ってみる方法】
【削除してしまったファイルやデータを復元する方法ー其の一(以前のバージョン)】
【削除ファイルやデータを復元する方法ー其の二(ファイル履歴)】
【Excel振替伝票の借方に入力したら貸方に対比する科目を自動記入】
【手書きで書くように分数表記する方法】
【Web上のリンクさせてある文字列を選択する方法】
【Excel2010以降は条件付き書式設定での文字色にも対応!】
【Windows10のWindows PowerShellでシステムスキャンの手順】
今は亡き、伯母夫婦は長年、何人もの子供の里親として暮らしていました・・・
里親を始めたきっかけになったのは、
我が娘に対する愛情のもつれ・・・そして、断絶・・・があったと聞いていましたが、
今は確かめるすべがありません・・・
伯父が先に亡くなり・・・何年かして伯母が亡くなりました。
里子として最後の男の子(コウジ)のことは今でも覚えています・・・
自損事故の為、片目を失ったコウジが京都の病院へ来ることとなった時、
伯母から電話があり「一晩泊めてやってほしい」・・・と
そのコウジと夜話をしていた時、彼は「僕の身内は貴方達だけです」と・・・
彼には、もちろん本当の母親がいたのは聞いていました・・・が、
ある時、伯母が「コウジ、お母さんのとこへ帰ってええんよ」と言ったことがあるそうですが、
彼は、「ここにおいてほしい」と懇願したと聞いてました・・・
その彼が、会ったのが初めてと言っていいくらいの私に「僕の身内」との気持ちをもっていたことに、
驚きと同時に、伯母に対する並々ならぬ気持ちを持っていること知りました。
その伯母も亡くなり・・・その後の彼の消息は解りませんが、懸命に生きていることと思っております。
今朝は、家族の意味についての記事を紹介してみようと思います。
~以下、9月25日読売新聞朝刊より抜粋~
*恥じることない
会わせる顔がなかったものの、養父母の家に戻ると、何事もなかったように「おかえり」と迎えてくれました。「心にぽっかりと開いた穴を埋めてくれたのは、2人の愛情でした」。養父母にワイシャツや花束など、ささやかながらも心を込めた贈り物を渡せるようになったのは、成人してからのことだそうです。
転機となる出会いもありました。同い年の男性と交際を始めたのです。ただ、境遇を伝えると嫌われるのではないかと心配で、切り出せずにいたそうです。背中を押してくれたのは「恥じることなんてない。堂々としていなさい」という養母の言葉。男性に打ち明けると「僕は別に、親御さんや生い立ちと結ばれるつもりはないんや」と、全く気にしていませんでした。
「養母と出会えたから今の私がある」。恵美さんは男性との婚約を機に、養母に「私の本当のお母さんになって下さい」と養子縁組を申し出ました。腫れて親子となり、男性と結婚したのは7年前。子宝にも恵まれました。甘えたい盛りの息子に幼い頃の自分を重ね、常に優しく向き合ってくれた母の忍耐強さに気付いたそうです。
*家族の意味とは
敬愛する母に倣い、取り組み始めたこともあります。3年前に里親登録をしたのです。「里子だった私に、里親が務まるのか」という不安を解きほぐしてくれたのも、母でした。「私が里親としての経験をなんぼ積んでも、里子ちゃんの気持ちはわからへん。でも、あんたにはわかるはず」。その言葉を胸に「一人でも多くの子が、ここで育って幸せだったと思えるように頑張りたい」と誓っています。
現在は母と同居し、実施と、思春期を迎えた里子の少女の世話に追われる毎日。少女は先日、むしゃくしゃして学校で壁をたたき、手をけがして帰ってきました。「はがゆい思いを、そんなやり方でしか表せない状態がよくわかりました」と恵美さん。叱られないかとうつむく少女が、いとおしかったそうです。誰も傷つけんかったのは偉かったな。でも、痛かったやろ?」。そう笑いかけてあげました。
羨み、渇望した親子の血縁。でも、血のつながりの有無だけで、幸せかどうかが決まるわけではない――。恵美さんは、そう学んだと話しておられます。「いざという時に帰ることができ、頼れる人がいる所。それが家庭ではないでしょうか」
長く、険しい道のりの先に幸せを見いだし、家族の絆を結んだ恵美さん。次は自分が子どもたちの「ふるさと」になろうと歩み出す姿が、まぶしく映りました。
里親を始めたきっかけになったのは、
我が娘に対する愛情のもつれ・・・そして、断絶・・・があったと聞いていましたが、
今は確かめるすべがありません・・・
伯父が先に亡くなり・・・何年かして伯母が亡くなりました。
里子として最後の男の子(コウジ)のことは今でも覚えています・・・
自損事故の為、片目を失ったコウジが京都の病院へ来ることとなった時、
伯母から電話があり「一晩泊めてやってほしい」・・・と
そのコウジと夜話をしていた時、彼は「僕の身内は貴方達だけです」と・・・
彼には、もちろん本当の母親がいたのは聞いていました・・・が、
ある時、伯母が「コウジ、お母さんのとこへ帰ってええんよ」と言ったことがあるそうですが、
彼は、「ここにおいてほしい」と懇願したと聞いてました・・・
その彼が、会ったのが初めてと言っていいくらいの私に「僕の身内」との気持ちをもっていたことに、
驚きと同時に、伯母に対する並々ならぬ気持ちを持っていること知りました。
その伯母も亡くなり・・・その後の彼の消息は解りませんが、懸命に生きていることと思っております。
今朝は、家族の意味についての記事を紹介してみようと思います。
~以下、9月25日読売新聞朝刊より抜粋~
養母と出会えたから今の私がある
血縁より絆
今度は里親に
産院で実母に置き去りにされ、5歳から養育里親に育てられた30歳代の恵美さん(仮名)の話を続けます。両親のいない境遇に苦しみ、養父母からも離れ、寮から専修学校に通っていた恵美さんに、亡くなった実父の借金返済を求める通知が届いたのです。金額は数百万円。学生の身分ではとても支払えない大金でした。寄る辺のない恵美さんがすがれるのは、どんなに迷惑をかけても見守り、専修学校まで通わせてくれた養親だけでした。駆けつけた養母の助言で、裁判所に何度も足を運ぶなどして、支払いを免れることが出来ました。*恥じることない
会わせる顔がなかったものの、養父母の家に戻ると、何事もなかったように「おかえり」と迎えてくれました。「心にぽっかりと開いた穴を埋めてくれたのは、2人の愛情でした」。養父母にワイシャツや花束など、ささやかながらも心を込めた贈り物を渡せるようになったのは、成人してからのことだそうです。
転機となる出会いもありました。同い年の男性と交際を始めたのです。ただ、境遇を伝えると嫌われるのではないかと心配で、切り出せずにいたそうです。背中を押してくれたのは「恥じることなんてない。堂々としていなさい」という養母の言葉。男性に打ち明けると「僕は別に、親御さんや生い立ちと結ばれるつもりはないんや」と、全く気にしていませんでした。
「養母と出会えたから今の私がある」。恵美さんは男性との婚約を機に、養母に「私の本当のお母さんになって下さい」と養子縁組を申し出ました。腫れて親子となり、男性と結婚したのは7年前。子宝にも恵まれました。甘えたい盛りの息子に幼い頃の自分を重ね、常に優しく向き合ってくれた母の忍耐強さに気付いたそうです。
*家族の意味とは
敬愛する母に倣い、取り組み始めたこともあります。3年前に里親登録をしたのです。「里子だった私に、里親が務まるのか」という不安を解きほぐしてくれたのも、母でした。「私が里親としての経験をなんぼ積んでも、里子ちゃんの気持ちはわからへん。でも、あんたにはわかるはず」。その言葉を胸に「一人でも多くの子が、ここで育って幸せだったと思えるように頑張りたい」と誓っています。
現在は母と同居し、実施と、思春期を迎えた里子の少女の世話に追われる毎日。少女は先日、むしゃくしゃして学校で壁をたたき、手をけがして帰ってきました。「はがゆい思いを、そんなやり方でしか表せない状態がよくわかりました」と恵美さん。叱られないかとうつむく少女が、いとおしかったそうです。誰も傷つけんかったのは偉かったな。でも、痛かったやろ?」。そう笑いかけてあげました。
羨み、渇望した親子の血縁。でも、血のつながりの有無だけで、幸せかどうかが決まるわけではない――。恵美さんは、そう学んだと話しておられます。「いざという時に帰ることができ、頼れる人がいる所。それが家庭ではないでしょうか」
長く、険しい道のりの先に幸せを見いだし、家族の絆を結んだ恵美さん。次は自分が子どもたちの「ふるさと」になろうと歩み出す姿が、まぶしく映りました。
(辻阪光平)