石原延啓 ブログ

seeking deer man

nobuhiro ishihara blog 

太平記

2009-06-24 15:45:04 | Weblog



昨晩吉川英治の「私本太平記」を読み終えた。
昨年冬NY在住の頃、ギリシア人の友人に保元・平治の乱について聞かれてきちんと答えられなかったのが悔しくて41st.のbook off(があるんです!)で$1払い「新平家物語」を購入して地下鉄通勤中に読んでいた。意外に面白かったので帰国後も11巻最後まで読み通した。今回の「私本太平記」もたまたま大森のbook offで見つけてそのまま読み通した次第。同じ作者だが、読み物としての出来は「新平家物語」の方が上であったと思う。しかし個人的に思うところはこちらの方が多かった。
なぜだろう?
私は茶道、華道、能などなど室町時代に今日の日本文化の土台が確立したのではないかと思っており、自分が作品を通して表現したいと思っている世界観も根底でここらあたりと密接に繋がっている。
敬愛する歴史学者の網野善彦の著作もまたここらあたりを多く扱っている。政権の移ろいでなく民衆の力の変遷を重視する網野史観によれば、この時代ほど日本人が大人数で日本中を大移動したことはないという。また後醍醐天皇という魔王のような傑出した存在が日本古来の境界を彷徨う階層の人々を束ねて戦い、農本主義から台頭してきた武士という新しい階層に破れ去ることでその後の日本のヒエラルキーの土台を方向づけたとも言う。
太平記はいわゆる鎌倉時代末期から建武の新政を経て南北朝時代の終焉までを描いた物語だが、私欲にかられた裏切りだらけでとにかく悲惨だ。(忠臣楠木正成の周辺のみ美しくは描かれていたが、後半の足利尊氏、直義兄弟の骨肉の争い辺りになると著者自身までがへきへきしているのが良く分かって面白い。)
私たち、あるいは世界の人たちから見た日本人の印象は、規律を重んじ組織に殉ずるようなキチンとした人々といった感じではなかろうか。しかし、実はそのような日本人像は江戸時代に以降に形成されたもので、太平記の頃よりあとに続く戦国時代までの日本人というのは全く異なった世界観を生きていたのではなかろうか。
そのような時代を背景にお茶や生け花、能など世界に誇る日本文化の原型が作られたのは大変興味深いところだ。

(ハッキリ言って一般的にみれば「私本太平記」は分かりづらい部分が多くてあまり面白くないと思う。時代背景は本当に興味がひかれるのだが。昔NHK大河ドラマで「太平記」をやっていたが、前半はこの時代の異様な雰囲気が醸し出されていて良かったが、物語がより複雑になる後半になると演出が状況の説明に追われてさっぱり面白くなくなってしまった。原作の「私本太平記」も同じ。
この時代の歴史小説で最高なのは山田風太郎の「婆娑羅」でしょう!まったくのフィクションだけれど、婆娑羅大名・佐々木道誉を主人公に太平記の登場人物たちが異種異様に大変面白く描かれています。超お勧めの一冊です。)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿