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旧城辺市庁舎にて

2013-04-20 06:47:20 | 宮古島にて

 昨日(4月19日)地質試料を観察する目的で旧城辺市庁舎に行きました。

 

 城辺市庁舎は現在、”宮古島市城辺支所”として教育委員会が置かれています。 以前、ブログで紹介しましたが、入り口の門には”シーサー像”が行かれている比較的きれいな建物です。 しかし、別の場所にあるこの旧庁舎は・・・・・・地質試料以外何もありません。 何故なら、耐震基準を満たしていない建物で、地震が起きたら倒壊しても不思議でない(本来なら立入禁止の)建物です。

 地質試料も量が多いために置く場所がないためしょうがなく間借り状態。 でも、この旧庁舎は本年度で解体予定ですので、地質試料も引っ越し予定です。 ちなみに、私が初めて宮古島に仕事で来て、城辺町役場を訪ねた時は、この建物でした。 当時は役場前がメインストリートで、小学校・農協スーパーなど、結構ごちゃごちゃしたイメージがありましたが、今は小学校以外なく、こざっぱりとした感じになっています。

 

 旧庁舎門の右側に”顕彰碑”があります。

 

 手前の碑文に書かれていますが、明治期まで続いていた”人頭税”撤廃に人力を尽くした郷土の名士をたたえてたてられた物です。 

 

 ”人頭税は過酷な重税”と書かれています。 でも、郷土史研究家によれば当初は必ずしも過酷な税ではなかったそうです。 人頭税は、宮古・八重山に毎年ほぼ同額の税を納付させるシステムでしたので、干ばつなどによる影響で石高が上下しても一定額を取られたのです。 そして、悲劇は”明和の大津波”で先島地方の人口が半分近くになっても、毎年ほぼ同額を徴収されたこと。 ”人に租税ではなく地域に租税”(支配者である琉球王朝にとって、毎年の税収が計算できる)が人口急変による悲劇をもたらしたのです。 これを撤廃するまで(他地方と同様の徴収システムになった)に150年近くかかったのです。 

 津波後に本当の悲劇が始まったと言っても過言でないでしょう。 これは、今起きている東日本大震災の本当の悲劇がいつまで続くのかという疑問、生活空間の変更(住む場所の根本的変更)等日本人の遺伝子として残っている”慣習”の改革など、歴史・社会観変革の必要性を投げかけている歴史的な証明なのかもしれません。