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紅花について、紅花釉の器について。

2015-07-12 | 紅花釉/釉薬
白鷹紅花まつり

ありがとうございました。
大抵1日は雨になる「白鷹紅花まつり」なのに、好天に恵まれた2日間でした。

というより
「暑かった~」

(写真は好評の、鮎塩焼き箸置き)


 山形県内の3カ所で紅花祭りが開催されておりましたが、
なぜ山形県で、紅花が栽培されたのでしょうか?

諸説ある中で、私が信じているのは、
ここ地元、米沢藩の戦国武将 愛のカブトで知られる直江兼続が、移封の際に新潟から持ち込んだという説です。青麻もそうです。
(写真は、私が制作する愛の兜、陶器です)

 気候・土壌が栽培に適していたということもありますが、
他の地域でも生産されてもおり、それだけではなさそうです。

 むしろ、最上川の舟運で山形と上方、京都や大阪が深く結びつき、紅花商人たちにより、産地の拡大に繋がったと考えたほうがいいかもしれません。

工房から車で5分ほどの、最上川にかかる黒滝橋。
かつてここには滝があり、舟を通すために、上方商人が17000両の私財を投じて開削し、そして独占的に商いを行ないました。
1両は、今の10~12万円くらいなので20億円になります。
渇水期にも舟運できるよう岩盤を削り舟道も作られたのです。(川の中央)




 紅花商人たちは、山形から紅餅を京へ出荷し、京からの帰り荷として日用品を持ち帰り、行きで儲かり、帰りでも儲かるとのことで、この商売は「ノコギリ商売」と呼ばれたということです。

江戸時代には、「紅一匁(もんめ)金一匁」と言われ、同じ重量の金と交換できるほど高価なものであったため、紅はごく一部の裕福な人々しか使用できませんでした。
(下の写真は、白鷹町の小松織物さんの紅花染めの着物)


これは、私が作った紅餅です。自分で育てた紅花ですよ。

この紅餅、深山和紙などの和紙で梱包されて、
最上川は小型の、小鵜飼舟やヒラタ舟で運び、酒田からは大型の北前船で日本海を西廻り航路で運ばれたのです。




そして下の写真は酒田に入港した、復元された北前船と私です。
船の内部まで入れて感動しました。帰り荷に石灯篭などもあったそうで、バランスのとれるよう船底に積んだよう。
鎖国中なので、海外まで行けないように、帆は一枚と決められていました。



これは、私が制作した北前船の陶箱です。
紅花釉を強還元焼成して出した緑色です。


 現在でも、最上川流域の市町村には、紅花商人たちによって京から持ち帰られた雛人形が残っております。
先日、天皇皇后両陛下が訪れた河北町谷地の雛祭りは有名です。




私が毎年出店している、宮城県の村田「蔵の陶器市」の蔵は、紅花商人の蔵です。仙南地方で栽培された紅花は、なんと笹谷峠を越えて、山形と同じルートで運んでおりました。
そのため、村田町でも、雛祭りを大々的に開催しております。



そして、驚愕なのが最上川の帰り路。
舟が川を遡上する方法です。

どうしていたと思いますか?

それが、人力!なんですよ。
ヒラタ舟にロープを付けて、岸から人力で引っ張っていたのです。
各部落に、人夫がいてリレーして運んでおりました。


 明治になると中国からの輸入が盛んになり、また化学染料が普及したことにより、紅花生産は大きな打撃をうけ、急速に衰退し、明治10年頃には殆ど壊滅したと言われています。


山形県では1982年に紅花を「県の花」と制定し、観光振興のため1997年まで「紅花の山形路」と銘打った観光誘客キャンペーンを行ないました。
インパクトがあり記憶に残っております。今のDCなんてもんじゃないですね。



この頃、「紅花の山形路」といっても名ばかりで紅花畑はほとんど見ることができなかったそうです。
このギャップに違和感を覚えた人物がおりました。
その頃、Uターンして白鷹町に帰って来られた若き日の、「紅花の館」オーナーの今野さんです。
(たぶんフルネームでも問題ない)

彼無くして、今日の山形県内3カ所の紅花祭りなど、なかったと言っても過言では無いのです。

そして、私に紅花灰の釉薬を作ることを勧めてくださったのも、今野さんでありました。
今野さんの紅花畑からの紅花と、既に燃やした灰を頂いたと覚えております。

プラスチックの桶に、「2006年紅花」と油性マジックの文字があるのが一番古い釉なので、2005年頃にはその動きをしていたと思われます。
10年前なんですね。

ただ、私の師の梅村先生、そしてたぶん山辺焼のかたが焼かれた紅花釉の焼物が既にあったのですが、乳白濁した色をしております。
私の紅花釉は黄色。
そして、スタジオジブリ「思いでぽろぽろ」の舞台、山形市の高瀬地区にある「高瀬焼」さんの紅花釉も黄色です。(下の写真)


これは、配合割合の違いなのです。
白濁する紅花釉は、紅花灰の割合は30%くらい、他に長石や土灰を調合します。
いろんな原料を使用することで、安定した釉薬になり、失敗も少なくなります。

安定とは、温度にあまり影響されず同じ色が出て、釉薬が溶け(焼け)なかったり、溶けすぎて流れてしまったりが無い事です。

私の紅花釉の作品の器は、土と紅花灰だけです。一般的な陶芸の常識から離れた焼物なんです。
そのため、不安定で扱いづらいですが、紅花灰の特徴がより出るといえます。

黒色のは、新作の「黒紅花釉」です。



花摘みが終わる盛夏の8月、紅花を刈り集め、燃やして灰をつくります。大量の紅花でもほんの少しの灰しかとれません。
腕が、紅花のトゲで赤くミミズ腫れになりなから、そして熱中症の危うさの中での作業が、これから始まります。

(写真は、昨年の鮎茶屋の紅花畑)





陶芸体験、陶芸教室の詳細は、
こちらHPから。
http://www.dango-miyama.sakura.ne.jp

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TEL090-2955-1939
深山工房つち団子 金田利之

◯深山焼の特注承ります。お祝い結婚式などの引出物をオーダーメイドで制作いたします。打ち合わせて色形の決定後、焼き上がりまでは、3ヶ月ほど。

◯深山焼をもっと深く知るには
「仕事旅行」をご検索してみて下さい。
「里山で陶芸家になる旅」です。


◎伐採した木、お引き受けします。
・深山工房まで運搬願います。
・赤松が希望。
・広葉樹OK。杉はNG。
枝先や葉はいりません。直径5cm以上、腕の太さくらいまで。









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