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ソニーはなぜ「投機的」の烙印を押されたのか イノヴェーションを忘れたモノづくりの末路

2014-02-11 | 経営・人財・起業

そしてもう一つ。本日は朝より、Yahoo!ニュース(個人)においても最新記事を掲載しております。

題して「ソニーはなぜ『投機的』の烙印を押されたのか」。
我が国を代表するモノづくり系企業である「ソニー」がなぜ凋落したのかについて、分析しています。

ソニーの低迷は、正に我が国そのものの低迷を象徴しています。
果たしてそこから「脱出口」はあるのでしょうか??

是非、ご覧下さい!

http://bylines.news.yahoo.co.jp/haradatakeo/20140210-00032483/

 

https://www.facebook.com/iisia.jp/posts/10202815285846267?stream_ref=10


 
2014年2月10日 8時0分

冬空に聳え立つ富士山。同じく偉大な存在だった日本のモノづくりは復活するのか?

「投機的」の烙印を押されたソニー

先月27日、米国の格付け会社であるムーディーズはソニーの長期債務格付けを21段階中11番目である「Ba1」にまで格下げすることを発表した。この「Ba1」は同社の基準によると「投機的(speculative)」に該当するため、「いよいよソニーが落城するのか」と大きな話題を呼んだ。

私には”師匠”が何人かいる。その内の一人であり、我が国におけるエグゼクティヴ・コーチングの第一人者である藤井義彦氏の講義が昨日(8日)、東京都内で行われた。一般社団法人グローバル・リーダー・コーチング協会(GLC)の主催によるものであり、私も定例メンバーの一員として参加したこの講義の中で話題になったのが、正に「ソニーの凋落」だった。講師と参加者たちとの間では我が国のビジネスパーソンであれば誰しもが気を揉んでいるこの問題に関して活発な意見交換が行われたが、その中でこんな声が飛び出してきたのが印象的だった。

「ソニーの凋落については、その原因を作ったとされる当時の経営者(CEO)が云々されることがしばしばあります。しかし、彼は大変なアイデア・マンであり、ロボット犬AIBOを連れて米国行脚をしたり、あるいはユビキタス社会をイメージしたビジネスを進めたりした点は評価されて然るべきなのではないでしょうか」

「綜合文化人」であるのと同時に経営者の端くれでもある私としては、「経営者たるもの、清濁併せ呑む勇気が無ければダメだ」ということを充分知っているつもりだ。だが、それでもなお、この「ソニー凋落の原因を作ったとされる当時の経営者(CEO)」について耳にする度に、自らの直接の原因に基づいてふといくつかのことを思い出さざるを得ないのである。

私のところに駆け込んで来たソニー技術陣

あれは2008年のことだった。当時、私の研究所は社会人向けの”情報リテラシー”セミナーを無償で開催していた。「一人でも多くの日本人に”情報リテラシー”を」という創立以来の強い想いから行っていたセミナーだったが、そこにソニーの技術陣の一翼を担っていた人物が参加し、席上で私にこんなことを言ってきたのである。

「知っていますか、原田さん??表沙汰には未だなっていませんが、今、ソニーの社内では大変なことになっています。業績が厳しいからといって研究者から順番に切って落としているのです。まるで役に立たない固定費扱いです。席を奪われた研究者たちは特に韓国の財閥系メーカーに再就職していっています。このままでは技術流出が加速するのが目に見えています。私と有志の者たちはこうした現状を何とか食い止め、”私たちのソニー”を取り戻したいと考えています。是非、力を貸して下さい」

また、同社の人財育成担当者からは同じ場でこんなことも言われた。

「原田さんが広めようとされている”情報リテラシー”、すなわち国際的な資金循環としてのグローバル・マクロをインターネット上の公開情報を日々読み解く中で『これから何をすべきなのか』を自分自身で考える能力をソニーの社員たちに身に付けさせたいのです。しかもできれば誰もが参加出来るサロンのようなものが良いと思います。アイデアは無いでしょうか」

ソニーでは2005年、米国人ジャーナリスト兼プロデューサーとして知られるハワード・ストリンガー氏が取締役兼代表執行役会長兼最高経営責任者(CEO)に就任した。いわゆる「ストリンガー体制」である。既に業績が悪化していたソニーの救世主として、我が国では極めて珍しく「外国人(米国人)」がトップに据えられたわけであるが、同氏がCEOとして真っ先にとりかかったのが、私の研究所を「駆け込み寺」としてやって来た方々の言葉によると「いつ実になるか分からない研究費という固定費を積み上げるだけが仕事とみなされた研究職」の大量リストラだったというわけだったのだ。

誤解無きよう申し上げたいのだが、こうした措置は経営者として「教科書的」には全くもって正しい。金融機関からの借り入れの際に見られる最大の指標は経常利益であり、それを押し上げる典型的な手段の一つが固定費の徹底した削減だからだ。「ストリンガー体制」もこのことを迅速に進めたに過ぎない。

本当に「全ては『ストリンガー体制』のせい」だったのか?

だが、当時まだ残存していた生粋の「ソニー人」たちはこうしたコスト・カットに大変な不信感を抱いたのである。それもそのはず、かつてのソニーにおいては技術開発のためであれば青天井で予算を割くというのが企業風土だったからだ。かつてソニーの宮城にある生産・開発拠点において世界最高水準の磁気テープ開発の先陣を切られ、現在では東北を代表する経済団体で「改革派」の急先鋒となっている人物が私にこう語ってくれたことがある。

「ソニーがダメになったのは『ストリンガー体制』になってからだと言う人がいますが、それは間違いです。”あの人”が執行責任を負うようになって財務をコントロールし始めた途端に、それまで青天井の予算で自由な研究開発をすることの出来た技術陣にNOが突きつけられるようになってからです。つまり、それまでは『どんなにカネを使っても、最後に爆発的なヒットとなる製品を生み出せば良い』というルールだったのが、そこからは『開発のためとはいっても経費を極限まで抑えた者が出世する』というルールにいきなり変わったのです。その結果、ソニーは目新しいものを産まなくなってしまった」

ここでいう”あの人”こそが冒頭で紹介した人物なわけだが、それはともかくとして、この様な社内ルールの大幅な変更で「モノづくりの王様・ソニー」は一気に「裸の王様・ソニー」になってしまったのである。「製造業であれ、何であれ、企業は最後に投資家となる」というテーゼが米国の経営学者たちから大声で叫ばれた時期がつい最近まで続いていたが、この”あの人”がそうしたテーゼを無邪気に信じていたかどうか、私は未だ確認していない(しかし現在は自ら「投資家」になっていることを考えれば、信じていた可能性は高い)。だが後に残されたソニー人士たちは現在、ついに事実上「金融とエンタメだけの抜け殻」になってしまった自社を見て、茫然としているに違いないのである。

実は「モノづくりへの回帰」を模索していた平井体制

もっとも現在の同社における「平井体制」のために弁護するならば、一言申し添えておかなければならない。2011年3月11日に我が国を襲った東日本大震災の後、ソニーは宮城県・多賀城にある生産拠点を宮城県側に対して期限付きで「復興のための産業振興のため」に一部無償貸与している(「みやぎ復興パーク」)。ところが昨秋、こんな連絡がソニー側から突然、入ってきたというのだ。

「無償貸与している施設の更にもう一部を返してもらえないだろうか。経営方針が変わり、モノづくりに力を入れることになりました」

言われた側は大いに困惑したようだが、私はその話を耳にして正直、安心するのと同時に一抹の不安を感じざるを得なかった。「モノづくり」という原点へと「平井体制」が戻るのは歓迎すべきことだ。しかし、一度行った善意での約束を一部反故にしてまでそうするということは、同社がかなり追い詰められていることを如実に物語っているように感じられたからである。そしてその不安は今や現実になってしまった。

昨日行われたGLCの講義には、我が国の広告代理業を代表するリーダーの方も講師として出席していた。ソニーについてその方がこんな風に語られたことが忘れられない。

「VAIOは売った、テレビはどうなるか分からない、そして残ってキャッシュ(現金)を生み出しているのは金融とエンターテイメント。数字合わせという意味では良いのでしょうが、ソニーと顧客とを結ぶ感情・情緒的なつながりとしての『ブランド』という観点から見た時、果たして本当にこれが正しい経営方針なのでしょうか。PRマンとしての立場からは、大いに疑問だと言わざるを得ません」

「ソニー凋落」こそ日米経済戦争第2幕の始まりだ

我が国における「平成バブル」を代表するモノづくり企業の一つであったソニーの創業者・盛田昭夫は第二次世界大戦中、旧日本海軍で技術中尉として研究開発に勤しんでいた。後に共同創業者となった井深大と出会ったのも、「熱線誘導兵器」を開発している最中であったことが知られている。そしてこの様に旧日本軍による兵器開発の現場で培われた人財と技術が、敗戦後の我が国における高度経済成長と「平成バブル」にまで至る繁栄を生み出したわけであるが、これが決して歴史の偶然などではないことをご存じだろうか。かつて小著「世界通貨戦争後の支配者たち」の中で詳しく触れたことがあるのだが、敗戦間際に旧日本軍を統率する地位にあった人物がこんな命令を出していたのである。

「この戦争に日本は負けるが、敗戦後に今度は経済戦争が始まる。日本軍の技術陣たちを民間企業へと配置し、新たに始まる米国との戦いに備えよ」

そして若き技術士官たちは野に下り、その後、見事に技術大国ニッポンを創り上げたのである。イノヴェーション(技術革新)の力で少なくとも「平成バブル」が崩壊するまでの間、我が国は対米経済戦争に勝っていたわけであるが、それを成し遂げたのが他ならぬ彼ら技術士官とその弟子たちだったというわけなのだ。無論、そうした我が国を米国が許すはずもない。「イノヴェーションで敗けそうならば、今度は金融の力を使うべし」と金融資本主義の大きな梃子を使い、我が国に対する猛烈な反攻を始めたのである。その間、かつての技術士官たちは米国において持て囃され、全てを語らされ、大量の資本を米国人投資家たちから与えられた。実はそれらこそ、毒薬(poison pill)となるということを知らずに。そしてそうした「平成バブル」当時のトレンドに最も酔いしれていたソニーが今、米国が流布する金融資本主義の担い手から遂には「投機的」とまで烙印を押されたわけである。これが「別の形で続けられてきた戦争の末路」と言わずして何と言おうか。

もはや事がここに至っては感嘆している暇はないのである。ソニーはその立社の精神に立ち返り、「イノヴェーション」とは何かを考え、それを担う人財に惜しみない投資を開始すべきなのだ。いや、このことは同社だけに当てはまることではない。パナソニック、シャープなど我が国の屋台骨を支える全ての企業について当てはまることなのである。そうした「イノヴェーション」が正に我が国の至るところで草莽(そうもう)の士たちによって担われるための場として、私の研究所も公式メールマガジン(無料)、公式フェイスブック公式ブログそして英語公式ブログを育てていければと考えている。いずれにせよ我が国、そして私たち日本人に残された時間はそう長くはない。「今すぐやるべし」という精神で前に歩み出すべき時が遂に到来しているのだ。


原田武夫

株式会社原田武夫国際戦略情報研究所(IISIA)代表取締役

http://bylines.news.yahoo.co.jp/haradatakeo/20140210-00032483/


 

ソニーはなぜ「投機的」の烙印を押されたのか (パックス・ジャポニカへの道(その2))

http://blog.goo.ne.jp/shiome/e/a146e6e8ac39efe56bd00c20c2b1c162



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