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世界はやがてジャパネスクの時代を迎える(非公式)

賢慮(フロネーシス)の政治

2014-03-02 | 選挙・民主主義

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●「今日の言葉」
 ~不安な時代だからこそ「覇術」ではなく「王道」を語る珠玉の言葉を~
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“ところで、罰の最大なるものは何かといえば、もし自分が支配することを
 拒んだ場合、自分より劣った人間に支配されるということだ”
 
(プラトン『国家』(岩波文庫)より抜粋)
 
 
……IISIA代表・原田武夫のコメント:
 
─我が国で生じている大問題。
 それは「政治」が敗者復活戦になっているということだ。
 
─元来、政治とは誰しもが認める賢者であり、富者が為すべきことであった。
 強者であるからこそ、弱者について考え、行動すべきだからだ。
 
─ところが「大衆民主主義」を導入した瞬間にそれは変わってしまった。
 「政治」は一般大衆にとって暇つぶしのエンターテーメントに過ぎない。
 
─だからこそ「政治」は人気投票になってしまった。
 賢者でもなく、富者でもない、見栄えの良い敗者が選ばれるようになった。
 
─しかしその結果、果たしたどうなったのか。
 人気投票の延長線上で財政政策を展開し、バラマキが横行する。
 
─そして財政破綻直前にまで各国の「民主政府」は追い込まれている。
 我が国もその例外ではない。
 
果たしてこれで良いのか。
あらためて考えてみる必要がある。
 
しかも早急に。
予断なく、全く新しいシステムを。
 
そして元来の「賢者であり、富者である者」が政治に回帰するように
しなければならない。そのためには荒療治が時には必要かもしれない。
 
ただ、いずれにせよ大切なことは強者でしか弱者は守れないということ。
弱者が弱者を潰して、一体何が出て来るというのか。
 
もはや圧倒的な強者がどこにもいなくなった我が国社会。
「強者」の様に見えているのは“雰囲気”という見えない雲にすぎない。
 
しかし賢者、富者はいる。
“公なるもの”から逃げているだけだ。
 
彼ら・彼女らを如何にして“公なるもの”へと引き戻すのか。
これが課題だ。
 
我が国政治の真の担い手は……彼ら・彼女らしかいない。
そして「賢慮(フロネーシス)の政治」が始まる。

 

(メールマガジン 2013年1月11日号 より)

http://archive.mag2.com/0000228369/index.html



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