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歌舞伎美人の「ようこそ歌舞伎へ」で、吉右衛門丈が
「十段目」の光秀は七世團蔵型を基本にしておられるとあったので、
八世市川團蔵著「七世市川團蔵」を読みかえしている今日この頃。
この本は八世團蔵が亡くなられたあとに新版として刊行されたも。
初版の河竹繁俊によるはしがきには、
明治の名優といえば「団菊左」といわれるが、
七世は旅が多かったので東京に居ついていたら「団菊団」と数えられたと年寄りに聞いた。
その生涯と芸談が「七世市川團蔵」という本になって世に出るのがあまりにも遅かった。
その七世の大いに特異な劇術がしっかりとして教えられる所が多い。
また、それを集成し書きつづった八世の手際の良さ。
少しも飾っていないのにもかかはらず、実に面白く語られている。
とある。
様々なお役をされたお写真がこの本にもあるが、
青年期から晩年期に至る中でも「光秀」についての記述がいくつもあった。
その中で興味深かったのは、
十段目の光秀はむかしは百日鬘、青隈という大時代のつくりであったが、
七代目海老蔵が菱皮の鬘で額に疵のあとをつけ出たら評判が好かったので
そののち百日鬘で出る者が無くなった。
安政6年5月、六代目團蔵が眉間割りから十段目の光秀を演じた時、
「馬盥」で燕手鬘の光秀が「十段目」で急に禿げて菱皮になるのはおかしいと
眉間割りからすりはがしにして細い棒茶筅の鬘であった。
というところで、代々の俳優たちが演技ばかりでなく鬘・衣裳にいたるまで
いろいろと工夫をこらしてきたことが見てとれる。
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門弟へ教訓
舞台にて、外の俳優の邪魔にならぬよう芝居をする事。
相手の俳優の呼吸を呑み込み、自分ばかり芝居をせず、向こうにも、芝居をさせる事。
あまり、前受けをして、幾度も見物にワイワイいわすと、肝心の演所が利かぬ事。
自分の声がいいからと、むやみに調子を張ってはならぬ。またせりふに生け殺しをする事。
人の芝居を見る。または古い型の咄を聞く事。・・・・
など。
型を破って型を
「世が進むにつれて、人の気も進む。役者が古い型のみにとらわれていると置いていかれる。
おれは嘘の多い昔の狂言を、本当にあったこととして、不自然な所は直してする」
など。