過日、古代史好きの友人と出光美術館で開催中の「宗像大社国宝展」を拝見した。
出土品のほとんどが国宝。
古代史に疎い私でも、それらの展示品からこの地が古代から
日本と朝鮮半島・大陸を結ぶ要衝の地であったことが実感できた。
プロローグ 宗像三女神と宗像大社
第1章 神の島 沖ノ島-宗像三女神への祈りとかたちⅠ:岩上、岩陰遺跡
第2章 神の島 沖ノ島-宗像三女神への祈りとかたちⅡ:半岩陰、半露天、露天遺跡
特別出品 伊勢神宮 神宝の世界
第3章 宗像大社文書の世界-宗像大宮司家と中世の海外交渉
第4章 三十六歌仙図扁額の美-近世の宗像大社と福岡藩
沖ノ島の国家祭祀の特徴は、祭場の形態が、岩上→岩陰→半岩陰→半露天→露天と推移していて
原始信仰から社殿祭祀までの移り変わりを概観できることと、
それに伴い奉献品も変遷を遂げていくのが見てとれる。
岩上、岩陰遺跡からは三角縁神獣鏡や勾玉・ガラス製玉類などがあり、
コンパスや定規を文様にしたという「鳥文縁方格規矩鏡」のデザインが洗練されていて素晴らしかった。
また朝鮮・新羅時代の24金製の「金製指輪」のまばゆい輝きも印象的だった。
7世紀後半になると半岩陰→半露天→露天と変化し、この頃には
日本の対外政策が朝鮮半島から大陸寄りになり、中国・東魏や唐時代にみられる奉献品が含まれるようになったらしい。
唐三彩や金属製雛形品・須恵器類
文書類はあまり良く判らなかったが、
1187~1227の年月をかけて一人で全ての仏教経典を書写した「色定法師一筆一切経」が心に残った。
そして一番拝見したかったお目当ての狩野安信の「三十六歌仙図扁額」
保存状態も素晴らしく良く、人物の描写だけでなく衣服の細かい模様まで実にきっちりと描かれていた。
現在宗像大社には三十六歌仙図を描いた絵馬が5セットあるらしいが、
永徳の印章を伴う、おそらくは光信筆とおもわれるものもあるとのこと、
こちらは写真で展示されていた。