今週の日経夕刊のこころの玉手箱は片岡秀太郎丈♪
秀太郎丈といえば、今月の「籠釣瓶」の立花屋女房おきつが本当に素晴らしかった!
今、上方の廓ものの女房といったら、秀太郎丈に並ぶものはないと言っても過言ではない。
日経では、朝日座の文楽と歌舞伎の合同公演の思い出、花街・漫画「パタリロ」の
ことなどを語っておられる。
昭和30年代前半、関西歌舞伎が低迷していて、舞台に立てず、
仁左衛門丈やご友人と邦楽を作詩作曲振付して気晴らしをしていたそうだ。
上七軒を歌った「北野夜曲」というのもその一つで、
今でもその時のテープを聞くと舞台に立てなかった日々の焦燥を思い出すとあった。
来月歌舞伎座では、十三代目仁左衛門十七回忌追善があるが、
秀太郎丈のお父様である十三代が、衰退しきった関西歌舞伎を盛り上げるため、
私財を投じて「仁左衛門歌舞伎」を立ち上げた。
それが劇界に「関西歌舞伎」をあらためて認知させるきっかけにもなったのである。
それこそ現在東京の歌舞伎座でも「松嶋屋さん」御贔屓が沢山いて大向こうや
拍手の多さでも実感できるが、当時の十三代をはじめとした
松嶋屋さん三兄弟とご一門のご苦労は並大抵ではなかったようで、
しみじみと拝読させていただいた。
秀太郎丈といえば、今月の「籠釣瓶」の立花屋女房おきつが本当に素晴らしかった!
今、上方の廓ものの女房といったら、秀太郎丈に並ぶものはないと言っても過言ではない。
日経では、朝日座の文楽と歌舞伎の合同公演の思い出、花街・漫画「パタリロ」の
ことなどを語っておられる。
昭和30年代前半、関西歌舞伎が低迷していて、舞台に立てず、
仁左衛門丈やご友人と邦楽を作詩作曲振付して気晴らしをしていたそうだ。
上七軒を歌った「北野夜曲」というのもその一つで、
今でもその時のテープを聞くと舞台に立てなかった日々の焦燥を思い出すとあった。
来月歌舞伎座では、十三代目仁左衛門十七回忌追善があるが、
秀太郎丈のお父様である十三代が、衰退しきった関西歌舞伎を盛り上げるため、
私財を投じて「仁左衛門歌舞伎」を立ち上げた。
それが劇界に「関西歌舞伎」をあらためて認知させるきっかけにもなったのである。
それこそ現在東京の歌舞伎座でも「松嶋屋さん」御贔屓が沢山いて大向こうや
拍手の多さでも実感できるが、当時の十三代をはじめとした
松嶋屋さん三兄弟とご一門のご苦労は並大抵ではなかったようで、
しみじみと拝読させていただいた。