二十三、道に亡魂の超抜
古代の仏規に於いて、『一子成道すれば、九祖超昇す』とありました。
此の度、道が普伝し始めた当時、無極老〇様(ラウム)は『生を渡して、死を渡さぬ』という規則を定められましたが、後程に三官大帝と地蔵古仏様が鴻恩(こうおん)を懇願(こんがん)せられたお陰で、漸(ようや)く陰陽界を共に渡すことになりました。
そこで、天仏院を建立され、超抜された霊と、求道して帰空された者を迎えますが、時期を待って位を定められることになっております。
功徳を兼修された者は、超昇した等級に入り、功徳の足らぬ者は、転生して再び修行するか、或いは福地に生まれて洪福(こうふく)を受けるようになります。
親孝行には、聖凡の区別がありますが、俗世の孝行とは親の生前に礼を尽くして親につかえ、亡くなっては礼をもって親を葬(ほうむ)り、祭祀(さいし)には又礼を尽くすのでありますが、これはただ親に対して子供としての真心を尽くしたのに過ぎません。
俗世に於いては一応これで終わる訳であります。
然しながら、父母の罪愆(ざいけん:罪業)を解消し、輪廻を脱出せしめ、或いは家庭の子となり、或いは婦となることのないようにすることは出来ません。
以上のような孝行は、これを小孝と申すのであります。
真心ある孝子が、もし親の恩に報い難いと思われ、父母の霊を地獄から超抜しようとすれば、修道しなければ外に方法がありません。
道には又果位(かい)を積み重ねて行く一事がありまして、六十四功を以て一果位が加えられて、一層(一段階)の父母を超抜することが出来る事になっており、九層(九代祖)まで、この様に計算して行く訳でありまして、先祖を地獄から救い出すことを超抜と申します。
子孫が亡くなっていて、この子孫を地獄から救いだすことを恩抜と申しますが、この恩抜は、実に大功大徳がなければ出来ません。
甲子(きのえね)年(西暦千九百二十四年)の時に、規則が又改められて、凡ての家族が皆求道していれば、父母を超抜することが出来るようになりました。
しかし、もし祖父母を超抜しようとすれば、前例に従い二層(二段階)の果位があれば超抜できることになっております。
その外の場合はこの例を推し測って計算すればよい訳であります。
続く