真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

達摩大師伝(4)

2021-10-15 18:30:10 | 釈迦略伝・釈迦仏説因果経・観音菩薩伝・慈航渡世問答・達磨大師伝

(四)玄妙精微の道を明かす

「今汝は、痛く懺悔改心した。正道を求めるのは当然であり、その資格もあろう。しかし正道を求めるには、須く壇(天壇)に接して供儀を供えなければならない。法を得る前に佛に向かって固い願を立てなければならないが、その覚悟はあるか」

「尤もな事でございます。私に暫くの猶予をお与え下さい。いちいち御指示どおり壇設させていただきます」

 ここにおいて宗横は、大師に命ぜられたとおりに壇具と献供の品目を揃えて燈(あかり)を點(とも)し、その前に跪き、まず佛と大師に向かって強い言葉で明瞭に誓いを立てました。

「弟子は得道の後に若し二心があれば、萬劫に沈淪して永遠に救われることがないでしょう」

 大師は、その一句を聞いて

「求道の弟子は、誠の心を必要とする。まず皈と戒を遵守し、法によって行なわなければならない。十悪(殺・盗・淫・貪・瞋・痴・綺語・妄言・悪口・両舌)八邪(名・利・恩・愛・酒・色・財・気)を悉く除き尽くさねばならない。三畏(君子が畏れるもの三つ、即ち天命・大人・聖人の言)九思は全て遵わねばならない。そうすれば、初めて一竅虚霊の性を指示することができる。至善の地(玄関)において六神を率い六根清浄なれば塵も起らない。五蘊(色・受・想・行・識の各蘊)皆空である故に幻は生じない。人法二つとも忘れれば、寂中の寂となる。そうなれば、根元一気であって虚空を見ることができる」

 大師は再び偈を作って、言われました。

「一竅虚霊の性は、先天至道の根なり。

 動中の静を悟り徹せば、初めて主中の賓を識る。

 煉って無人無我に至れば死を了え、容易く超昇す」

 此処において大師は、生死の状態と解脱の功程から下手の方法に対して一々親しく明示され、口授心印を傳え、竅門を開破されました。また宗横が天道の玄妙精微の道を明らかにすることが出来ないのを恐れて、逐一眞理を指破し、もって容易に参悟させようとされました。そして再び十字を讃して、偈を作られました。

「弟子に嘱(ことづ)ける。修道の妙着を明白にしなければならない。

 三心を掃き、四相を飛(はね)て一竅を包羅することである。

 若し相に執着し、文字に求め、よく説き、よく講ずることがあっても、

 修めるのは、僅かに牛毛の広さほどのもの、牛の一角程度のものに過ぎない。

 智慧があるならば、自己の一個の眞種を明らかにすることである。

 朝(あした)に参じ暮れに煉すれば、性定かになり神は満足されるであろう。

 元神を存し、元気を養い、精を煉り薬を採り、定まり、静かなることを知り、剛柔を識れば波羅蜜多(はらみた。極楽郷)に至る。

 そこでは黄老が躍る魚と戯れ、清濁を分別する。

 牛・羊・鹿の三車を駕して黄河に運転する。

 双林に遊び、仙桃を見、群林を奉賀する。

 桃は大きなものでなくても、天地日月山河を包む。

 この仙桃、その美味なこと甚だ妥(やすら)かである。

 一粒服せば、五百年もの長い寿命を享けることができる。

 この桃の中に眞なる美景があるが、道破することは実に難しい限りである。

 龍は虎に交わり、亀は蛇に戯れ、共に一窩(同穴)に棲む。

 牛郎(牽牛)が天の河の東方からやって来て、鵲橋(じゃっきょう。牽牛と織女を會わせるため、鵲〈カササギ〉が天の河に架けるという橋)の上を過ぎ行く。

 織女は河の西方にいて、梭(ひ)を弄ぶ。

 水面を見ると底の無い船に仙佛同(とも)に坐し、

 水中では魚が龍と化し、その鱗甲が波に現われるのを見る。

 老翁が釣竿を持って船尾の上に坐するのを見、

 八仙、海を過(こ)えてやって来て、斉(そろ)って仙歌を唱うのを見る。

 南極翁は、仙鶴に跨り中艙に坐す。

 観音母は、船頭に坐して圓覚ともに會す。

目蓮僧は、錫杖をとって十王(十大閻王)を朝賀し、

 諸仙佛、斉って共に天の河に上る。

 天河に遊び、ここを通過し去った後、崑崙に坐す。

 一個一個(ひとりひとり)吃するのは、これ即ち波羅蜜多である。

 崑崙の頂に多少の仙宮楼閣がある。

 無極殿に座します瑤池(ようち。ラウム)は、三教共に科(とりたて)ることを命じられる。

 一座の三清殿(さんせいでん)があって、ここに元始まさに坐し、

 左に霊寶、右に老君並んで坐り顔和(やわら)ぐ。

 一座の霊霄殿(れいしょうでん)があって、

 四天王、八菩薩、この瓊閣(けいかく)を鎮守す。

 一所に大雄殿(だいゆうでん)あり、釋迦文佛上に坐し、經文を講じ、道法と玉律金科を説く。

 鸚鵡と鶴、伽倰頻伽鳥(がりょうびんがちょう。極楽鳥)は法を講ずるのを聴けばこれを解する。

 群弟子、斉しく合掌し、彌陀を念ず。

 この中に玄妙の語があるが、細かく説くことは実に難しいことこの上ない。

 弟子に望むは、まさに心經を意(こころ)を用いて揣摩(すいま)すること。

観自在に菩薩多く、這個(しゃこ。玄関)を離れず。

顛倒を遠ざけ、夢想を離れれば永遠に大羅を証す」

(続く)

 

 


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