(2)釈迦古仏の御聖訓
夏より秋絵と気候は移り、収穫の時代へと変わる。
人は皆眼前の大災難を知らない。今此の金線に登り速やかに災いより逃出(とうしゅつ)せよ。
私は乃ち 釈迦古仏である。
老〇(ラウム)の命を奉(う)け仏堂に降った。
老〇(ラウム)に参叩(さんこう)し、玉筆(ぎょくひつ)を取りて砂盤(すなばん)に訓告する。 吩々止(はっはとどむ)。
かの昔、私は名利財産を捨て、位を捨てて山中に入り、十六年の間、坐禅断食をした。
十六年の苦行難行は何の為かわかろうか。皆天道を求め、苦しい四大苦、六道輪廻、三界の苦しみを脱(のが)れたいためである。
百年の楽よりも万々年の幸福、霊(たましい)の幸福が有ると悟ったからである。
現在は名誉利慾に心をとらわれているが、一旦両目が閉じた後は何を持って何処(どこ)へ行こうというのか。私は山中にこもり、艱難辛苦(かんなんしんく)と共に、身を捨てて道を求めた。私の心はやがて
上天に達せられ、燃灯仏(ねんとうぶつ)より、一竅(いっきょう)を開かれて願いはかなった。
そうして此の尊い真法を又わが弟子に伝えた。
私は寿命が尽きて仙仏が迎えに来られ、極浄土、理天へと帰った。私の理想通りの不生不死の極地に至ったのである。
その後わが弟子は私の聖業を世に留(のこ)す為に経典を遺した。
私は経典を読み成仏したにあらず。
天道の尊い秘宝を得、而(しか)して成仏したのである。
私を信ずる門下よ。天道の尊さを知れ。
私の得た秘宝、天道の三宝を知れ。
経文に中にも経典の中にも、天道は含まれ書かれている。
経文、経典は念ずるのではなく、意味を悟るものなり。
しかる後、経典の通り、道の為に進められたい。
那(か)の時単伝(たんでん)で伝えられた真法は、今は普伝(ふでん)となった。
昔に比較し、簡単にして、容易に尊い心法を得ることが出来た。
真法は眼前(がんぜん)にある。
有縁(うえん)ある者は皆道に逢い私同様此の尊い宝を得ることが出来る。
縁の薄い者もだんだんと悟り知る時がくるであろう。
今の時代は三期の末世に当たっている。
道が普伝になったのも、時代が変わり混沌とした故である。
戦器武器を作り、花やかなぜいたくな時が来てしまったが為なり。
眼前には大災難が迫ってきている。諸々の衆生は皆此の災難に清算される。
悪孼(あくげつ)を作ったものは、皆罪に応じ、淘汰(とうた)されてしまうのである。
上天に於いて主神(おやがみ)は嘆き悲しみ、道の普伝を許した。
道は公開され、皆此の尊い心法を得て極楽浄土に帰ることが許される。
私は難行苦行して得た三宝は実に貴重なものである。
昔三宝を得る条件として、家を離れ、山へこもり断食瞑想を幾十寒暑過ごしたが実に苦しい修行であった。
今の良き機会に道を求めなさい。
私が得た三宝を得なさい。
此の仏堂は一隻の慈船であり、救いの船である。仏堂を設置したならば無数の衆生を乗せ救わねばならない。
一人を救うことは一つの功徳であり、自己の徳となる。
無人船にせず無数の人を乗せよ。
此の功徳は上天に帰った後に顕れる。
いくら地位が高くても財産があっても、両目(りょうもく)閉じれば空手である。
その時になり功徳によって上天で位が定まる。九品の位は皆自ら選ぶので神のみが選ぶのではない。
自ら徳を積めば上品に行き、徳を積まないで品は上げにくい。
天道の秘宝を得ると胎・卵・湿・化の四生に転ずるのを止め、四生六道の苦しい輪廻を断ち、四大苦を逃れ、三災八難、あらゆる災難を逃出できる。
百年の寿命が尽きた後には、理天に帰り、地獄の縁を切るのである。
理天とは永遠の極楽、常に変化のない聖人仙仏の所である。
生死を超脱した不生不死の所であり、煩悩雑念の無い平和で愉快な所である。
私を信ずる者は天道を信ぜよ。
私を信じて道に逆らうのは、私を信ずるにあらず。此の一竅(いっきょう)である玄関は魂の正門、死後此處(ここ)より霊(たましい)は出て極楽へと帰る。
この一点に集中すれば無雑念で無煩悩、更に口訣(くけつ)を念ずれば大神通力が顕れ、災難より救われる。
合同とは神と人との連絡をするものである。
十指をくみ合わすと神に通じ、汝の許へ神は降る。
災いに出逢った時に、此の三宝を使えよ。
一瞬にして救われるであろう。眼前に三期末劫の災難が迫っている。
即ち、九九八十一の恐怖におそわれた大きな災難である。
七七の間、天と地が暗黒となり、血は河の如く流れ、骨は山の如く積り、見わたす限り人家が無い。地球できて以来の最も大きな災いである。
善と悪は悉く(ことごと)く判別される。此の時降された一本の金線、救いの道は唯天道一つである。
此れ以上の宝は無く、此れに等しい宝もない大神咒(だいじんじゅ)で大明咒(だいみょうじゅ)であるこの真法を得よ。
そして迫りくる恐ろしい災いより逃出せよ。
汝等が今立てた徳は万八青史(まんはちせいし)に良き名が残ろう。
今、徳を立てずして何日になって立てると言うのか。
天道の普伝には止まる時がある。
今修め徳を積めよ。汝等は皆縁份(えんぶん)が有る。道に進めば輝かしい光明がある。
だが今道を退(の)けば光明は失われてしまう。
わが門下は私の言葉を悟り、信じ。道に働けよ。
而して衆生を多く得道させ救ってあげよ。
そうでなくばこの仏堂は役に立たないものになってしまう。
衆生を乗せて初めて仏堂の意義がある。設立するだけでは駄目である。
観光客には進んで道を宣べ、道を得させよ。
上は力を加えるであろう。
当檀を衆生で満たせよ。夜も更けてきた。
遠路の者もあろう。私は筆を放つ。
老〇(ラウム)辞叩し、理天に帰る。更に力を加え、道の為に奔走(ほんそう)せよ。
哈々退(はっは~さがる)
続く