三十一、三教のいずれが最高
三教は本来、無極の一理を説いているので、当然いずれも高低を以て説くべきではありません。
然し世俗では三教を比較して仏法を最高と申しているのであります。
それは三千年前から今日まで道統の運勢が仏教にあったからであります。
応劫経(おうごうきょう)に『混沌から始まり十仏が天運を掌る(つかさど)る』と申しておりますが、その中、すでに過去七仏は過ぎて、後は三仏即ち、燃灯仏(ねんとうぶつ)・釈迦仏(しゃかぶつ)・弥勒仏(みろくぶつ)が掌(つかさど)る事になっております。
始めに燃灯仏が過去一千五百年間、天の運勢を掌りました。
釈迦仏はその後を受けられましたが、周の昭王の甲寅(きのえとら)年四月八日に聖誕され、父の姓を刹利(せつり)、国号を浄飯王(じょはんおう)と称し、母の名を摩耶(まや)夫人と申されました。
十九歳に出家され、仏の授記(じゅき)を得て、四十九年間法を説かれ、経典を遺(のこ)して、万歳(ばんざい)世を渡されました。
其の道は、人の性を指示して仏を成し、直ちに本源を探求せしめ、気象を払って理に入らしめましたが、後世の人が仏教の祖と称えました。
老子様は姓を李(り)、名を耳(じ)、字(あざな)を伯陽(はくよう)、号を耼(たん)と申し、周の定王の丁巳(ひのとみ)年に楚(そ)の国の陳郡に聖誕され、周の敬王の下で官吏をせられましたが、母を精敷(せいふ)と申され、八十年間受胎し、李(李)の木の下で誕生したので、李(り)という姓を定めました。孔子様から理を問われた後、青牛に騎(の)って函谷関(かんこくかん)に出られ、西に胡王(こうおう)と尹喜(いんき)を渡しました。
其の道は淡白で心を養い、その法は抽坎填離(ちゅうかんてんり)の修行法で、色象(しきしょう)を去り気より理に入らしめ、水火(体内の物)を済(もち)いて金丹を煉るのであり、道徳経、清浄経等を遺し世を教化しましたが、世間では老子様を道教の祖と申します。
孔子様の道は政と教を兼ね、象(かたち)に入って象に執着せず、気を超越して理に入らしめるのであって、人々が尽(よ)くわかるように説かれましたが、世に儒教の祖と申します。
三教の大道はすべて性理を以て宗旨となしており、その網常倫理(こうじょうりんり)は均しく人の天性の中に流露されますので、性体が明らかになれば人倫網常は学ばずして自ら正されます。
これは明体達用で根本が固ければ枝葉が栄えるのは自然の道理であります。
仏教がその妙道心印を失い、道教がその金丹口訣(きんたんくけつ)を失って、経を念じ呪文(じゅもん)を誦(とな)えて、ただ物乞いをし、儒教が心法性理を失い、世の文人が文章の句を尋ねるに過ぎない事は実に惜しむべき事であります。
即ち知・止・定・静を問い、視聴(しちょう)を内に返す工夫をし、窮理尽性(きゅうりじんせい)・養性率性(ようせいりつせい)の法を知るものが幾らもいなくなりました。
三教聖者の宗教は廃絶(はいぜつ)の境に達してしまいましたので、性理真伝は必ず三教を斉しく偏せず片寄らずして“儒教の礼節を行い、道教の工夫を用い、仏教の規律を守る”修業をするならば、小さく用いれば延年益壽(えんねんえきじゅ)ができ、大きく用いれば明道成真ができますので此の道を修める方は、ここに注意しなければなりません。
続く