真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~三十七、求道後の敬神

2024-05-15 16:13:14 | 性理題釋

三十七、求道後の敬神

敬とは誠であります。

すべての人は我を益するものに対して、敬(つつし)んで之に礼せぬものはいません。

上天が大道を降ろ給い、一理を闡(せんめい)せられ、真機を顕(あら)わして一理が万有の始めであり、真宰(しんさい)が万有を造化せられた唯一の尊神であることを人々に知らしめました。

真宰を称して無生と申しますが、無生とは霊性の母であり、又肉身の始祖であります。

人々が世の中に生まれて来て、皆本性を迷失し、来路を忘却して、生々死々して輪廻の苦しみを受けるのであります。

無生老〇(むせいろうぼ)様は常にしかも切実に懸念せられて大道を降し、そして衆生を救い、人をして明路に随わしめて本性即ち本来の真面目(しんめんもく)に帰らしめるのであります。

我々に関係の深い身心性命の大道をどうして傲慢自若(ごうまんじじゃく)として顧(かえり)みえない事が出来ましょうか。

故に神を敬う事は、正に我々に道を降ろし渡して下さった御恩に答えて、誠心を表示するのであるから、どうして之を迷信と言えましょうか。

続く

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