真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

弥勒真経~三、中原三星(ちゅうげんさんしょう)の地に落ち 四川王桃心(しせんおうとうしん)にて大いに証す

2024-06-25 21:43:15 | 弥勒真経 解釈

中原とは中央枢軸(すうじくのことであり、中心玄関のことである。

三星の地とは三大明星の寶地である。

つまり二つの星(二目:にもく)があり、丁度日月(にちげつ)の明(めい)の如く、真中に一顆(いっか)の明星(玄関)があって宇宙に充満し、三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)を遍(あまね)く照らす無縫(むほう)の寶地である。

此の三星の寶地は正に修錬をする人にとって手を下(くだ)し、功夫(くふう)を用い、究極に落着する場所である。

四川とは眼耳鼻舌(げんじびぜつ)の四門であって川に準(なぞら)えているのは四つの流れが中央戊己(ぼき:つちのえ、つちのと)の土(とら)に連なっている。

丁度、田の字型になって中央に合流する。王とは法王であり、主人翁(しゅじんおう)である。

桃心(とうしん)とは桃の中の核心である。

桃の皮と肉を脱せば内部の核心を見ることができる。

核心とは玄関の一竅(いっきょう)である。

修業の善男信女はよく三星の寶地に依(よ)って修錬し、時に応じて習い、守り、住し、常に玄機(げんき)を参悟すれば、功徳円満(くどくえんまん)になって、にわかに法王を見ることができる。

これは玄関の一竅こそ不二法門(ふじほうもん)であることを証明し、此処(ここ)によって成道することを示している。

続く

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