真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

性理題釋~九、真道に毀謗(きぼう)あり

2022-02-16 17:43:56 | 性理題釋

九、真道に毀謗(きぼう)あり

論語に『曲高ければ和寡(すく)なく、道高ければ毀(そし)り来る。徳修まれば謗(そし)り興る』と言って、"曲節は高くなるほど和やかな所が少なく、道は高くなるほど風あたりが強く、徳は修まるほど謗りがおこるのである”と申された訳であります。

然るに道は大で理は微なるが故に俗学の人がどうしてこれを測り知ることが出来ましょうか。

そこで種々の疑惑(ぎわく)が叢(むらが)り起こることを免れないだけでなく、謗りや言いふらしが流れるのであります。

孔子様は『人知らずして愠(うら)まず、亦君子ならずや』即ち、”君子は徳があって人が己を知って下さらぬことを、少しも怨(うら)まず道に励むのである“ことを申され、道は謗りがなければ興らないことを、意味しているのであります。

御仏様は『一次の謗りを経過すれば即ち一分の寃愆(えんけん)を了す』と申し、”一回の謗りを受けることは、その人のそれだけの過去の寃債(えんさい)を返すことである”と申されました。

伝道しておられた当時の孔子様を、人々は皆謗りましたが、その後、孔子様は道を成就して天上に至り、名は人間界に留め、その聖廟(せいびょう)は各地に建立され中外共に尊敬せられるようになりました。

孔子様は『子路(しろ)入門して、逆言耳に入れざるなり』と申し、”子路というお弟子は、入門して修行を始めてから、謗る言葉を耳に入れなかった”と申され、真道はまさに真の謗りがあることを証明されたのであります。

続く

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