#WHOから命をまもる国民運動 大決起集会 原口一博代議士挨拶
(3)観音菩薩(かんのんぼさつ)の證道(しょうどう)
昔から天命ある天道は単独のまゝ聖者の間で伝承されていた。
たとえ、王者、権力者であっても奥玄(おうげん)を慕い求める以上は、その身を捨てねばなるまい。
私も例外ではなかった。
明師を尋ね得ることは実に容易ではなく、種々雑多の苦や魔の鍛錬を受けるものである。
資性(しせい)が如何に優れていても、生死の関門となる一竅(いっきょう:秘宝の一つ)を点受されないと霊光は被(かぶ)られたままで闇然(あんぜん)たるものである。
若し一度(ひとたび)、その妙戸(みょうこ)を開かれ、更に内攻外功を修めたならば、自在の菩薩性を観じ得て聖賢に証することができよう。
道は貴(とうと)く、理は真にして法門は二つとなく、偉大なる天命は天地を貫徹(つらぬ)き、王者聖者の間だけに道統(道等)が継がれていた。
今日まで経過すること六万余年、白陽の時勢と変わり、普遍済度(ふへんさいど)の機会に恵まれたが、惜(おし)むらくは殆んど世の仮相に惑わされて真道を誤まり、魚の目玉を真珠と混同してしまったようである。
色声(しきしょう)は人を迷わすことが酷(ひ土)く、世道人倫を顚覆(てんぷく)し、道徳礼教を滅ぼす程である。
正に殺気が天を冲(ちゅう)しているが、この現象は人を加害して己に利した寃(あだ)の報いによる。
憐(あわ)れにも罪なき原子等(もとのこら)は恐惶(きょうこう)不安の状態である。
老〇(ラウム)は善悪・玉石(ぎょくせき)が共に焼却されるのを見るに忍びず、天道を降してすべての霊を苦厄から解いて浄土へ度(すく)い還そうとしていられるのである。
(詩)大いなる眠りに落ちている人々の中から賢良を呼び起こす。
真なる宗旨は二つとなし。
海の波浪(なみ)は風強きによりて起こり、劫(わざわ)い
は貪恋(むさぼり)に由りて変わる。
本性を観透(みとお)せば虚(むな)しき景色を識(し)
れ。
恰(あたか)も水に映(うつ)る月、鏡に映る花の如し、
音韻(音韻)、調律(ちょうりつ)は人を苦の坑(あな)に
顚(おと)すが道は理天へ引(みちび)いて回(かえ)る。
(後略)
四十二、縁份(えんぶん)
縁份とは、前世の根本を説くのであります。もしも一人の人が原人で仏子であれば、天性は昧(くら)からず、人が聖道を説くのを一度聞けば、信心が直ちに起こるのであります。
聞けば即ち修めるのであって、このような人を仏様と御縁ある人と申すのであります。
所謂(いわゆる)份とは、言い換(か)えますと即ち爵位(しゃくい)であります。
御縁ある人が、道を求めたならば常に道を心にして、人より後に落ちることを恐れ、功徳を積んで少しも怠(おこた)りません。この人は終に必ず成道することが出来ますが、成道された後に、その功徳の果に按(よ)って爵位を定めるのであり、これが縁份があるというのであります。
聖言の一つを以て申すならば、『知って学ばざるを無縁となし、学んで実のざらるを無份という』と申しております。
前人の聖者は『幼くして学ばざるは、成長して能なきなり。壮年にして学ば坐れば、老いて憂うるなり』と申され、また『謂う勿(なか)れ、今日学ばずとも明日ありと、今年学ばずとも来年ありと。日月逝(ゆ)けり、歳(とし)我に与えず』と申されました。
此処に為すべきことをなさなかったならば、必ず後に後悔が生ずるのでありますから、立派な人間として後悔することがないようにしなければなりません。
もしも、後悔するような時にはいかにあせっても道を修める事は出来ないのであります。
続く
民主党の牙城ニューヨークでトランプが歴史的集会【ブロンクス・ラリー】