真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~(二)天然弓長師(てんねんゆみながし)の使命と任務(その一)

2024-05-10 19:05:26 | 天道推奨

天然弓長師は1913年、御年25歳の時、道を第17代路祖(ろそ)に求め、心法を授記されましてから御逝去まで自来(じらい)34年間、身命を賭(と)され、精魂を傾けられて伝法に尽くされました。御幼少に頃から常人と異なった非凡性を具え、激しい正義感と優しい慈愛性の人柄の上に、常に深い、古い幽玄の妙理を悟られ、同時に博(ひろ)い、新しい学識と感覚を体得なされ、汲めども尽きぬ智慧の源泉をお持ちになっておられました。

 天然弓長師

塾生として勉学が師の幅を無限にし、道門に入られる前には殆ど仏、道、儒、及び諸子百家の経典を研鑽(けんさん)し、完全に修得なされたのですから如何に卓越された秀才であるかを容易に想像することができます。

御聖訓に依りますと、師の前身は1130年頃、中国、浙江台省(せっこうたいしょう)、府天台県(ふてんだいけん)に御出生なされた偉大なる高僧、「済公禅師(さいこうぜんし)」の御転世であると申されています。

過去、中国五千年の宗教歴史を通じて禅師程宗教界や民衆全体に深く広く受け入れられて、親しまれた聖者はなく今に至るまで「活仏」と尊称されているほどであります。

世間の禅師に対する尊敬と信服は大きく御尊名を聞いただけで邪と魔は消え失せていかなる苦厄も救われると信じております。

時恰(あたか)も末法の世と変わりましたので造化の主である無生老〇(らうむ)は「済公、命を領し、弓長と為りて白陽の収圓(しゅうえん)を担うべし。」と天命を降して今の世に御再来されましたから「賢明なる神童」と冠称(かんしょう)されたのは寧(むし)ろ当然であります。

路祖(ろそ)の弟子としての十七年間は師の大完成への貴重な修練期間と申すべく常に燦然(さんぜん)として輝く存在として、特に祖師から重任され、厚く期待を掛けられ、同じ兄弟弟子間での信望も絶大でありました。

紅陽と白陽時代の交代期に代表師として祖師に御協力し、大道盤を固められました。

1925年の梅二月、路祖御逝去の際、祖師から始めて前身と出世の使命を明らかにされ「我が後継者として末後一着(まつごいっちゃく)、万教帰一(ばんきょうきいつ)を完成すべし。」と聞かされた時は極度に驚愕(きょうがく)と衝撃を受けられたらしく、六年間各地伝道に事寄せてその重責を避け続け、辞退し続けられたのを見ても十分察知することができます。

これは1934年の師の記に【当(まさ)に即(ただ)ちに再四懇辞(さいしこんじ)し、以って賢に路(みち)を譲るも、皇〇(ラウム)各壇に降鸞(こうらん)され請う所、を允(ゆる)さじ。】とありますから明らかであります。

然るに1930年【余(よ)、祗(ただ)に其の難の為に勉(つと)むるを得るのみ、天に順(したが)いて事を行い、然して三層を済度す。

責重く任巨(おおい)なり。】と云われて漸く(ようや)く天命を担い、茲(ここ)に始めて天来の神性を発揮なされ、万国伝道の御命を號(ごう)されたのであります。

恰も(あたか)も師を待ち臨(のぞん)でいたかの様に一度、ご出現なさるや、満天下に雲霞(雲霞)の如く、師の御許(みもと)に身命を投げ出して伝道する人材が続々として集まり、十数年間の間にして何百万名の縁者が法を受け、道を得ました。

師は誠意を以て求道(ぐどう)する者はすべて拒まず、戒律よりも正法を以て導き、奇跡よりも真理を以て与(く)みし、大理天界及び三層界を説き来り、説き去り、衆に迷昧(めいまい)なる所をすべて明らかにされたのであります。

師は領命(りょうめい)されると同時に人々の三世(さんせい)を見透し、御自分の霊(たましい)を同時刻に何十個所(なんじっかしょ)もの仏堂に分霊して御垂訓(ごすいくん)されることができました。

師はわれわれの心眼を開き、業縁(ごうえん)を断ち切って下さいます。

決して怪力、乱神(らんしん)や異端、邪説を語らず、真実の法話は聞く人の心霊を揺さぶり、本性を呼び起こし、迷いを破り、執着を離し、不安と恐怖を拭い、太古の姿に立ち戻されるものであります。

一度、師に会われた人は殆ど大きな感動を受け、鮮明且つ強烈な印象を受けて忘れることができません。

師は非常に御寛大で如何なる時で悠容(ゆうよう)迫らざる態度をお持ちでありました。

道の為に富豪だった、御自分の財産を全部、犠牲にされ、使い尽くされました。師の偉大さは砂文字以外、滅多に親筆をお取りにならなかったことであります。

虚飾多き文章や書物によってとても奥義を述べ尽くされないと思召(おぼしめ)されたのか、天下の才を以てしても足下に及ばない大徳者である師は不思議に言葉の神秘性を会得されまして御法話の方が、達文(たつぶん)、経典よりも大きな響きを持つものでありました。

これは「心印相印(しんいんそういん)、口授妙語(こうじゅみようご)」の天道の主旨をそっくりご自分に当て嵌(は)められて実行されたと申せましょう。

亦、師は御自分の才徳を隠すのに極めて徹底的でありました。

師は今、天命を担い、人間界、地獄界、気天界のすべての霊魂を救い尽くす大悲願を立てられておられます。

この大いなる使命の許に馳(は)せ参じて、極力賛助申し上げるのが我々に与えられた天の声だと信じます。

師は如何に世道人心を憂慮なされているかは次の御聖訓の一端によっても明瞭であります。

【私は天命を奉じて第18代祖としての動脈を受け継ぎ、白陽の時運に応じて古聖先賢の大道を続伝し、末後一着、収圓の大業を担当処理することになった。

深く責任の重大さを感ずるものである。

御命を授けられて以来、臥寝(がしん)しても蓆(むしろ)を安んぜず、飲食しても甘味を覚えない。

駑(にぶ)く鈍(のろ)い知慧や才能を竭(つ)して道の闡明(せんめい)に勤めたが、効果、薄きが為、老〇(ラウム)の御心を御痛傷(ごつうしょう)致されるのを恐れ惶(おのの)くものである。

故に31年の風霜寒暑(ふうそうかんしょ)の苦しみを経歴して自分で自分を勉励(べんれい)して、誠心誠意、腐心(ふしん)、尽瘁(じんすい)して善男信女を度(すく)い、同(とも)に光明の覚路(かくろ:天道の彼岸)に登らせた。

幸い上は老〇(ラウム)の鴻慈(こうじ)なる御恩を蒙(こうむ)り、中には諸天神仏の佑(たす)けを受け、下は諸賢の臂助(ひじょ)の力の力に頼って斯(か)く道務の進展を見ることを得たことは、せめてもの慰(なぐさ)めとするものである。

然れども天道の基礎は未だ固定しておらず中途で挫折(ざせつ)したり、桃李紛々(とうりふんぷん)として落伍(らくご)したり、同道異歩(どうどういほ)もあったりして深く心衷(しんちゅう)に悲哀を覚えてならない。

これは天道の不幸であるが、亦、試練選抜の時期でもある為、致方(いたしかた)がない。

忠孝の弟子たちは至誠耿耿(しせいこうこう)として初志を曲げず、私に続いて世を救拯(きゅうじょう)する心を懈怠(なまけ)ることなく、量力(あるだけのちから)を鼎(かなえ)にして相助(あいたすけ)相擁(あいよう)して佈伝(ふでん)して行くことは喜悦(よろこば)しい限りである。

亦、義烈英雄(ぎれつえいゆう)の弟子は外洋に渉(わた)って路を開き、辺彊(へんきょう)の地域にも奔走して真理を伝播(でんぱ)し、以て天道の根幹を樹立し、諸教を導いて本門の正宗に帰宿せしめ、大道の威厳を(いげん)を発揮顕揚(はっきけんよう)せしめようとするのは吾意「我が意」に叶(かな)う所、甚(はなは)だ大である。

蓋(けだし)、これは私の遺志(いし)を追従し、私の使命を遂行し、上天の御慈憫(ごじびん)に報いんと欲する為に力を竭(つく)されているものと信じられる。

どうか今後とも、継続して勇猛果敢(ゆうもうかかん)、天道と共存する強い決心を抱き、種々(さまざま)な障害試練があっても、道心堅固、意志軒昂(いしけんこう)でであってほしい。

萬教帰一(ばんきょうきいつ)の大理想実現の為、三期末劫(さんきまつきょう)の大災難防止の為、奇(くし)き妙計を考案運用して広く善縁者を挽救(すくう)ことこそ私の唯一の願望である。

若し本嘱告(このことづけ)が道務人心に裨益(ひえき)を齎(もた)らせば大いに幸いである。】と(昭和32年夏季大典の御聖訓より)

続く


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性理題釋~三十四、大道を信ずる者は皆平民

2024-05-10 19:03:19 | 性理題釋

十四、大道を信ずる者は皆平民

大道には一時一機・一時一運と申して、三代(夏・商・周の時代)以前は、道が帝王の家に降りましたが、三代以後は、道が師儒(しじゅ)の家に降(くだ)ったのであります。

しかし今日になってから、道運は正に庶民の身の上に応じたのであります。

時機がこのようになしたのであって、絶対人の力の致す所ではありません。

況(ま)して道の規則としては、時事に左右されず、政治(政党)に加わらず、暗中の作用(地下工作)を許さず、道を借りて別の活動をすることも許しませんので、殆(ほとん)ど平民がこの道を修行しているのであります。

続く


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