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春庭ことばのやちまた>至極か珠玉か

2012-05-23 07:00:00 | 日本語学
2012/05/23
春庭ことばのやちまた>至極か珠玉か

ご無沙汰しております
todaysong
きょうは漢字のことで教えてほしいことがあり、お邪魔しました。
研究会の副会長が学校だよりで
「至極の時を過ごした」と書いたのを読み、「珠玉の時」ではありませんか、と質問しました。返答は「両方あって前者を選んだ」という答えでした。
国語辞典では、至極の時という使い方は意味の上からはありませんでした。
そこで、こちらにお邪魔した私大です。
ひまな時にでもコメントをいただけたらとあつかましくもお願い致します。
2010-11-14 15:17:41 返信フォームへ 掲示板へ戻る

Re:ご無沙汰しております
haruniwa
こんにちは

「至極の時」は間違いで、「珠玉の時」が正しいのではないか、というのが、todaysongさんのご質問の骨子だろうと存じます。

 私も「至極」は「至極当然のこと」「迷惑至極」「恐悦至極」などのような使い方をしますが、「至極のとき」という使い方をしたことはありません。
 しかし、インターネットの用例では、
「至極の時」は 1,500,000 件の用例が表示され、一方の「珠玉の時」は 869,000 件の用例がありました。

 用例の数のみで言えば、「至極の時」の使用例のほうが倍以上多いのです。これには私もびっくり。私も「至極のとき」を使ったことがなかったので、「至極」のこのような用例が広がっている背景は何か考えるきっかけを与えて頂きました。

 もともと「至極」は名詞としての使い方と副詞的な使い方「至極迷惑です」などがありました。名詞に「の」をつけて連体修飾にする「至極の」という用例は比較的新しい用い方だろうと推察しています。
 「至高のメニュー」などの言い方が漫画を通じて広まったのに合わせて、「至極の」という使い方がでてきたのではないかと春庭は推察しています。
しかし、語彙研究はたいへん難しく、過去の用例を調べるのは膨大な作業となるので、うっかりした結論は出せません。

 ことばの使い方は人によって個性がありますね。
ことにネット時代は、誤変換も多くなって、誤変換が思わぬ用例の広がりを生み出すこともあります。

 ネット時代の語彙使用頻度を調べる調査で昔に比べて異様に「藁」という漢字の使用頻度があがった、という調査結果が出て、漢字学者たちがびっくりした、ということがありました。
 私は驚きはしませんでした。謹厳実直な漢字学者と違って、2チャンネルなども除いてきた私、ネット小僧たちが、BBSなどで「笑った」という意味で「藁」という漢字を用いていたのを知っていたからです。
 語彙は、時代によってさまざまな意味の変化を遂げ、用例もさまざまに変わっていきます。

 「至極のとき」という使い方をしている人が多数派になれば、それが正しい日本語になるのです。
2010-11-14 17:50:18 ページのトップへ


ネットフローリング中
haruniwa
todaysongさんの足跡に

2010/11/14 15:17 todaysong ネットフローリング中。朝の来ない夜はない(^-^)/

と書いてあるのを見つけて、私は「ネットフローリング中」とはいったいどういう意味だろうと興味を持ちました。

フローリング、フロアリング(flooring)とは、一般的には床材を用いて、主として木質系の床を建設することを言います。

ネットでフローリングするというのは、いったいどのようなことをするのかと興味を持ったのです。

 私は足跡に「ことばの海を漂流中」と書くことが多く、漂流中とは「フローティング (floating)
 浮いていること。また、そのものが浮動的、変動的であること」。また「ドリフティング(drifting): 漂流」という意味での漂流中です。

 ドリフティング漂流中ともフローティング(浮動中)ともことなる、フローリング中どいう新しい表現で、どのような意味を表したいのか、お伺いしたく思っておりました。

ぜひ、お知らせください。
2010-11-14 18:00:11 ページのトップへ


そこで、こちらにお邪魔した私大です。
haruniwa
todaysongさんの文の中の
「そこで、こちらにお邪魔した私大です。」
というのは、明らかな誤変換で、
「こちらにおじゃました次第です。」が正しいのだろうと思います。

 誤変換から新しい表現が生まれることもあります。

 2チャンネルではひところ「ガイ出」という言葉が流行りました。
 既出を「ガイシュツ」と誤読したことからみながおもしろがってマネして「既出キシュツ」ではなく、「ガイシュツ」が「すでに出ている同工異曲の質問、意見」という意味で用いられました。

 私は「至極の時」は、そのような誤用から始まったモノだろうと想像しますが、すでにそのような用い方をする人が増えているなら、「至極のとき」も「現代的な使い方」として市民権を得ているのです。

 春庭がいつも言葉の意味の変化で出している「あらたしい」の誤用である「あたらしい新しい」が日本語として定着し、現代では「ヤバイ」が誉め言葉になっている、というのも、言葉の変化の一例です。

 言葉は常に変化する。
 「至極の時」がこれから先も日本語として市民権を得ていくのかどうかは、使う人私大(次第)です。

2010-11-14 18:06:32 ページのトップへ

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