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ぽかぽか春庭「ぐっときたネーミング・カタカナの名前」

2008-10-15 07:10:00 | 日記
ぐっときたネーミング


2007/02/07 水
ことばのYa!ちまた>ぐっときた(1)娘と私とマツコとナンシー

 娘は母に厳しい。
 私の「苦労自慢」なんかに娘は鼻もひっかけず、「母はねぇ、自分じゃ苦労してきたと思っているけれど、他の人からみたら、そんな苦労は苦労のうちにも入らない、しょーもないことなんだから、人様に話したがるんじゃないよ」と、言う。

 じゃ、どんな苦労が苦労と言えるのかというと、「『だからあなたも生き抜いて』の大平光代さんみたいに、イジメ自殺未遂、キャバ嬢、やくざの女房、背中に刺青、一念発起で勉強をはじめて弁護士、くらいやらないと」という。
 え~、そういっても、弁護士なんてとても無理だし、背中にあるのは、吹き出物だけだし。

 それから、去年見たテレビドラマ、内山理名主演の『嫌われ松子の一生』の川尻松子くらい、というのが、娘の言う「苦労を自慢してもいい」規準。
 「第一、川尻松子っていうネーミングが、なんか不幸を背負っていそうで、、、、」

 出発点は、私も松子も、中学校の国語教師で同じだったんだけれど。
 松子は中学校校長にレイプされお金を盗んだことにされて退職。私は、教員組合に入ったことで校長に嫌われイジメを受けて退職。うん、ここらから苦労の質で負けるなあ。

 松子はつぎつぎにしょーもない男と恋愛をし、だまされたり裏切られたりする。その中の一人から覚醒剤中毒にされ、その男を刺し殺して殺人犯として刑務所に入る。
 松子は親兄弟とも義絶。いつも親や姉妹に助けてもらった私は、そう、甘ちゃん人生です。

 その後も松子は悲惨な運命を繰り返す。さあ、あんたはどうだ。さあって責められても、私の人生、覚醒剤にも殺人にも縁がなかった、、、、息子の出産で死にかけたけれど、死ななかったし。
 松子はつぎつぎに「しょーもない男」に翻弄されたけれど、私が関わった「しょーもない男」は、今のところ、ひとりだけだし。

 はい、苦労したとは言えませんね。たいしたことしてこなかった人生です。
 てなワケで、娘からは常に批判的にみられ、反面教師として扱われるのが、母親の運命。
 娘と母は、しょっちゅう冷戦状態になり、しばし口をきかずにすごす。一番長いのでは、去年、5ヶ月くらい必要伝達事項以外、しゃべらないですごした。

 たまに仲良くすごせることもあり、「なにか、面白い本あった?」と、互いの本を交換したりすることもある。つかの間の晴れ間。干天の慈雨。闇夜に提灯。
 
 娘と私がふたりとも好きな作家、そうたくさんはいない。
 まえは、娘が「吉本ばなな」を読んでは、私に「これはよかった」「これはまあまあ」と勧めてくれたのだが、成人してからはあまり「ばなな」を読まなくなったみたい。

 母娘ふたりとも好きな現役の書き手は、文芸評論家の斎藤美奈子。
 物故作家で、母娘ふたりそろって「ああ、あの人がまだ生きていて書き続けていてくれたら」と、惜しく思っている人は、ナンシー関。コラムニスト。消しゴム版画家。
 『テレビ消灯時間』シリーズも、「何」シリーズも、「記憶スケッチアカデミー」も、みんな好きだった。

 先月、私が電車のなかで「小耳にはさもう」を読み返し、「最初の週刊誌連載から15年たっているのに、何度読んでも面白い」と思った。娘も「また読みたい」と、読み出した。
 そしてふたりして「天才だねぇ」と感心した。

<つづく>
10:17

2007/02/08 木
ことばのYa!ちまた>ぐっときた(2)ナンシーとるえか

 ナンシー関『小耳にはさもう』を1996年に文庫本で読んだとき、週刊誌初出は1992年なのに、数年たって文庫になっても、少しも古びず色あせず、生き生きしたテレビ時評人物評として読めたことに感心していた。

 今回はなにしろ初出から15年もたっているのである。それなのに、腹をかかえて笑い、鋭い評に感嘆し、文体の小気味よさに驚嘆した。

 『源氏物語』が千年たっても色あせないというのはわかるが、世の「文筆業界」からは、「すぐに消え去るイロモノ」扱いだった、テレビ時評人物評コラムという分野である。
 独断と偏見で断言しよう。ナンシー関も千年!残る。
 これほど「芸」がさえている日本語の「文・芸」は、そうはない。
 
 2002年6月、ナンシー関39歳の早世、つくづくと、惜しい。
 体重負荷が心臓に行ったと言われている。
 太っていることに対して開き直っていたナンシーに、読者こぞってダイエットをすすめるべきだったか、と心から思う。
 もっとも全読者が「ダイエット」と合唱すればするほど、「けっ」と言って「昨日今日太ったわけじゃない!」と、ブチあげただろうが。
 
 私の好きな須賀敦子が60歳でデビューして69歳でなくなったとき、惜しくはあったが、「なんでもっと書き続けてくれなかった」と、慨嘆はしなかった。
「作家として活躍した期間は短かったが、彼女なりに十分に生き、十分書いた」と、いう気持ちが残った。

 でも、ナンシーには、「なんでもっと書かなかった」と、悔しくて惜しい。
 去年の紅白。オズマバックダンサーの「裸に見えるボディスーツ」vs NHK、などについて、凡百のコラムでなく、ナンシーのコラムが読みたかった。
 ナンシー関オフィシャルサイト http://www.bonken.co.jp/

 小田嶋隆のナンシー関評を引用すると「ワンアンドオンリーな人だったと思う。スタンドアローンな、唯一の、かけがえの無い、稀有にして再生不能な才能」
 ワンアンドオンリーなスタンドアローンってカタカナの前半はともかく、かけがえのない再生不能な才能だったとつくづくおもう。

 もうナンシーの新作コラムは読めないと思うと世の中、味気ない。
 ナンシーをうけつぐ人はいないものかと、娘と私は「いっしょにおもしろがれる人」をさがした。

 一時期、ナンシーをつぐコラムニストは「青木るえか」と、娘とふたりで盛り上がった。
 けれど、るえかの「競輪」は私たちの守備範囲になく、るえかゾッコンの「大阪松竹歌劇団」も、OSKでは、実際に見に行けないから話がついていけない。(宝塚なら東京でも見ることができるけれど、そんなメジャーなものに入れあげる「主婦るえか様」ではない。

 ナンシーが幅広いファン層を持ったのに対して、るえかのコアなファンは「どこまでもついていきます」と思うが、一般受けはしないみたい。
 競輪とOSKにはノリきれないけれど、「主婦」シリーズ、読み続けます。
 最新の文庫は『主婦でイキます』

<つづく>
00:31

2007/02/09 金
ことばのYa!ちまた>ぐっときた(3)るえかとリリー

 るえかの面白さのひとつは、自虐ギャグの一種になるのだろうか、徹底的に自分が「グズ主婦」であり「ダメ女」であることを笑いのめしているところ。
 
 るえかコラムの引用
 「 『だめんずウォーカー』というマンガをちらっと立ち読みしたら、ダメな男にひっかかるという話がえんえんと続いていた。私なんかひっかけてももらえないが。「私ってこんなにダメなのよ~」という顔をした自慢話ぐらいイヤなものはない。倉田さんはモテてうらやましい、私にはダメ男すら寄ってこねえんだ。 」

 って、いう感じで、るえかはえんえん、自分のダメ主婦ぶりやら、杉良太郎やOSKへの偏愛を語っていく。
 まあ、これも「わたしってこんなにダメなのよ~」のひとつではないのか、というツッコミに対して、クラタマは太めではあってもビジュアル的に男がよりつく可能性を見せているのに対して、るえかはナンシーと同方向をまっしぐらってとこ(ビジュアル志向はみじんもないってこと)が、ナンシー後継者たるにふさわしい。

 辛酸なめ子、本名池内江美で小説発表するようになったので、我が家ではナンシー後継者候補コラムニストから外しました。(勝手に)

 我が家はたちまち、るえかのダメ主婦ぶりに感動し、洗脳された。
 るえかを読みはじめた2003年以来、部屋のそうじをしなくても平気になった。
 畳から虫をわかして平気な「るえか」に比べれば、ワタ埃のひとつやふたつや無限大なんぞ、屁でもない。

 古い缶詰の中味が変化して缶ごとガス爆発するまで放っておく「主婦るえか」に比べれば、冷蔵庫に賞味期限切れが折り重なっているなんぞ、そのうちガスが噴出しても、「屁で空中ウクライナ」てなもんである。(by ピエール瀧)

 ってか、掃除ぎらいが「るえか」という同類をみつけて、「そうだよねぇ、部屋掃除しなくても、死にゃしねぇ」と開き直ることができたっつうか。
 2003年以来のガラクタやらゴミやらが散乱した部屋で、「ほこりアレルギーでくしゃみが出る」と言いながら生活している。
 すでに「悲惨な状況」を通り越しているのだが、悲惨でも死なない。

 るえかのウェブコラムは『Web本の雑誌』に不定期連載。
http://www.webdokusho.com/koushin/aoki.php

 リリー・フランキー。
 娘は雑誌などでみかけるイラストも好きだったようだけれど、私はナンシー関との対談本でその名前を知るまで、何している人かも知らず、「リリー」っていうから女性だとばかり思っていた。

<つづく>
06:42

2007/02/10 土
ことばのYa!ちまた>ぐっときた(4)リリーとブルボン

 「リリー実は男性イラストレーター」だったので、なんだかだまされた気がして(勝手に)、『東京タワー オカンとボクと、ときどきオトン』で大ブレイクしても、それほど手放しでファンになることはなかった。娘は深夜バラエティなどのコメントが面白いといって、気に入っていたが。

 リリーが「マザコン」を公言し、「おかん大好きな僕ちゃん」であることを臆面もなく語ったりするのも、「う~、それほど息子に好かれてみたいワン」と、うらやましいだけで、コンチクショーとやっかむばかり。
 うちの「僕チャン」もマザコンに育てたかったけど、ふう、毎日メシ作って食わせる母のことは「ウザい」のヒトコト。

 苦労をひとりで抱えて生きてる母はうっとうしくて、その苦労の種を作り出している「ごくまれに、たま~にオトン」は貴重品扱いってのは、どう考えても不公平じゃないか?
 だから、あんたの苦労なんて、苦労のうちに入っていないんだってえの。(by 娘)
 はいはい。

 今月、娘が私に「絶対おすすめ、母はきっと気に入るから、とにかく本を読んでみて」というので、新刊書店と古本屋で2冊買った作家。ブルボン小林。

 コラムニスト、ブルボン小林、別名の「長嶋有」では小説家。『猛スピードで母は』で2001年に芥川賞受賞。(ブルボンの表記ではactager show)。受賞時29歳。

 ゲームをする以外のことは何もしない娘と息子は「ファミ通」というゲーム専門雑誌を毎号買っている。ファミ通でゲームソフト評論をやっているのが、ブルボン小林。

 「『ゲーム・ソムリエ』というコラムが面白いよ。母、ぜったいファンになるから、ぐっとくる題名ってのを買ってきて」と娘に言われて、新刊書店で『ぐっとくる題名』を買った。中公新書756円。古本屋ではウェブ時評コラム『末端通信』を買った。66円。毎度御用達の、3冊200円の棚で見つけた。

 新刊も古本も、面白かった。笑えた。
 「ほらね、母が好きになる作家だって言ったでしょ」と、娘は得意そう。

 ゲーム評論の『ジュ・ゲーム・モア・ノンプリュ』は、ゲームを全く知らないので買う気になれないかったのだけれど、ゲーム知らない人にも案外おもしろいのかもしれない。
 タイトルは、ジェーン・バーキンの出世作「ジュ・テーム・モア・ノンプリュ」のパロディ。バーキン、私はバッグの名前でしか知らんのだが。
 「愛してる(Je t'aime)」「俺?さあね(Moi non plus)」

 ブルボン小林の『末端通信』は、2001年から2002年にウェブ連載されていたコラム。
 それが、発表から6年もたっていて、古本屋で66円なのに、古びていない。笑えた。

 ウェブの世界では、ドッグイヤーで時間が進む。犬の寿命と同じくらいの早さで時間が鳶猿(この誤変換おもしろいからそのまんま)。
 1年で成犬となる犬の時間。人間世界にあてはめれば、1年たつと、20年分の時間が過ぎ去ったことになる。2001年の「末端通信」初回から6年たつ。ドッグイヤーを人間に換算すれば40年分くらい時間がたっている勘定になるのに、とても面白かった。

<つづく>
00:03 |

2007/02/11 日
ことばのYa!ちまた>ぐっときた(5)ブルボンとカトリーヌ

 末端通信のなかで、「ナンシー関」を追悼している文章もなかなかいい。
 ああ、私たちが気に入る人は、やっぱり「ナンシー大好き」なんだよね、と確認。
 「空前絶後のナンシー関」「不世出のナンシー関」ではあるけれど、当分はブルボンをおもしろがっていようかね、ということになった。

 ブルボン小林というペンネーム。パソコン通信初期のどこかのBBSで、製菓会社ブルボンと小林製薬のCMを熱く論じたのでつけられたハンドルネームなんだって。

 ブルボンのネーミング、「フランスのブルボン王朝ではなくて、スーパーの安売りコーナーで山積みになっている製菓のブルボン」と思ったのは当たりだったが、小林は小林製薬とは思いつかなかった。(長嶋のほうが本名)

 ブルボンっていう発音の響き。「フランス・ヴァロア王朝」とか言うときの、「何だかよくわかんないけれど、華麗にして厳粛」って感じに比べると、ありがたみが60%薄らぐ。なぜだろうと思っていた。
 ブルボン王朝最後のルイ16世やマリーアントワネットがギロチン台に消えたせいかしら、と思っていたのだけれど。

 日本語の文脈のなかで、ブルボンって発音したときの音の響きが、「バカボン」とどっこいどっこいになっちゃうからだ、とわかった。ブルボン小林が『天才バカボン』を語っている語り口のおかげで。

 リリー・フランキーの『東京タワー』も、親友の名前がバカボン。
 バカボンもブルボンも天才ですね。

 さて、ブルボンである。
 新潟でおせんべ焼いてたお菓子メーカーが、「北日本製菓」から「ブルボン」に社名変更したあと、一瞬だけ高級菓子っぽくみえたときがあった。
 社名変更当初、テレビCMにカトリーヌ・ドヌーヴを使って、世間様をあっと言わせたのだ。

 カトリーヌが「ブルボン」という社名をきいて、ブルボン朝と、なんぞ関わりがあるのかいなと勘違いして、出演を承諾してしまったのだというウワサ。
 ブルボンといえばフランス、フランスといえばカトリーヌ、という発想でたどりついたドヌーブにCM出演を承諾させたのはどこのどなただったか、回想記が読みたい。

 ドヌーブの自分史の中では、この「ブルボン朝とは縁もゆかりもない元・北日本製菓」のCMに出演したことは、「大女優の思い出に残る仕事」として記憶されているのかどうか、ぜひ突撃芸能レポーターの果敢なるインタビューを待ちたい。

 カトリーヌ効果が失せると、一瞬の「スターの輝き」は消えて、たちまちスーパー投げ売り品コーナーの袋菓子というイメージが定着したが、おせんべ焼いていた北日本製菓の時代よりは格段に全国区になった。ブルボン様さまである。

<つづく>
10:52 |


2007/02/12 月
ことばのYa!ちまた>ぐっときた(6)ミッキーとブルボン

 「安川素絢斎」「堺枯川」「三木露風」「滝廉太郎」となると、何だかエラソーな感じがする。
 その名を知らなくても、なんだかわかんないけれど、きっと立派なことした人なんだろうって、思える。

 一方、ミッキー安川、フランキー堺、ジェームス三木、ピエール瀧。このパターンのネーミングだと、どうしても「バタ臭くて陽気で軽い」感じがします。

 フランキー堺のように進駐軍時代にバンド活動などしたんだろうなあという雰囲気がするネーミング。
 ミッキー安川のように「オレはアメリカ留学して、英語ぺらぺらなの」っていう感じがとても安上がりに思えるネーミング。
 総じて「カタカナ名+漢字苗字」は、屁力で浮きそうな気がする。

 ジェームス三木なんか、仮面夫婦やら「春の歩み日記(交情のあった女体の採点簿)」やらという、実にアクの強いスキャンダルが元・妻によって暴露されたのに、暴露をものともせずシナリオ作家として生き残ってきた。
 (最新作は稲森いずみ主演『忠臣蔵 瑤泉院の陰謀』2007年1月2日放映。長いから見なかったけど。)

 むろん、才能もあるのだろうけれど、仮面も女体採点も、「ジェームス」だから、ま、いいか、という筆名の軽さが作家イメージを救ったのではないか、と私は推測しておる。
 これが、「三木清泉(本名)」だと、清いイメージが崩れたあとは、ぐずぐずになったのでは。
 
 どうして、ナンシー関とか、ブルボン小林とかの名前だと、「軽さと気楽さ」が醸し出されるのかっていうのを考察していたら、ジェームス三木やミッキー安川のイメージまで思い至りました。言語学的ネーミング考察です。

 一方、藤ジニー蓮實シャンタル、桐島ローランド滝川クリステル木村カエラ山本モナ、など、「漢字苗字+カタカナファーストネーム」だと、「うちらの親や夫は由緒正しき日本人どすぇ」(なぜ京都弁?)という感じになって、「歴とした家に突如金髪の妻がやってきた感」やら、「日本娘が外国人と結婚してハーフが生まれました感」が醸し出される。やたらなことでツッコミいれると、フランス語やノルエー語で叱られそうな気がする。

 ブルボン小林の『ぐっとくる題名』は、本などのタイトルを評しているコラム集。
 本のタイトルをとりあげ、なぜそれが受けたのか、分析している。

 ネーミングというのは、応用言語学のひとつの分野。言語学教科書のなかでも、一章をつかって講義されている。

<つづく>
===============
もんじゃ(文蛇)の足跡
(注)「安川素絢斎」江戸中期の画家。「堺枯川」は、明治の社会主義者、堺利彦。「三木露風」は『赤とんぼ』の詩人。「滝廉太郎」は『荒城の月』の作曲家です。
 藤ジニーは銀山温泉の金髪女将アメリカ出身。蓮實シャンタルは評論家蓮見重彦の妻フランス出身。桐島ローランドは写真家。桐島洋子の息子、江角マキコと離婚。滝川クリステルはニュースキャスター。木村カエラは歌手。山本モナはタレント。

 (↓を受けての追記)モナが民主党議員との路上キスシーンを激写され、ニュースキャスターから降板されても、すぐさま北野武がタレントとして復帰させることができたのも、モナって名のイメージなら「不倫スキャンダルも逆手にとれる」と、ビート殿が判断したんじゃないかしらん。
 山本清子とか山本貴子だと、アナウンサーにはいいけれど、かぶりもので登場するのは似合わないもん。

00:01 |


2007/02/13 火
 ことばのYa!ちまた>ぐっときた(7)ブルボンとピエール

 一般ピープルがネーミングに頭をひねるのは、子供が生まれたときくらいのもんだが、商品ネーミングとなると、「売れるか売れないか」の重要な要素で、社内ネーミングプロジェクトやネーミング専門会社が知恵をしぼっている。

 本や歌のタイトルも、題名ひとつで売れ行きが異なる。
 『ぐっとくる題名』に登場するタイトル「ゲゲゲの鬼太郎」「勝訴ストリップ」「部屋とYシャツと私」「ツァラトストラかく語りき」「11人いる!」「少年ケニヤ」「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」「にょっ記」などなど。

 ブルボン小林は、言語学なんぞを持ち出さずに軽快にネーミングの要を語っているのだけれど、日本語の音声と意味と語構成について、凡百の言語学専門書より鋭い感覚で迫っていて、言語学日本語学の授業でも『ぐっとくる題名』が使えそう。(ツーカ、後期の日本語学&社会言語学の授業で使おっと)
 
 言語学などと言い出すと、とたんに堅くて無味乾燥に思えてしまうが、『ぐっとくる題名』とにかく笑える。(ほんとは言語学もおもしろいんです。『言語学の散歩』とか、笑えます)
 『ぐっとくる題名』については、いずれゆっくり日本語学がらみで語りたいです。

 『ぐっとくる題名』で分析されている本のタイトルの中で、ばかばかしくて笑えるネーミング。たとえば『屁で空中ウクライナ』。
 電気グルーブのピエール瀧のエッセイ本のタイトルです。
 このだじゃれ自体は、地理の授業に退屈した中学生あたりが思いつきそうなものであるけれど、それをそのまま本のタイトルにするのは、なまじっかなことじゃできない。

 タイトルしだいで売れるも売れないも決まるというに、本屋のカウンターへ行って、レジにお客さんが並んでいる前で、書店員に「すいません、あの、『屁で空中ウクライナ』ってゆー本、探してるんですけど、『ヘデクーチューウクライナ』ありますか」って、大声で頼めるかってことになると。

 「ヘデクーチュー」を、ウクライナ語とかロシア語の、ちゃんとした意味があることばなのかも知れないと、まじめに検索してくれる書店員もいるかもしれない。

 私は「エリエリ・レマ・サバクタニ」という音のひびきを耳にして、「怪しげな星占いの呪文みたいなことばだ」と思った。このフレーズが、「神よ神よ、なぜゆえ我を見捨てたもうか」という旧約聖書詩編を引用したイエス最後のことばだということを、青山真治の映画のタイトルになるまで知らなかった。

 「はい、かしこまりました、ヘデクーチュー、ウクライナですね。少々お待ち下さい」と、検索画面に打ち込んで『屁で空中ウクライナ』が画面に立ち上がったとき、書店員が「プッ」と、屁のような笑い声をあげたとき、平然としているのはむずかしい。いっしょに照れ笑いするしかない。

 電気グルーブを知らなくても、ウクライナという国家が地図上のどこにあるのか知らなくても、笑える。
 ばかばかしさが気に入ったので、すでに何度かこのシリーズ中に登場させてますが、何か。

 私、ピエール瀧については役者として、『Allways三丁目の夕日』の氷屋や、『ゆれる』の刑事役で見ただけなのだけれど、きっとエッセイの才能も花開いているのだろうと、読む気にさせる、オバカなネーミングです。
 電気グルーブのライブでは、ピエール、力をこめて放屁し、きっと空中浮遊するんだろうなあと、想像できます。いや、ほんとに。

<つづく>
00:00 |


2007/02/14 水
ことばのYa!ちまた>ぐっときた(7)ブルボン小林『ぐっとくる題名』

 マッキー光永『ろくでなし(129)』に出てくるデリバリヘルスの店名「ヤマトナデ”シコシコ”」。このネーミングを文章中に登場させるタイミング、絶妙です。
 電柱へのビラ貼りとビラ剥がしのアルバイト同士の緊迫の対決も、笑って脱力してしまう。
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/mackychan/diary

 人様の日記は笑って楽しんでいるが、どうも私の書く日記は、「不幸自慢」やら「よい人ぶりっこ」になっていく一方で、笑えない。
 アントニオ・KJr.さんからも、「もうちょっと笑える文章なら読む気になれるのに」という感想をいただいたことがある。

 こればかりは、資質才能の問題で、笑いをとるのは、漫才落語でも文章でも一番高度な技ですから、私ごときがなまじっかな笑いをとろうとするとたいていスベります。

 『ぐっとくる題名』の中、ブルボン小林は、ネットに増殖し続けるウェブ日記について「ネット日記は、自己愛が肥大化していく」と、書いている。

 あれ?『末端通信』の中に書いてあったんだっけな。
 読むときは寝っ転がって読むか電車の中かどちらかなので、いつも読み流し。メモとったり、付箋貼ったりっていうことはしないので、何がどこにかいてあったか、あいまい。
 ま、とにかく、書いてあった。

 すぐ人のことばに影響される私は、たちまち、「おっとお!わたし、こんな苦労してきました」なんてウェブ日記に書くのは、自己愛肥大化の極地って思われちゃうよねぇ、そんじゃ、私の苦労はたいしたことありませんっていうExcuseをいれとかなくちゃ。

 というわけで、「私の苦労は苦労といえるほどのものじゃありませんのに、苦労したとか語っちゃって、すみません」というおことわりつきで、「ブルボン小林」は面白いです、という読書日記を書きました。ついでにというか、こっちが肝心だったのだけれど、ネーミングと語のイメージについて、書きました。

 今回は「カタカナ名前の人」というコンセプトで並べたので、私が好きなほかの「笑わせてくれる書き手」である井上ひさし、宮沢章夫、三谷幸喜などは割愛しました。
 これにて、私と娘がはまり、ふたりが愛好する「笑わせてくれる書き手のうちカタカナ名前の人」の紹介、「ぐっときた」シリーズはおひらき。

<おわり>

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