いろんな人がいろんなことを言う。
個人的な意見なら極端な発言も、まぁ、許される。だが、公的な立場にある人の発言には、中立・公平さが求められる。
しかし、そもそも公平な発言というものはありうるのだろうか。
例えば、TVのコメンテーターはいろいろなことを言うが、その発言は番組やスポンサーの意向に反しない範囲でなされる。
番組側には誰を使うかの選択権がある。スポンサーがお金を出している以上、スポンサーの利益を侵害する発言はできない。とすると、その発言は性格な意味では、公平とは言えない。
他にも例がある。
今回のサブプライムローンの問題の格付け会社である。今回の金融危機は、格付け会社がサブプライムローンを公平に判断しなかったことから起こったともいえる。
格付け会社も、公的な機関ではなく、営利で事業をおこなっている。だから、なかなか厳しい審査ができない。審査を厳しくすれば使ってもらえないからだ。
そのような状況では、中立性は担保できない。
もう忘れているかもしれないが、日本のもマンションの耐震性の審査も同じようなものだった。
これらの問題は資本主義に内在する問題である。利害が絡む以上、判断の中立性は、保たれない。
では、どうすればいいのか。
それは、いろんな意見があることを前提として、受け取る私たちが、中立に判断することで、偏った判断を避ける。
だから、一方的な情報だけでなく、多種多様な情報を仕入れるべきである。その中で自分の責任において判断する。
その方法が、一番いいように思う。
それは、いろんな意見があることを前提として、受け取る私たちが、中立に判断することで、偏った判断を避ける。
だから、一方的な情報だけでなく、多種多様な情報を仕入れるべきである。その中で自分の責任において判断する。
その方法が、一番いいように思う。로또디비