完全に物語は終わっておらず、多分、ねじまき鳥の時と同様に続編が出ると思われる。
したがって、まだ全体としての評価はできない。
また、読んでいない人のためにもあらすじをあんまり明かすわけにはいかないから内容に突っ込んでいくのはやめたほうがいいだろう。
ただ今の時点で私なりの解釈をすれば、信仰の話なんだろうと思う。
ニーチェは「神は死んだ」と言った。
現代においては無神論は強力な思想である。
その中でこの小説は、信仰に関わる問題を提起しているように思われる。
「信仰とは熱望の形をとった愛である」と誰かが言っていた。
自分の所有するものをすべて捨て去って、何もかもなくなってしまった後に、最後に心の中に残るものかが信仰になりうるかもしれない。
それは必ずしも神の形をとる必要はない。
平和、友情、愛など善なるものの中に暴力が潜んでいるし、愛情表現がいびつときもある。口当たりのいい甘言はあてにならない。
人間は善のみでは生きれない。
光のあるところに必ず影ができるのと同じことだ。
自分の悪を感じながら、善なるものを考えていかなくてなならない。
(しばし洞窟観音の写真に魅入ってしまいました。)
私はけっこうスキキライがはっきりしてるほうなのですが
この作品だけはまだ得体がしれない感じです。
ただ、ジワジワ侵食されてるのは確かで
すっかり村上春樹の術中に(勝手に;)はまってるかも。
>自分の中の悪を抱えながら信仰を考えていかなくてなならない。
「信じる」ということがキーになってる気がします。
それも他者依存ではなく、自分の責任として
自分の生きる「物語」を引き受ける。
天吾、青豆とともに、読者もその自覚を問われてるような気がしています、今は。