ダーティーハリー症候群という病気がある。変な病気だが、新人の警察官がかかるらしい。
正義のためなら、悪党を撃ち殺していいという心の病だそうだ。
正義。
なかなか魅惑的な言葉だ。しかし、非常に扱いにくい言葉でもある。
正義と暴力は密接にリンクしている。
「不謹慎刈り」も、正義を振りかざした言葉の暴力だ。
不謹慎刈りとは、地震やコロナみたいな災害が起こった時に、ちょっとした悪気のない発言を不謹慎だといい、批判や誹謗中傷の言葉を浴びせることだ。
最近は、ナイナイの岡村さんが、風俗嬢に関する発言で、ひどい目に遭っている。
下品な発言だとは思うが、そこまで叩くことか、とも思う。
正しさは、すごく変化する。時代や地域が変われば、正しさも変わる。
他人に対して、もう少しゆるーい感じで、寛容さが必要なのではないか。
最後に、正義の古典的問題を出そう。
トロッコ問題。
線路を走っているトロッコが、制御不能になった。
このままトロッコが進めば、自分の子供が轢き殺されてしまう。
自分はちょうど線路の分岐点にいて、切り替えレバーを握っている。
レバーを切り替えると、その先に、10人の幼児が遊んでいる。
あなたは、10人の幼児を助けるか、それとも自分の子供を助けるか?
どうですか?
僕はその時になってみないと、わかりませんが、多分、自分の子供を助けてしまうような気がします。
それって間違ったことですか?
いわゆる功利的な観点から考えると、1人より10人を助けるのが正解でしょう。
そうすると、僕の選択は間違いかもしれない。
もう少し突っ込みますね。数字は適当ですが。
コロナ自粛で、1000人助かる。しかし、経済問題で1万人の自殺者が出る。
自粛解除で、コロナに感染し1000人死ぬ。しかし、経済問題は解決する。
これも、トロッコ問題の応用です。
何が正しいのか、よく分かりませんね。
どっちを選んでも、かならず責められる。
でも、その中で、僕たちは決定していかなくてはなりません。
何が正義なのか分からないままね。
心に沁みました。
どういたしまして。
頑張ってくださいね。応援してます。