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フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

正義について、ちょっと考える

2020年05月05日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

ダーティーハリー症候群という病気がある。変な病気だが、新人の警察官がかかるらしい。

正義のためなら、悪党を撃ち殺していいという心の病だそうだ。

正義。

なかなか魅惑的な言葉だ。しかし、非常に扱いにくい言葉でもある。

正義と暴力は密接にリンクしている。

「不謹慎刈り」も、正義を振りかざした言葉の暴力だ。

不謹慎刈りとは、地震やコロナみたいな災害が起こった時に、ちょっとした悪気のない発言を不謹慎だといい、批判や誹謗中傷の言葉を浴びせることだ。

最近は、ナイナイの岡村さんが、風俗嬢に関する発言で、ひどい目に遭っている。

下品な発言だとは思うが、そこまで叩くことか、とも思う。

正しさは、すごく変化する。時代や地域が変われば、正しさも変わる。

他人に対して、もう少しゆるーい感じで、寛容さが必要なのではないか。


最後に、正義の古典的問題を出そう。

トロッコ問題。

線路を走っているトロッコが、制御不能になった。

このままトロッコが進めば、自分の子供が轢き殺されてしまう。

自分はちょうど線路の分岐点にいて、切り替えレバーを握っている。

レバーを切り替えると、その先に、10人の幼児が遊んでいる。

あなたは、10人の幼児を助けるか、それとも自分の子供を助けるか?


どうですか?

僕はその時になってみないと、わかりませんが、多分、自分の子供を助けてしまうような気がします。

それって間違ったことですか?

いわゆる功利的な観点から考えると、1人より10人を助けるのが正解でしょう。

そうすると、僕の選択は間違いかもしれない。


もう少し突っ込みますね。数字は適当ですが。

コロナ自粛で、1000人助かる。しかし、経済問題で1万人の自殺者が出る。

自粛解除で、コロナに感染し1000人死ぬ。しかし、経済問題は解決する。

これも、トロッコ問題の応用です。

何が正しいのか、よく分かりませんね。

どっちを選んでも、かならず責められる。

でも、その中で、僕たちは決定していかなくてはなりません。

何が正義なのか分からないままね。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (くぁんみい)
2020-05-05 08:42:13
ありがとう。
心に沁みました。
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Unknown (niet439)
2020-05-05 08:44:13
くぁんみぃさんへ
どういたしまして。
頑張ってくださいね。応援してます。
返信する

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