昨日、秩父の熊倉山に行ってきた。秩父は奥多摩に比べ遠いし、標高1500m以上の山がないので、あまり行かない。140号線から見える武甲山は秩父のランドマーク的存在で、形がよく本当にカッコイイ山である。ただ、セメント採掘のため山容が見るも無残な形になってしまっている。あれを見るとなんだかなぁと思ってしまう。しかし、私たち外部の者には分からないいろんな事情があるようだ。
秩父と奥多摩を比べるのはどうかと思うが、山を挟んで向こうとこっちの関係にあるから少しだけ比較してみると、秩父のほうがかなり経済的に発展している印象がある。
奥多摩から甲府へと続く411号線は道も狭いし店といえばコンビニくらいしかない。一方、秩父の140号線は道が広く飲食店もガソリンスタンドもいろんなものがそろっていて、都会というほどではないが、山村の田舎とはいえないくらい発達している。両者は同じ山間地域なのに、かなり違う。具体的な数字を挙げることはできないが、見ただけで秩父のほうが経済的には圧倒的しているのが分かる。この経済的な差は、秩父から採掘される石灰石、つまり、セメントによるものだ。秩父はセメントによって相当経済的に潤っていたといえる。
しかし、日本の長期の不況によるマンション建設などの停滞や公共事業の削減から、セメントの需要がかなり減ってきた。そして、ちょうど一年くらい前の、2010年2月に太平洋セメントが、子会社の秩父セメントのセメント生産を中止した。秩父の経済を支えてきた基幹産業は、なんといってもセメントだったから、このセメント生産中止から、急激に経済が疲弊していくことになる。
山から下りて秩父線の白久駅に向う途中、かなりの数の民家が道を挟んで並んでいる。まだ建てたばかりのような新しい家もある。なのに人が住んでいない。別荘なのかと思っていたが、どうやら違うようだ。本当のところはわからないから推測するしかないのだが、多分、セメント生産中止によりまたそれに関連した仕事がなくなったために、生活出来なくなった者たちが、どこかに引越ししたのではないかと思う。
あの廃墟を見るとなんともいえない物悲しさを感じてしまう。まだまだ住めるので、買い取って住みたいなぁと思ったくらいである。しかし、もちろん、仕事がないから生活できない。
思うのだが、あのような使える廃墟(正確に言うと廃墟ではない。まだ新しいから)を震災で困った人達に貸し出したらどうかと思う。50人くらい簡単に生活できるようになる。
これから、東北復興のためにいろんな建物を建設しなければならないから、セメントの需要が増大していくことが予想される。そうすると、秩父のセメントが必要とされる日が来るかもしれない。まぁ、そのような事態になると、経済的には潤うのだけれど、武甲山は削られもっと惨めになっていく。
熊倉山登山
8:20 武州日野駅出発
9:20 熊倉山登山口到着 途中、道が分からなくなって、寺沢集落の爺さんに道を聞く。大学生に間違われる。「大学生かい」と聞かれ、「もう少し上です」、と答えると、「大学院かい」と言われる。「いやいや、もう少し上です」と言うと、黙ってしまった。多分、大学院より上の学校を考えていたのだろう。私が言ったのはそういう意味ではないのだけれど。それにしても、いくらなんでも大学生はないよなぁと思う。もういい年なんだから。
9:40 一ツ橋 仁田沢沿いに歩く。綺麗な沢でなかなかいい。
10:15 三又 これから先は急坂の杉林である。
10:30 官舎跡
11:20 水場 水場というがどこにあるのか雪で分からない。もうすでにアイゼンをつけている。雪が深くてつけないと登れない。
11:35 笹平 平らという名前のとおり平らな場所なので、ここで昼食。ただただ寒い。こんなところでじっとしてなんかいられない。
12:30 林道分岐点
12:40 頂上 今回は鍛え方が半端ではなく、体力的に最高の状態にあったので、軽く登れた。しかし、少し体調が万全ではなければかなりきつい山だと思う。年に3人くらいの遭難者が出るらしい。迷う事でも有名な山である。多分きつくて判断力が鈍るのだと思う。しかし、落ち着いていれば、道標の赤いテープがところどころにあり、問題はない。
13:50 営林署小屋跡
14:50 谷津川
15:20 白久駅
秩父線の車掌さんたちは、非常にフレンドリーで親しみ易い。埼玉の人達はおっとりしていて優しいということを良く聞くが、これは経験的に本当である。奥多摩の人達が不親切というわけではないが、奥多摩の人に道を聞いても必要以上のことは話さない。しかし秩父の人は本当に親切である。道を聞くと心の中でもう分かりましたから行かせてくださいと思うほど(笑)、親切に教えてくれる。そして、まったく知らない私にもきちんと頭を下げて挨拶してくる。本当に素晴しいと思う。経済的にこれからどうなるか分からないが、頑張ってもらいたいものである。