思考の踏み込み

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黄色4

2014-07-18 07:34:03 | 
アマランスはなぜ青でなく赤だったのかー?

こう考えてみるだけで、近代人が色彩感覚までそれまでの前近代のモノと変質していった可能性を考えてみる必要が見えてくるが、それは単に交感神経と副交感神経の問題であるかもしれず、この疑問はただの思考の遊びに終わるかもしれないが、今回のテーマはほぼ思考上の "踏み込み" までいかない、遊びに近い内容なのでそれもまた可として続ける。

例えばルノワールは語っている。

" ー 私は赤を響かせたい!
うまくいかないのなら、効果の出るまで赤を足し、他の色を補う… "



この言葉にはルノワールが対象と、あるいは "赤" そのものと、完全に溶け合いたいという表現者としての純粋極まりない叫びが良く現れている。

彼は近代人であるが、その枠にとどまらない真の芸術家の一人といえよう。


世に表現者と呼ばれる人は腐るほどいるが、そのほとんどはルノワールの様に表現したい内容を持たない者がほとんどである。

( 彼らはルノワールの言葉に当てはめるとすれば、私は売れたい!目立ちたい!という程度であり、全存在を懸けて表現したい内容など持っていない。
そういう者の作品は絵であれ、音楽であれ、演技やお笑いであってさえ、その中身の薄さはその表現にそのまま表れる。…これは余談。)




さて ー 青い空気感を纏って過ごした日々を少し変えたい、なんとなくそう思ったとき、自然とある色が浮かんだ。

ー 黄色である。


Yellow Diamond。美し過ぎる。

ある色を見つめておいて、真っ白な背景に目を移すと何もないはずなのに違う色が浮かび上がる。

これを補色の原理というが、青の補色は黄色である。
(正確には光の補色が青と黄。色の補色は青とオレンジとなる。)

なぜ補色などという生理現象が起こるのかはよくわからないが、血圧が常に高低の調整をはかる機能がある様に、そこには生命の持つバランス感覚が認められる。

色一つとっても、深く思考を踏み込ませていけば、命の持つ果てしない世界が姿を現しはじめる ー 。

その、黄色について少し触れてみようというのが今回のテーマなのだが、ついついこの "青" という好きな色について深入りし過ぎて、そこからさらに派生して "赤" についてや、色彩論だったり芸術論に飛びかけてしまったのでここから修正。