思考の踏み込み

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過去帳其の二 9

2014-07-11 00:10:52 | 日記
以上の様に考えてくると、"孤独" とは必ずしも悪い言葉ではない。

孤独が好きな人間はそこにある張り詰めた緊張感であったり、研ぎ澄まされ高められ、他の介入を受け付けないほどの澄み切った感覚が好きなはずである。

私などは逆にこうした感覚のない平穏な暮らしを思うと、とてもやりきれなくなってしまう事さえある。

孤独である時間があまりにも長かった ー と初めに述べたが、その境遇を選択してきた理由はこうした気質の問題に行き着くのかもしれない。



天才と呼ばれる者たちは皆孤独である。それはその天才性故に、同じ次元を共有できる者がいないからである。

達磨が壁に向かって九年も座り続けなければならなかった孤独感は我々凡人には窺い様もない。
もちろん、私自身はただの凡人でしかも弱き者に過ぎないから、その孤独性はこうした天才達のモノとは質が違う。

それで良いと思っている。
初めから高みにいる "天才" 達の人生より、自分の様な弱き者が一段一段、ゆっくりとではあるが登っていく事は、時にしんどい事もあるが、けっこう楽しいからだ… 。





後記 : 本ブログにおける投稿は全てこの、一段ずつ登ってきた過程で見つめたこと、気付いた事の記録であり、主題は異なれどどれもがその先に繋がるモノとして書いているものである。

それをこの辺で明確にしてみても良いかと思いあえて過去帳から、本来他人の目にふれさせる様な内容でない個人的な記録を抜き出してみた。
(途中、強引な論理の展開もあったがあえて当時のままにした。)

それが ー もし自分の様に低い段から上がる必要のある人達の、何らかのお役に立つことがあれば幸いである。



ー だが、今振り返ってみてもやはり孤独とは辛いモノである。

自己の弱さが招く孤独程度ならば、それを変えれば良いだけだが、本当の意味で ー なす術のない真の孤独を味わった事のある者であれば ー その寂しさ、悲しさは辛いなどという安易な言葉ではとても言い切れるものではない、と言うだろう。

だからこそ人間は社会的生物なのであるし、より人を愛する事ができるのだと思う。

今や ー ずいぶんと永い付き合いとなった我が友 "孤独" も、いずれは良き隣人くらいの関係にしたいものである。