今午後2時45分くらいですが、いちにち降ったり止んだり、空はどんよりとして重く、気分も落ちこみがちになります。
(朝9時頃です。霧雨が降っていました。)
( 何の涙? )
今朝の新聞を見て、その強烈な悲しみと怒りにショックをうけました。 朝日新聞(従軍慰安婦の件で、今後自民党とどのようなバトルになるのでしょうか?)の「ザ・コラム」で、「戦後69年 抑えきれない怒りの行方」として、編集委員の大久保真紀が書いていました。
『祖母のうた』という山形県上山市在住の農民詩人 木村迪夫 さんの詩の抜粋が載っていました。それで全部読んでみたいと思い、ネットで調べました。 正しくは、木村さんのおばあさんが、戦後突然歌い出した歌を、「祖母のうた」として記録したものです。
記事では、【祖母は「皇国の母」だった。次男が太平洋の孤島で戦死したことが伝えられたときは、「名誉の戦死」として赤飯を炊いて祝った。だが、1946年5月木村さんの父で、農家の跡取り息子だった長男が、出征先の中国ですでに病死していたことがわかると、一転した。蚕室に三日三晩こもって泣き明かし、その後、ご詠歌の節回しで即興的に歌い始めた。蚕の世話をしながら、祖母は10年、呪うように歌い続けた。祖母は字が書けなかった。】
『祖母のうた』
ふたりのこどもをくににあげ
のこりしかぞくはなきぐらし
よそのわかしゅうみるにつけ
うづのわかしゅういまごろは (うづ=家)
さいのかわらでこいしつみ
おもいだしてはしゃすんをながめ (しゃすん=写真)
なぜかしゃすんはものいわぬ
いわぬはずじゃよ
やいじゃもの (やい=焼き付けたもの)
じゅうさんかしらで
ごにんのこどもおかれ
なきなきくらすは
なつのせみ
にほんのひのまる
なだてあか(が)い
かえらぬ
おらがむすこの ちであか(が)い
おれのうたなの
うただときくな
なぐになかれず
うたでなく
全国戦没者追悼式の首相の式辞を読みましたか。 今年もアジア諸国への戦争加害責任や不戦の誓いには触れなかったですが、「いまだ、ふるさとへの帰還を果たされていないご遺骨のことも、決して忘れません。」なんてことをシャーシャーと言っています。
本当に「御霊安かれと」祈っているのであれば、それだけでいいのですか。去年靖国神社に公式参拝したときも、たんに「御霊安かれと」祈っているだけなのですか。何と安上がりな慰霊でしょうか。
本当に国のために命を捧げた国民一人ひとりの霊を慰める気持ちがあるのであれば、なぜ70年近くも異国の地に眠る軍人・軍属・民間人の遺骨を誠意をもって一人残らず拾い集めるということをしないのか。 まだまだ何万、何十万の御霊は野晒しのままで地に返って行っているはず。
本当に「平和への誓いを新たにするする」というのであれば、アジアの国々に眠る水漬く屍はもとより、戦地に向かう途中で撃沈された輸送船に乗っていた軍人・軍属の遺骨も出来うる限り収集すべきではないのか。
今まで何度でも言って来ましたが、大半の軍人は軍人らしい死に方(それ相応の武器を持っての戦いの結果)とは無縁の死に方をして死んでいったのです。 集団自殺行為の万歳攻撃、万歳攻撃で死んだのならまだしも病死、餓死が大半、輸送途中での水死も多数に上っています。
死んだのは、死ななければならなかったのはなぜか、武器弾薬がない、医療設備も乏しく、輸送がままならず、食料さえ手に入らない、敵と戦う前に飢えや病気との戦いを乗り越えなければならない。 その敵とはだれか。 鬼畜米英です。 アメリカです、イギリスです。
アメリカからの攻撃から自分の家族を郷土を守るために、空襲等の攻撃がが少しでも遅くなるようにとの願いで戦地で戦った。 長いこと野晒しのまま捨て置かれた。
それが70年経ってみると、今度はアメリカの先兵、海兵隊たらんとしている日本の自衛隊(間もなく国防軍)、集団的自衛権なんて分かったようなわからないようなことを言っているが、なんのことはない、アメリカのために役に立とう、アメリカのために戦おう、アングロサクソンの死亡を減らすためにモンゴロイドが真っ先掛けて犠牲になろうというのですから呆れてしまいます。
14日の朝日新聞の東北版の記事のひとつです。 「海と時をこえて 東北戦後69年」というシリーズものです。 岩手県奥州市のNPO「太平洋戦史館」の岩渕宣輝さんのことば。
『兵隊さんの遺体も遺留品も、まだ戦地に横たわっている。戦後処理が終わっていない証拠だ。』
『遺骨収集というが、倒れたままで末期の水も飲めずにいる兵隊さんは、遺骨ではない。きちんと弔って初めて”遺骨”になる。』
今年の盆はおとなしくしていようと思っていましたが、やはり言いたいことは言わないと死にきれませんので。