鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

まるで梅雨空

2014-08-16 14:41:25 | お知らせ

 今午後2時45分くらいですが、いちにち降ったり止んだり、空はどんよりとして重く、気分も落ちこみがちになります。

            (朝9時頃です。霧雨が降っていました。)

   

      

       

                       ( 何の涙? )

             

 

 今朝の新聞を見て、その強烈な悲しみと怒りにショックをうけました。 朝日新聞(従軍慰安婦の件で、今後自民党とどのようなバトルになるのでしょうか?)の「ザ・コラム」で、「戦後69年 抑えきれない怒りの行方」として、編集委員の大久保真紀が書いていました。

 『祖母のうた』という山形県上山市在住の農民詩人 木村迪夫 さんの詩の抜粋が載っていました。それで全部読んでみたいと思い、ネットで調べました。 正しくは、木村さんのおばあさんが、戦後突然歌い出した歌を、「祖母のうた」として記録したものです。

 記事では、【祖母は「皇国の母」だった。次男が太平洋の孤島で戦死したことが伝えられたときは、「名誉の戦死」として赤飯を炊いて祝った。だが、1946年5月木村さんの父で、農家の跡取り息子だった長男が、出征先の中国ですでに病死していたことがわかると、一転した。蚕室に三日三晩こもって泣き明かし、その後、ご詠歌の節回しで即興的に歌い始めた。蚕の世話をしながら、祖母は10年、呪うように歌い続けた。祖母は字が書けなかった。】

 

                  『祖母のうた』

 

 ふたりのこどもをくににあげ

 のこりしかぞくはなきぐらし

 よそのわかしゅうみるにつけ

 うづのわかしゅういまごろは  (うづ=家)

 さいのかわらでこいしつみ

 

           おもいだしてはしゃすんをながめ  (しゃすん=写真)

      なぜかしゃすんはものいわぬ

      いわぬはずじゃよ  

      やいじゃもの          (やい=焼き付けたもの)

 

 じゅうさんかしらで

 ごにんのこどもおかれ

 なきなきくらすは

 なつのせみ

 

          にほんのひのまる

       なだてあか(が)い

       かえらぬ 

       おらがむすこの ちであか(が)い

 

 おれのうたなの

 うただときくな

 なぐになかれず

 うたでなく

 

 全国戦没者追悼式の首相の式辞を読みましたか。 今年もアジア諸国への戦争加害責任や不戦の誓いには触れなかったですが、「いまだ、ふるさとへの帰還を果たされていないご遺骨のことも、決して忘れません。」なんてことをシャーシャーと言っています。

 本当に「御霊安かれと」祈っているのであれば、それだけでいいのですか。去年靖国神社に公式参拝したときも、たんに「御霊安かれと」祈っているだけなのですか。何と安上がりな慰霊でしょうか。

 本当に国のために命を捧げた国民一人ひとりの霊を慰める気持ちがあるのであれば、なぜ70年近くも異国の地に眠る軍人・軍属・民間人の遺骨を誠意をもって一人残らず拾い集めるということをしないのか。 まだまだ何万、何十万の御霊は野晒しのままで地に返って行っているはず。

 本当に「平和への誓いを新たにするする」というのであれば、アジアの国々に眠る水漬く屍はもとより、戦地に向かう途中で撃沈された輸送船に乗っていた軍人・軍属の遺骨も出来うる限り収集すべきではないのか。 

 今まで何度でも言って来ましたが、大半の軍人は軍人らしい死に方(それ相応の武器を持っての戦いの結果)とは無縁の死に方をして死んでいったのです。 集団自殺行為の万歳攻撃、万歳攻撃で死んだのならまだしも病死、餓死が大半、輸送途中での水死も多数に上っています。 

 死んだのは、死ななければならなかったのはなぜか、武器弾薬がない、医療設備も乏しく、輸送がままならず、食料さえ手に入らない、敵と戦う前に飢えや病気との戦いを乗り越えなければならない。 その敵とはだれか。 鬼畜米英です。 アメリカです、イギリスです。

 アメリカからの攻撃から自分の家族を郷土を守るために、空襲等の攻撃がが少しでも遅くなるようにとの願いで戦地で戦った。 長いこと野晒しのまま捨て置かれた。

 それが70年経ってみると、今度はアメリカの先兵、海兵隊たらんとしている日本の自衛隊(間もなく国防軍)、集団的自衛権なんて分かったようなわからないようなことを言っているが、なんのことはない、アメリカのために役に立とう、アメリカのために戦おう、アングロサクソンの死亡を減らすためにモンゴロイドが真っ先掛けて犠牲になろうというのですから呆れてしまいます。

 

 14日の朝日新聞の東北版の記事のひとつです。 「海と時をこえて  東北戦後69年」というシリーズものです。 岩手県奥州市のNPO「太平洋戦史館」の岩渕宣輝さんのことば。

 『兵隊さんの遺体も遺留品も、まだ戦地に横たわっている。戦後処理が終わっていない証拠だ。』

 『遺骨収集というが、倒れたままで末期の水も飲めずにいる兵隊さんは、遺骨ではない。きちんと弔って初めて”遺骨”になる。』

 

 今年の盆はおとなしくしていようと思っていましたが、やはり言いたいことは言わないと死にきれませんので。

 


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涼しいです、平和祈念日

2014-08-15 11:07:30 | お知らせ

 いやあきのうは蒸し暑いといったのに、きょうは朝から涼しいです。 時間の経過とともに逆に涼しくなるような感じでさえあります。 きょうあすと天気は不安定のようです。 気を付けましょう。 きょうも早めに河川敷に行きましたが、珍しく風流な音色が聞こえてきました。 尺八の音色です。涼しい河原にはなぜかぴったりの風景でした。

   

   

 友釣りとガラガケの人がいました。

      

 

 きょうは8月15日。終戦記念日といわれていますが、正しくは敗戦記念日でしょう。でもあえて私は日本全体として”平和祈念日”と呼びたいです。

 きょうは、すでに終わってはいますが、仙台七夕とともに静かに平和を祈念したいと思います。 平和を祈る七夕飾りです。

 

 これは、「平和七夕」の活動をしている市民グループの活動に、故郷の広島市で原爆の被害に遭った仙台市の小林文江さんも加わり、10年間にわたり、鶴を折り続けています。

 

 小林さんは、手の空いたときに、7.5センチ四方の小さな紙で鶴を折っています。 一年かけてコツコツ折る鶴は、毎年1万羽になるそうです。

        

 

 小林さんは、最近は友人や近所のウオーキング仲間も誘い、活動の幅を広げているそうです。

      

               

 平和七夕自体は今年で39年目を迎えました。 

 

 

 折鶴は広島や長崎の被爆2世や、沖縄戦の語り部など全国から送られてくるそうです。

                     

 全国から集まった折鶴は何となんとナント 100万羽 といいます。

 

 

 風化することなく、いつまでも続いてほしいものです。

 

  

 山形中央高校、やりましたね、9回に逆点とは・・・・。途中でもう駄目だなと諦めてチャンネルを代えてしまいました。 スミマセンでした。 まさかまさかの大逆転、信じられません。よくやりました。これでまた公立高校が勝ち進みました。

 それに引き替え東北楽天の無様さは何と表現したらいいのか? 情けなくて情けなくて、高校生の詰めの垢でも煎じて飲め!!とでも言うほかないです。 これで自力での CS進出もなくなりました。何もかもなくなります。 監督だけが残ります。 おかしくないですか?これはどう考えても監督が責任をとるべき状況でしょう。 辞め時も知らないようでは、自分で決められないようでは何をかいわんやの監督です。

 

 最後に、遅くなりましたが、ロビン・ウィリアムズさんの自死、びっくりしました。 CSとかでも映画はみましたが、映画館で見た『グッド モーニング ベトナム』、この映画が忘れられません。軽快なまくしたてるような話しぶり、ベトナムの少年の裏切り?動と静の表情と声の質が抜群でした。とくにこの映画のBGMとして流れてきた ルイアームストロングでしょうか、#ワンダフル ワールド#の歌と画面がマッチして圧倒的な感動を呼び起こされたものです。  

                                   ご冥福をお祈り申し上げます。

 

コメント (2)
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蒸し暑いです、

2014-08-14 14:54:00 | 思いつくまま

 きょうはいつものお盆のように、朝早くから(混まないように)お寺やお墓を回ってきました。 早めに行くとこんなにも混まなくてすむのかと改めて感じた次第です。早寝早起き早くの墓参りはいいことなのでしょうか。

             (午後1時45分頃の撮影です。)

 

        いい流れです、川に入りたい、竿を出したい・・・・

   

 親子が水と戯れていました。母と娘たち

   

 分流の岩盤底にあったカニの抜け殻。 大きかったです、15センチはありました。

                

 美術館下の岩盤の溝にはガラガケの人が入っていました。 見ているときに1匹掛けたのですが、左岸に寄せてきたのになぜかバラシとなったようです。

 

 こちらのガラガケの人は、河原で遊んでいた娘たちのお父さんでした。 ”パパ”という叫び声がいっぱい聞かれました。

                

 これはその娘たちが捕まえた毛ガニです。 大きいカニで、よく採れたなと感心です。写真を撮らせてもらいましたが、なんでこんな奴らに掴まったのか!?と悔しそうな表情に見えましたが・・・。 雨水が流れ落ちるコンクリートの樋の下の水溜りのようなところに居たそうです。

 

 何にしてもこんなに大きい生きたカニを見たのはここ数年なかったことです。

 釣り人はもう一人いました。といっても上流の方でしたが。この人は渓流釣りのようで、ヤマメ狙いのようです。

                  

 

 ちょっとびっくりしたこと。 毎日通っている河原の散歩ですが、実にいろいろなことが毎日あるものです。せいぜい200メートルくらいの距離かな、そこでさえいろんな生命の営みが繰り広げられているわけです。

 その写真見覚えがありませんか?そうです、きのうアップしたショーリョーバッタです。 その抜け殻です。 きのうは脱皮の準備をしていたということなのでしょうか。 だから動きが鈍くおとなしかったのでしょう。

   

            ミイラではないですよね。

                    

  

                       (きのうの再掲)

            

  

 オマケはきのうの夕方のものです。 電線にではなく、アンテナにカラスが3匹止まっていました。 兄弟か、親子か、どうみても何か話し合っているような仲の良さを感じてしまうのですがどうでしょうか。 カラスはよく集団で行動しています。

           

 


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やったぜ、利府!、見たか楽天!

2014-08-13 15:53:14 | 思いつくまま

 今NHKFMを点けたら ベートーベンの第9第4楽章の後半(フーガに入るところ)をやっていました。 いいタイミングです。

 

 きのうの夕方です。東の空にこんなにきれいな虹が出ました。 撮影はケータイです。二重の虹でしたが、何となくお分かりでしょうか。 虹を見たのは何年振りかな?きれいなものです。自然は見事です。

 

 丁度今夏の甲子園、高校野球大会の「利府」対「佐賀北」の戦いを見てきたばかりだからです。 両チームとも投手が淡々と投げて、間延びせず、見ていて気持ちいいものでした。 そこいくとプロ野球は投手が投げる間隔が長すぎます。

             (きょう午前早目の撮影です。)

 

 それにしても”利府高校” 素晴らしい、すごい、まさか甲子園で勝利するとは正直思っていませんでした(すみません)。 公立高校同士の対戦で、しかも相手の佐賀北はかって甲子園で”優勝”したことのあるチームです。

                          

 そこと互角以上に戦って、結果的に 4-2 で勝利してしまった。これはすごいことです。もしかするともしかするかも?しれませんよ。 しかも2アウトから得点しています。 ここは是非とも東北楽天Eには、なにがなんでも見習ってもらわないといけません。

      

 前に書いていますが、ここまで東北楽天がひどい成績のまま抜け出せないのは、ひとえに監督の責任です。ここは是非とも監督は自主的に退陣、辞任すべきです。 健康状態が悪くて監督代行を置かなければならなかった時点で、成績不調と体調不調で責任をとって監督を辞任すべきでした。

    

 やめるタイミングを失ってしまった。これからは醜態を晒すのみです。今からでも遅くはない、即刻辞任すべきです。去年日本一になったのだから、もう思い残すことはないでしょう。今からでも遅くはない、潔く責任をとって監督を辞任すべきです。それしか東北楽天の挽回策はありません。

 

 利府高校を褒めようとしていたのに、楽天の責任追及となってしまいました。 利府高校、偉い、出てくる投手はみんな平常心で投げていたように感じられましたが、これは日ごろの練習の成果であり、平常心を忘れない日ごろの練習の賜物でしょうか。高校生で、初めての甲子園出場の選手だけなのに、ここまでやれるとはチームワークの勝利であり、無欲の勝利なのでしょうか。 これからの戦いが楽しみとなりました。

      

               (親子で水遊びしています。)

 本当はきょう午後から川に入ろうかなと思っていたのです。というのも明日から16日までは三日間殺生等を自粛しようかなと思っていたもので、だから今日の午後ちょっとだけでも竿を出したかったのですが、利府高校の試合を見ているうちにその機会を失ってしまいました。でも悔いはないです。 お盆ですから。

 

 ということできょうは河原で元気に動いている、今を盛りに鳴き叫んでいるセミではなく、セミ以外の昆虫を紹介します。 セミはミンミンゼミ・アブラゼミ・ツクツクホーシの3種類かな。家の柿の木にも止まって朝から鳴いています。 きょうを入れて3日間くらいでの撮影です。

   

                   

    (これは前にも撮りました。)

             

 水面にはこのトンボが似合いますね。

  

 そして嬉しかったのはこのトンボ、”シオカラトンボ”です。ギンヤンマではないですよね。

         

 かってはこのシオカラトンボは水溜りに一杯いたのですが、地面がアスファルトになり、水溜りがなくなってからは見かけないようになりました。 むかしむかしは水溜りに卵を産み付けているトンボをたくさん見かけたじゃないですか。

    

 上の写真は水面の反射とトンボがうまく調和していて、いい写真が撮れたと思っていますが、どうですか?

                 

 このキチキチバッタは毎度のバッタですが、これははじめてです。

         

 

 どうですか、このしましまのある”ショーリョーバッタ”は!!  

            

             おまけ 

 

 


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お盆です

2014-08-12 15:17:25 | お知らせ

 今朝方は眩しいくらいのいい天気でした。しかしそれも午前中のみ、午後からは降ったり止んだりの梅雨みたいな天気となってしまいました。 当分変わりやすい天気が続くようです。

 今朝8時20分頃のいつもの風景です。 雲の形が特徴的です。

 

 分流が本流から流れ込んできて、右にカーブするところの分流の流れです。 濁りは撮れつつありますが、水量は多いですね。

      

    

 朝8時20頃に広瀬川の写真を撮るのは珍しいです。 堤防では近くの男女高校生たちが走っていました。 クラブなのかクラス単位なのか、無線機を持っている人もいました。朝早くなら陽射しもまださほど強くはなく、走るのにはちょうどいいのかも。

    

 

 ところで砂鉄川の鮎です。 持ち帰った鮎を我が家ではこのように料理しました。 砂鉄という語感からも何となくわかるようではありますが、砂鉄川の鮎は内臓に砂が入っているので食べない方がいいらしいです。

 もともと我が家では鮎の内臓(うるか)は食べません。 いつもきれいに内臓を取り払ってから塩焼きにしたりしています。 今回はこうしました。

 (いい鮎でしょう)

 3枚ではなく、2枚におろしました。背骨と内臓を保護している小骨を取り除きました。 その結果が下の写真です。 こうすればだれでもきれいに食べられます。ここまでは私が調理しました。

        

 それを我我太太がフライにしました。 きのうの夜食しましたが、美味かったですね。何というか甘いような感触が伝わってきました。広瀬川よりも美味いかもしれません。 すぐ完食です。

          

 

 「仙台フィルと第九を歌う合唱団」は、8月3日に結団式を行い、さっそく10月の「せんくら」と12月の本番に向けての練習を開始しました。 

 新メンバーですが、名簿を見て愕然としました。 私のパートである”テノール”は社会人だけではたったの15名だったのです。 今まで(5回分)で最低かな。 もともと応募者数が圧倒的に少ないとのことでしたが、それにしても少ない!!東北大学の合唱団も一緒に練習するのですが、それでも少ない。

 いっぽうバスは26人かな。 まあまあの員数です。 アルトとソプラノはともに約60人近くの大所帯です。 いままで4回一緒にやってきたソプラノの人の姿が見えませんでした。 私として最初の合唱団として参加し、その時知り合いとなった人々はこれで全員居なくなりました。 寂しいですね。

 でも練習は一段と厳しさを増してきたかのように感じます。 感傷に浸っていることはできません。 これまで、3日と10日の2回練習してきましたが、嬉しかったのは両日とも何とか高音部が出せたのです。 

 オーディションのときは不満足でしたが、勢いなのでしょうか、643小節からのffの部分(ハ長調でいうと上のソ)、Über  Sternen  muβ  er  wohnen (星々の上に創造主が住んでいるに違いない) や、662小節いわゆる”フーガ”の部分の出だし(ハ長調でいうと上のラ) Seid  umschlungen,  Millionen!  (抱きあえ、幾百万の人々よ!) は自分としては何とか出せたと思っています。

 10月5日の「せんくら」での指揮者は 山田和樹 とのこと。全くの初耳でしたが、ネットで検索してみるとすごい指揮者のようですね。「未来のマエストロの座に王手をかけつつある」指揮者とか。 何でも日本には 山田一雄という20世紀の大指揮者がいたそうで、かれは「ヤマカズ」のあだ名で親しまれたようですが、今回の指揮者 山田和樹は「ヤマカズ21」といわれてるとか。

 東京芸大卒業後外国には行かずに、国内にとどまって研鑽し、小沢征爾の代役も見事に果たしているということです。 合掌とオーケストラの両方できる指揮者として注目されているようですし、”ブレスひとつの重要性”を学んでいるとか。 いったいどんな指導が待っているのか、楽しみでもありますが、恐いもの見たさ的な興味もあります。

 ソリストは、ソプラノ:安藤赴美子、メゾ・ソプラノ:谷口睦美、テノール:吉田浩之、バリトン:成田博之 というメンバーです。

 12月本番の指揮者は、飯盛泰次郎です。          (全員の敬称:略)

 

   

 残念だったこと、きょう午後ハガキが届きました。 「抽選の結果、・・・、参加を見送らせていただくことになりました。」 残念です。 5分5分かなと思っていたのですが、自分としては今年が第九の最後の年として、悔いの残らないようにいろんなことに挑戦して行こうと思っていただけに、悔しさや心残りも残る結果となってしまいました。


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3年5ヶ月 と 砂鉄川釣行

2014-08-11 16:04:10 | 思いつくまま

 8月7日から11日までは「立秋 初候」となっています。 『涼風至(すずかぜいたる)』 そうなんですよね、もう立秋になってから五日も経っているのです。 いつの間にか日中の長さも短くなり、夕方が早くなったように感じられるというのは何とも寂しいものです。 夏も終盤に入りつつあるのかなと思うわけです。

 そしてまた11日を迎えました。 平成23年3月11日から丸3年と5ヶ月が経過したわけです。早いですねえ。 こうして年をとって最期を迎えるということになるのでしょうか。そういうことを生物として感じているのか、毎日を充実したものとして、明日は来ないかもしれないという気持ちで、”一期一会”の精神で生きなければならないと、ついつい老体にムチ打って?”頑張って”しまうわけです。 もう先がない、明日があるさという年代はとうにオサラバしているのだなと折に触れて感じている今日この頃です。

 

 広瀬川は増水と濁りの流れとなっています。 おとといきのうと最高気温は上がりませんでしたが、きょうは28度を超えたようで、明日からはまた30度越えの天気が続くようです。 今度こそ、増水が平水となり、濁りもとれて川底の石に苔が付いてくれればもう最高の条件の川となるのでしょうが、果たしてそうなってくれることやら?

 

    

       

 

 ところで、この本を読みましたか? 読みやすいし、こういうジャンルの本は珍しいのではないでしょうか。 出版社ではなく、製本でもなく、生死ならぬ ”製紙工場” の物語です。 紙を造っている工場が東日本大震災で被災しながらも、半年で立ち直り希望を灯していくという物語で、工場で働いている人たちの仕事に賭ける情熱が伝わってきます。

   

       

 日常的にいろんなところで接している″紙”ですが、それがどういう形でどのように需要に合うように生産しているのか、書店と紙の関係がはじめて分かりました。 出版業界もいろいろな業界があり、それぞれの業界の必要とする紙を造っていたなんて・・・

 この本「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場」という本ですが、帯があり、カバーや口絵、本文があるわけです。 本文:オペラクリームHO四六判Y目58.5kg   口絵:b7パルキーA判T目52kg   カバー:オーロラコートA判T目86.5kg     帯:オーロラコート四六判Y目110kg   という具合です。

 日本の出版用紙の約四割を日本製紙が供給してきたというのです。だから(工場で働く人たちが)出版文化を支えてきたという強い自負があるわけです。

 

 本文から少し引用させていただきます。

 『文庫っていうのはね、みんな色が違うんです。講談社が若干黄色、角川が赤くて、新潮社がめっちゃ赤、普段はざっくり白というイメージしかないかもしれないけど、出版社は文庫の色に「これが俺たちの色だ」っていう強い誇りを持ってるんです。特に角川の赤は特徴的でね、角川オレンジとでも言うんでしょうか。』

 『紙にはいろんな種類があるんだぞ。教科書は毎日めくっても、水に浸かっても、破れないように上部に作られているだろ?コミックにも工夫がいっぱいあるんだ。薄い紙で作ったら、文庫本の厚さぐらいしかなくなっちまう。それじゃあ子どもが喜ばない。手にとってうれしくなるように、ゴージャスにぶわっと厚く作って、しかも友達の家に持っていくのにも重くないようにできてる。』

 『俺たちには、出版を支えているっていう誇りがあります。俺たちはどんな要求にもこたえられる。出版社にどんなものを注文されても、作ってみせる自信があります。』

 『本が手もとにあるということはオーストラリアや南米、東北の森林から始まる長いリレーによって運ばれたからだ。製紙会社の職人が丹精を込めて紙を抄き、編集者が磨いた作品は、紙を知り尽くした印刷会社によって印刷される。そして、装幀家が意匠をほどこし、書店に並ぶのだ。手の中にある本は、顔も知らぬ誰かの意地の結晶である。  読者もまたそのたすきをつないで、それぞれが手渡すべき何かを、次の誰かに手渡すことになるだろう。こうやって目に見えない形で、我々は世の中の事象とつながっていく。』

 『本はやっぱりめくらなくちゃね・・・・。 お父さん』

 

 この本を読んで初めてなんでいろんな本の紙質が違うのか分かりました。それまでは単に安く作るか手間暇を掛けるかの違いくらいしかないだろうと思っていたのですが、… 目から鱗です。

 あの三年と五か月前のこと、大震災直後は仕方がないと思っていたのですが、いつまで経っても、何度も本屋に寄っても新しい雑誌や新刊書が並ばない、一体どうなっているのか?交通や流通は復旧しても出版社から新しい本が仙台の本屋に入って来ない、店頭に並ばない、一体どうなっているんだ、こんなにも日本の文化というか、出版文化は弱いのか脆いのか、不思議と同時に怒りにも似た感情が沸き起こってきました。 そのことは三年前のこのブログでも書きました、一体どうなっているのだと?!

 宮城県には大きな製紙工場が岩沼市と石巻市にあります。 その石巻の製紙工場はかってはその前を何度も通過しました。牡鹿半島に海釣りに行くためにです。 日和大橋を走って工場の前を通り海岸沿いに目的地に向かったものです。

 その製紙工場が日本の製紙業界に占める大きさが初めて分かり、製紙業界と出版社との関係、出版のジャンルによって紙の種類が異なること、そんなことをこの本を読むことによってはじめて理解できたわけです。

 私の大好きな、なくてはならないいろんなジャンルの本はこうして作られている、感謝ですね、感謝の気持ちが沸き起こりました。なんとありがたいことか。ますます本に対して愛着が出てきました。大切に扱わないと罰が当たります。

 と同時に生活の中には本当にたくさんのいろんな紙があります。 それらの紙についても、どこの工場で、どうやって造っているのか興味が湧いてきました。

 

 じっくり紹介したかったのですが、いろんなことをこのブログで書きたいので、書きたいことがいっぱいあるので困っているくらいなのですが、砂鉄川の鮎釣りについてもこの辺で書いておかないと忘れてしまいかねないし、情報が古くなってしまいますので、長くなりますがここからは9日に行った砂鉄川釣行について書いて行きます。

 はじめて行った砂鉄川、はっきり言って小さい川です。流程も長さもこじんまりとしている。 今回は上流域から釣り下ってこようと決めましたので、まずは上流域に向かいました。 ①から④までが上流域です。

 ① 

 初めて川を見た感想は、えっここで鮎が釣れるの??というものでした。 川幅は鮎竿よりも短い、狭い。 今はやりの短竿がよかった。8.1メートルか、7.2メートルでも十分です。

                ② 

 9メートルの竿で②から④まで釣り下ったのですが、釣果は、言いたくない ゼロ でした。でも情報ではこの付近は上流域としてはおすすめポイントだったのです。 しかも友釣りのオトリはこの川で掛けた野鮎なのです。それでも掛からず!!

 ③ 

 こういういい瀬もあるのですが・・・。 9時から11時の2時間で釣果ナシ

                   ④ 

 でもさらに下流域の大木がせり出しているようなところに入った釣り友は4,5匹掛けていました。やはり楽をして釣ろうという考えがよろしくないようで。 3人のうち私と私の上流に入った釣り人が釣果ゼロでした。

 

 今度は下って中流域に入りました。中流域といってもニホンカモシカがいるような場所です。写真の⑤と⑥ですが、まるで渓流相そのものです。 おきな岩や石がごろごろしています。 水量もあります。 川相もいろいろ。

 ⑤ 

 ⑥の白波の瀬の下流と瀬脇で何とか4匹掛けまして、おでこを免れた次第です。 1匹を取り込んだ時は正直嬉しくホッとしました。 最初の鮎は21センチくらいといい型でしたので喜んだのですが、釣れる順番にものの見事に型は小さくなっていくのです。1センチ以上の割合で小型化していきます。  12時前から午後1時過ぎまでで 4匹 の釣果でした。

     ⑥ 

 

 昼食後、最後はほぼ最下流域(アユ釣りとしては)の何とかいう橋の上下で竿を出しました。写真の⑦と⑧は瀬となっていますが、ここは私が入った場所となります。 大好きな背が続く場所だったので、ここに入らせてもらいました。

       ⑦ 

 2時から3時45分まで竿を出しました。他の2人は4時近くまで竿を出しました。場所は⑦の端の上下に入りました。橋の上下は川幅が絞り込まれていて、深いトロ瀬のようになっています。 結果的にはそこに入った方がよく掛かりました。 

 私は⑦の右端の瀬にオトリを入れたら、何となんとナント一発で快い当たりが伝わってきた次第です。 18センチくらいの鮎でしたが、何とも嬉しくなるじゃありませんか。一発目から掛かったのです。 しかし、往々にしてそういう場合は後が続かないことがあるものです。まさにそういう状況となってしまいました。

 ⑧ 

 2匹めが掛かったのは約1時間後かな、ここの瀬を3往復くらいしました。ものすごく強い当たりで、いっきに下流に走ります。竿を溜めようとしても下流に持っていかれる。下りながら右岸の浅い方になんとか引き寄せて抜きました。大きかった、一番大きかったかな、22センチくらいあったでしょうか。しかも完全な背掛かり、背びれのたもとに掛かっていました。

 小雨も降ってきたし、1時間45分で早目の納竿としました。

 他の二人の釣果です。一人は2回も親子丼ぶりを食らったそうです。 羨ましい!!

     

                 

 砂鉄川、小さい川ですがいい川です。 近場(といっても岩手県ですが)にこういう川があることは嬉しいです。 そして漁協の取り組みが羨ましいですね。

 長くなってしまいました、初めてかなこんなにも長くなったのは。 読んでくれてありがとうございます。           非常謝謝            newone

 


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砂鉄川 きのうの解説

2014-08-10 14:20:27 | その他河川

 台風が四国に上陸、兵庫県に再上陸して日本海側に抜けたようですが、それにしてもすごい雨量です。 四万十川、仁淀川、奈半利川等鮎釣りでも有名な河川は軒並み大増水、規模が違います。

 被害に遭われたみなさん、避難を余儀なくされたみなさんに心よりお見舞い申し上げます。 きのうから大変な目にあっているのに、こちらは鮎釣りに興じていたなんて申し訳なく思ってしまう次第ですが、こちらも一日雨降り、今晩が山のようですが外は雨、時折強く降ります。

 ましてや昨日8月9日は長崎の平和祈念式典があった日で、そういう式典に出席したのにA級戦犯の孫の長州の安倍は、何のために出席したのか分からないような言動を、広島同様にしています。さすが厚顔無恥の独裁者、詭弁・強弁・はぐらかしの安倍です。

 広島の平和祈念式典は6日に行われましたが、丁度その日は仙台七夕まつりのスタート日でもあります。 8月6日、一緒にしようとしてこうなったのではないのでしょうが、6日にお祭りが始まるということ、何かそれが少し心苦しく感じてしまうのです。 これでいいのかと。でも平和の七夕、平和をこころから願う折鶴、吹き流し、そういうものが少なからずあるということが、私にとっては嬉しいことでもあります。 少しは心が軽くなります。

 

  きょう午前8時45分過ぎのいつもの広瀬川分流です。

 

 まだ濁りはひどくはなかったです。

  

 この増水が収まり、好天が続けばその時が鮎釣りには最高の条件となるのでしょう。

     

 これは蛾でしょう。初めて目にしました。カラスも何か元気がなく、雨に打たれていました。

  

 

 前置きが長くなってしまいました。 きのう写真だけご紹介しておきましたが、その写真のご説明をさせていただきます。

① 

 「砂鉄川 清流の会 アクア」という看板が欄干に取り付けられていました。 砂鉄川を大切にしているということが伝わってきます。

 

 ② 

 ②と③は砂鉄川に注ぐ沢の水です。 とっても冷たいです。 9日の砂鉄川の水温は21度ありましたが、この沢の水は何となんとナント 14度 です。 痛いくらいに冷たいです。

 地元の皆さんはこの沢の水を何に利用しているか、写真をよく見ればお分かりのように、砂鉄川で確保した鮎を”おとり”として確保しているのです。 ここで販売を目的にはしていないようです(でも中には”いない”とはいえないかも)。 少ないですが砂鉄川沿いにオトリ屋はあります。1匹500円で、安くはないですね。

 こういうところが広瀬川にあったらどうなるでしょうか?隠れて活かしている人はいるでしょうが(そういうnewneもその一人。でも今回の増水でオトリ缶ごと流されてしまいました。早めに回収しておこう、なかの鮎3匹は逃がしてやろうと思って川に行ったのですが・・・。)、いつまでも平和的に共存していくということは無理だろうなと思いますね、残念ながら。

 羨ましい光景でした。

    ③ 

 

 そして④、これは素晴らしい!!砂鉄川では基本的にガラガケは禁止のようで、ただ友釣り用のオトリを確保するためなら許されるということのようです。 それも流域を決めています。 こういう立て看板を2か所で見ました。

 でも仙台の場合はそれ以前に、まずは”投網禁止”が先でしょう。 牛越橋の上流は解禁日から投網解禁とは唖然茫然、呆れかえってしまいます。 禁止が無理なら投網の解禁日をもっともっと遅くするとかの方法もあります。 でも現実は遅くするどころか、15日も早めて解禁しているのが、広瀬名取漁協ですし、それを認めている宮城県です。

 ガラガケと友釣りの竿釣りどうしなら、まだ共存は可能です。 やり方は砂鉄川のようでもいいですし、友釣り専用区をもっともっと拡大拡充していくということもいいでしょう。

          ④    

 

 ⑤はもうお分かりでしょう、砂鉄川の中流域の砂場で見つけたものです。ニホンカモシカの足跡でしょう。 感動しました。 この前は鮭川に行く途中東根市の果樹林で本物のニホンカモシカを見ました。 今度は足跡です。

 先週かな釣り友が砂鉄川の中流域で竿を出していたら、対岸にニホンカモシカを見つけたということです。 それで私も周りに注意しながら竿を出したのですが、発見できませんでした。 写真の右上のものは胡桃です。

       ⑤  

 

 最後になりますが、これはまさに時代の最先端をいくファッションとでもいえるものです。 暑い夏にはもってこいかもしれません。 タビやシューズを履くとどうしても窮屈になりますし、水圧で痛くなったり黒血がよったりしたものですが、こういうスタイルならそういうことはないようです。

 このサンダルの底がフェルト底やフェルトにピンがついていれば最高かもしれません。 思わぬ発見発明はこういうところからなされるのかもしれません。 どなたか商品化する考えはないでしょうか。

    ⑥ 

 と、カッコいいことを言いましたが、実は何のことはない、タビを忘れてしまったというだけのことです。でも釣り友がこういうサンダルを履いていたもので、タビ代わりに代用したものです。

 肝心の鮎釣りの状況はあす以降ということですみません。


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砂鉄川釣行 プロローグ

2014-08-09 20:56:07 | その他河川

 こういうこともあるのですね。 こういう河川もというべきか。 ほとんどの河川は増水・濁りで全く釣りにならないというのに・・・・。

 増水はしているようですが、それでもはじめて行くものにとっては平水のように感じたし、全く濁りがない!! 信じられないくらいでした。

 東北自動車道を北上するにつれ、雨は降り、途中で目にする河川はいずれも増水・濁りの河川となっていました。

 それが一関ICからは曇りではあっても雨は降らず、目的とした蹉跌(懐かしいですね、「青春の蹉跌」石川達三の小説でしたか?)いや砂鉄川は濁りがないのですね。 濁らないように我々を待っていてくれたかのように・・・・。

 でも疲れが出て、眠くなってきました。 一部の写真だけをアップしておきます。

 

 

 

 

                 

   

                  

       


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夢をカタチに、星に願いを

2014-08-08 17:07:08 | お知らせ

 やはり降りました、さすが仙台七夕です。 仙台七夕に雨というジンクスは、多分どこまでもついて行くことでしょう。

                     (午後3時30分の撮影)

     

 我が家で初めて実ったマスクメロン(のはず)なのですが、これ以上大きくはなりませんので、刈り取ってきました。 夜に家族で食してみます。 当然甘くはないでしょう。 昔のまくわ瓜のような味もそっけもないものに感じるのかもしれません。 大きさの直径は15センチくらいです。

      

 

 きょうは仙台七夕まつりの最終日、午後から本格的な雨となりました。 午後1時30分からの定例の会議には傘を持って歩いて行きましたが、途中から強い雨ふりとなり、靴はもちろん、ズボンもシャツも、背中もびしょ濡れという状態で会議の場所に到着した次第です。

 でもそれはそれとしてやはり仙台に住む者として”仙台七夕”祭りは少しでも多くの皆様に知って欲しいとこころから願うものです。 そういうことで外は雨降りなのですが、きのうの午前中に撮ってきた市街地の七夕飾りをご覧になっていただきます。

 とはいってもたくさんあり過ぎるので、きょうは仙台市立の189校の小中学生、特別支援学校の児童、中等教育学校の子どもたちが作った七夕飾りをご覧いただきます。

 

          夢をカタチに。

                   

                      星に願いを

 

                 Made in Dream

 

 この折鶴の吹き流しは、東日本大震災を忘れずに、一人ひとりがあしたへの希望と夢をもち、それを実現していくという思いを虹の飾りに込めたものです。

                

 全部で 86,000羽 もの折鶴です。

     


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仙台七夕まつり

2014-08-07 16:04:49 | お知らせ

 毎日毎日僕らは鉄板の上で焼かれて、嫌になっちゃうよ・・・・。 まさにそんな感じですね。 アスファルトの上で太陽に、これでもかこれでもかというように焼かれています。

      

  

       

 

 きのうの朝日新聞のインタビュー記事、「戦争を想像する」 作家・精神科医の 帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)さんのオピニオンは考えさせられました。

 

 ・・・愚か者の指導者が始めた戦争なのに、その尻拭いを末端の親父にまでさせようとした。(戦地憲兵でスパイの役割もやらされたため、BC級戦犯となってしまった。)

 ・・・A級戦犯では死刑は7人だったのに、ここの行為の責任者や実行者が裁かれたBC級戦犯では1千人近くも死刑になっていた。  日本が侵略した国々の怨念を鎮めるための、いわば人身御供とされたわけです。

 ・・・軍医の場合は手術道具もない、薬もない。何もかも失った戦地で、戦死者の名前だけ書き取って持ち帰る有り様でした。  職能集団が本来の使命をずたずたにされ、その機能を果たせなくなる。これが戦争の本質だと思います。

 ・・・自分たちの職能集団としての機能が、より発揮できる世の中にするにはどうすればいいか。日ごろから考え、志をもって行動する。そうやっている限りは、この国が再びつぶれることはないと思う。

 ・・・世の中全体が過酷な労働を強いられ、思いやりや寛容さが消え、心の余裕を奪われている。いま自分がいきているのはどんな時代か、考える力も失いつつある。社会の底に大きなひびが入っています。

 ・・・戦争はいったん始まったら制御できないんです。真っ先にやられるのは東京であり、原発ですよ。日本の破局につながり、勝ちも負けもない。戦争が始まったらどうなっていくか、想像する力がいまの社会は弱まっているのではありませんか。

 ・・・真実から目を背け、言葉をもてあそび、失敗を糊塗するようでは、たわけ者の時代に逆戻りでしょう。

                        

              

 活けて置いた3匹の鮎が元気なので、午後から川に入ってきました。澱橋の上流から牛越橋のカーブしているところまでの間には、釣り人は一人もいませんでした。newone一人でした。 (牛越橋直下下流付近は見えなかったので分かりません。)

 澱橋下流にも行ってみたかったのですが、時分のまず第一の使命は”澱橋と牛越橋の間でどれだけ釣れるか”、それを身をもって示すことであるなんて勝手に思ったりして、トンネル下の瀬頭や瀬に入りました。

       

 いつもガラガケの人がいるのにきょうは誰もいなかった。 上の写真の手前側では、ここにはいれば1匹は掛かっていたのですが、果たして今日はどうか? 川底の石を見ると結構ハミ跡が見られるのです。 それも古臭いものではない。

 ということはこの周辺には鮎がいるということなのでしょう。 3匹のオトリのうち一番小さいオトリをセットしました。 小さいとはいえ、天然遡上鮎であり、元気があります。 小さい鮎の方が大きい野鮎が掛かりやすいというのは経験済みですし、アユルアーの大きさと変わりのない大きさです。

 2時5分から竿出しです。 早瀬を泳がせていると突然”ガガーン”という強烈な当たりが伝わって来ました。 やった!来た!いた!心を躍らせて、伸されないようにと下流側に一歩を踏み出したところ、一気に抵抗感がなくなり、虚しさだけが竿先から伝わってきました。

 あんなに強烈な当たり、引きだったのにハリが深く刺さらなかった、折角お気に入りのオーナーの”一角”7.5号4本イカリバリにしたのに・・・

 それから釣り下りましたが、当たりはなし。釣れそうな気持にもなれませんでした。 鮎は少ないがいると分かったので、それはそれで嬉しかったのですが、今度は天気なのです。 西方面の空の雲、黒いです。そして雷鳴が聞こえてきます。 トンネルを走る車の騒音と混じって、確かに雷鳴です、聞こえてきます。

 いつまでも竿を出してはいられない、感電死なんかしていられない。きのうお気に入りの鮎釣りのブログを見ていたら、雷の”帯電”で竿に電気が走り、それが痛いくらいだったという記事を読んでいます。 雨なら濡れても暑すぎるくらいだから気持ちがいいだろうというくらいに気楽に考えられるのですが、空いたが雷様では・・・。 おまけに河原は広いし誰もいないし、カーボンの9メートルの竿を持っている。最悪の状態です。

 

 急瀬を一応流して納竿しました。 2時40分頃です。 釣果はナシ。

 

 今午後4時52分頃。まだ雷鳴は聞こえてきます。前よりは近くなってきました。雨粒はまだですね。 仙台七夕というとどうしても雨がつきものです。 いわば七夕と雨はセットといってもいいくらいのものです。

 ちょうないの七夕飾りも、雨が降れば濡れてしまいます。果たして強い雨が降るのかどうか。

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町内の七夕飾りと花火大会

2014-08-06 20:01:02 | お知らせ

 きょうも暑かったが、きのうは一体どういうことなのでしょうか? 仙台で最高気温が34.7度とか。

               (きょう午前10時15分頃)

   

       

       

 

 きのうは朝から七夕のために動き、7時に竹を切りに出かけ、一番暑かったであろう午後2時から飾り付けを行いました。

 

 今年の竹は例年と比べて、細身の竹を切り出してきたので、大きな二つの吹き流しに堪えられるか、ちょっと心配しながら飾り付けを行い、竹を設置しました。

 

 ひとつの吹き流しは、用心して縛不動尊の建物の柱からぶら下げました。 ここなら雨が降っても濡れる心配がありません。

 

 子供会等で願い事の短冊を一杯書いたので、竹は一気に明るく賑やかになりました。

               

                力作なのです。

 

 

 そしてきのうは午後7時から8時30分まで花火大会が開催されまして。我が家からはより見えるようになりました。

  

    

        

            

         

      

   

        

              

 

             

    

             

  

                 

 ほんの少しはお楽しみいただけたでしょうか?! 写真特集となってしまいましたがお許しください。

 

 それにしてもA級戦犯の孫の長州の安倍は広島に来ても「国民の命と平和な暮らしを守る」とイケシャーシャーとのたもう厚かましさ、詭弁・強弁・はぐらかし・自己陶酔の歴史修正主義者にして復古主義者はますます独裁色を強めようと内閣改造を画策し対抗勢力を無力化しようと夏休み中に悪の知恵を働かせるという。一愛国者として悲しいの一言に尽きます。

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暑い、熱い、七夕前夜祭

2014-08-05 15:43:35 | お知らせ

  四国地方や北海道では豪雨に見舞われ大変な思いをしている人が多いというのに、こちらは朝からかんかん照り、しょうもない、しょうがない、こうなるとやはり朝は早起きがいいですね。

   

 5時に起きだせばまだ世界は暑くはないです。 我的太太はまだ寝ていますが、newoneは早起きして(ということは早く寝ているのですが)、一回の窓という窓を開けて空気を入れ返して、顔を洗い、ごはんのスイッチを入れ、お湯を沸かしたり、仏壇のご飯や水、お茶を下げて洗い、テーブルの布巾をお湯で洗ってきれいに拭き、新聞を持ってきて、お湯が湧いたら3つのポットにお湯を入れ、ついでにお茶も入れて飲みます。

 もちろん仏様に最初に水とお茶をあげてから、自分のお茶を飲みます。 お茶を飲みながら新聞を読みますが、最初は新聞小説を読みます。 こちらには朝刊しか来ませんが、そのため新聞小説はふたつが読めるし、今は夏目漱石の「こころ」も読めます。

 三つの新聞小説を朝早く読むなんて贅沢なことです。 早起きは三文の得といいますが、まだ三文は得しているようには感じませんが、それでも早く起きるのは気持ちがいいものです。 このまま一年間早寝早起きで行こうと思っています。

 何でも世間では早朝の活動が盛んなようで、合コンも朝やっているところもあるらしいですね。出勤前に若い人たちが集まって情報交換をしたり、意見を言い合ったり、名刺を交換して人脈を広げたり、趣味の活動をする人もいるようで、いろんな早朝の活動があるようです。

 確かに朝早く起きるのに慣れてくると、いつまでも寝ているということは何かとってももったいないような気がするのです。 個人的にはまだまだ早朝の開拓というか何をするかということが明確ではないので、もっとはっきりとした目的をもって早く起きるということを心掛けようかなと思ってはいます。 でもそれがストレスになっては何をかいわんやですが。

    

 分流はもう本当に細々とした流れとなっています。 分流の草むら沿いに歩くと、いろんな昆虫に出会います。 これは小さなショウリョウバッタ、われわれはこどものころはキチキチバッタと呼んでいました。 飛んで逃げる時に、キチキチと鳴くから(音がするから)。これは小型です。

             

 こういう大型になると、ショウリョウバッタということになるのでしょうか。 もう立派なものです。 それにしても上手く周りの草と同化しているものです。

   

 大きくなってくるとそうそう簡単には逃げません。どっしりと落ち着いたものです。

                  

 きょうはじめてこんなものを見つけました。 「もういいかい?まあだだよ!」 かくれんぼをしているかのようですが、これは脱皮した抜け殻ということのなるのでしょうか。 

   

  

 最初はトンボの抜け殻かなと思ったのですが、それにしては頭の部分と強力そうな足が違うと言っているようです。ショウリョウバッタの抜け殻なのでしょうか?初めて見ました。

 分流の小魚の群れ、ハヤでしょうか。実際の数はこの半分となります。陰も写っていますから。

         

      

 きょうも河原には若い人達が群れていました。 男女の群れですが、同じ仲間ではないように感じました。 女子の方は裸足で川に入っては岩盤に足を取られてころんではキャキャと騒いでいました。

 

 男の方は上半身裸で、ゴムボートが二つあり、きのう竿を出したところでボートに乗って騒いでいました。 こうなればとことん川で遊んでくれと開き直ってしまいます。

     

 四国や北海道の雨を少しもらいたいくらいです。

              

 胡桃は何を思って成ってるのでしょうか? 鮎は何を思ってどこかで生きているのでしょうか?

     

 

 きょうは七夕前夜祭で、花火大会があります。 今年から打ち上げ場所が河原から仙台城の三の丸跡になりました。 ということは我が家からは今まで以上に花火がよく見えるということになるはずなのですが、実際にはどうなのでしょうか? 興味があります。

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忘れていた、投網解禁

2014-08-04 15:47:51 | 広瀬川

 いやあ、すっかり忘れていました、いや忘れたがっていたというのがより正しいか?!広瀬川の投網の禁期間は7月1日から8月1日までとなっていて、つまりは8月2日からは投網が解禁ということになります。 

              (午前11時30分頃)

 

 ひどい話です。去年までは8月15日までは投網は禁止だったのです。それがなぜか理由もわからないのに、8月2日から投網漁もOKとなってしまいました。

                      

 改めて思うに、なぜ組合は2週間も解禁を早めたのか、なぜ県はそれを許可したのか? まさに時代に逆行そのものです。 いまや広瀬川や名取川には川漁師は、川の漁で生計を立てている人はいないはずです。

    

 そもそも稚鮎の放流からして、牛越橋の上流にたくさん放流しているのです。牛越橋の上流は7月1日の解禁日から投網解禁ですから。 放流の仕方からしておかしいと言わざるをえません。今更何を言っても仕方のないことですが。

 投網の解禁を遅らせることはあっても、早めるなんて時代の流れに逆行すること甚だしい!!自民党が支配する宮城県らしいと言えばそれまでですが、A級戦犯の孫の長州の安倍のように戦後を否定し、戦前に戻そうとするかのようです。あとで宮城県の担当課に強硬に文句を言ってやります。

 きのう午前中の澱橋上流の平瀬での鮎釣りを見、2匹掛けるのを目撃したnewoneとしては何としてもきょうきのうと同じ場所に入ってみないわけにはいかなくなってしまったのです。もしかして広瀬川に鮎が戻ってきたかもしれないということを確認するためにも竿を出さないわけにはいかなかったのです。9時50分です。

 

 でも掛かるのは上流から流れてくるゴミばかりでした。

 

 しかし9時50分に竿を出したすぐ投網の人を見てしまったのです。 嗚呼 ああ あゝ アア そうだった、もう広瀬川は投網漁が解禁になったのだと思い知らされたわけで、すっかり意気消沈してしまいました。こりゃ駄目だ、この辺はもう投網を打たれてしまったのだろうと思わざるをえません。

 きのうは投網の前か、投網をうってから大分時間が経ったからそこそこ鮎が釣れたのかもしれません。 もうここでは釣れることはないと思わないわけにはいきません。もう最初から負け戦です。自分でも情けないほどです。

 おまけにその投網の人は、後でnewoneが入ろうとしていた美術館下の岩盤の溝付近に入っていき、投網をぶちます。それを見ながら下流域の早瀬や平瀬でオトリ鮎を泳がせる切ない心境のnewoneでした。

 

 近くの女子高校生たちが憩いのために川に来ました、その隣の黒い服装の人が投網師です。

                     

             

 すこしずつ流芯の方に入っていき投網をぶちます。

       

 このあと彼は右岸側に渡り、右岸側から投網で攻めていきました。

 私は9時50分から竿を出しましたが、50分くらいで下流の瀬での釣りは諦めて、実績のある美術館下の岩盤の瀬、岩盤の溝に入ることにしました。

 ここは岩盤底で溝が狭く深く、投網を投げても鮎を捉えるのはかなり難しいだろうと判断したわけです。

 

 

 新しいオトリ鮎を取り出して背バリをつけて沈めます。ガツーンというう強烈な当たりはとても味わうことは不可能な感じでした。 やはり水量が少ないのだな、少なすぎる・・・。

 でも、でも、いるのですねさすがは天邪鬼の鮎です。 岩盤の溝のなかで2匹が絡み合う姿がはっきり見えました。 そのときはこんなに小さいとは感じなかったのですが、タモの鮎をみて、なんじゃあこれはと思わずつぶやいてしまいました。 それくらい小さかったのです。 天然遡上の鮎でしょう。14センチくらいかな。きれいな鮎ではありました。

             

  

 オトリを交換して深いところを泳がせました。予想以上によく泳いでくれました。でも追う鮎はいないようです。 オトリが小さいからことによると大きい鮎が掛かるかもしれないなんてあまいことを想像したりもしましたが、所詮は自分に都合のいい儚い希望の夢、叶うはずがありません。 11時10分で納竿です。 釣果チビ鮎1匹。

 

 今河原は今年度2回目の草刈り、除草を行っています。暑いのにご苦労さんです。すぐ伸びるんですよ、野生の草は。

 

 きょうの広瀬川の釣果はさいしょから決まっていたかのようでした。天も知っていました。こんな巨大な罰点を与えてくれました。

 

 もう広瀬川はお仕舞ですね、残念ながら・・・・・。

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いつまで続くこの暑さ!

2014-08-03 15:03:35 | 広瀬川

 暑い日が続きます。 お変わりないですか? 体調は大丈夫ですか。 こういう時は早寝早起きがいいようです。

 きのう今夏初めて寒河江川と最上川へ行ったのですが、早めの帰りいつも寄ろう寄ろうと思いつつもなかなか寄れなかったところへ寄ってきました。 どこだと思いますか? そうです、『慈恩寺』 です。

 

 開山1300年の古刹で、国の重要文化財の弥勒菩薩坐像等があります、 弥勒菩薩坐像とう20体は一般公開されていたのですが、7月21日に終了していました。

 

 数年前に食べたことはあります、「慈恩寺そば」は。 板そばでしたが、硬くて多くて食べるのは大変でした。 慈恩寺について詳しいことは後にしますが、嬉しいことがあったのです。 ここまでやってくれるのか!と嬉しかったですね、暑さで参りかけていた身としては。

 慈恩寺は里山みたいな山の中腹にありますが、田んぼのなかの大きな駐車場の片隅に小さいお休み所がありまして、参拝の帰りに寄ってみたわけです。 そしたらパラソルつきの休憩所の椅子に座ったら、冷たい麦茶は飲み放題で、何となんとナントこういうものも出てきたのです。

         

 きゅうりと大根の漬物とブルーベリーと冷たいゼリーのお菓子です。 おもてなしの心ですね。 まさかこういうところで気持ちのいい”ごちそう”を頂くことになるなんて思ってもみませんでした。それだけに暑くてグロッキー気味だった身には何ものにも代えがたいありがたいものと思われました。

 ここには何とかセンターという集会所があるのですが、お祭りに備えて子どもたちが、去年の行燈の絵やのりを剥がしていました。 その行燈が立派なのです。うちの町内の縛不動尊の行燈とはかなりの開きがあります。 何といっても屋根つきですから。 しかも台形の形をしているのです。 屋根のつくりも凝っていて、参りました。降参です。 こういうお祭りはいつまでも大切にしながら後世に引き継いでいってほしいものです。

 

 

 きょう午前11時30分頃の広瀬川分流の様子です。

 

                   干上がりつつあります。

    

      

 でも珍しく澱橋上流の早瀬から平瀬の流れで竿を出している人を見かけました。日曜日で、河原まで駐車でいるからでしょうか。

 

 奥の人はガラガケ、手前の人は友釣りです。 何やら掛けたようです。ついつい引き寄せられてしまいます。

       

 引き寄せで取り込みました。

 もう少し竿尻を持てばいいのにと思ったりして・・・。 この友釣り師にはセコンドの人がついているようで、少し話をしました。 これで2匹掛けたそうです。時合だなとか言っていました。何時から竿を出しているのかと聞いたら、それは教えられないとのこと。 それでなくても少ない鮎を我先に捕られてしまうからと。 何と悲しいことをいうものです。

 この後少し上流からオトリを入れたらまた掛かったのです。 なくてもいいのにと思うのですが、おもりを使っていました。おもりのために、逆に根掛かりとまではいかなくてもしょっちゅう根掛かりみたいな状態になっていました。 

 掛かり鮎の写真です。でかいです!!24センチくらいはあります。これをオトリに使って泳がせればいいのになあと思いましたが、かれはオトリ交換はせずにそのまま継続して前のオトリを使い続けました。

 

 10分くらいのあいだに2匹です。ハミ跡は見えません。水量は少ないです。 以前は全く掛かりませんでした。見放された流れとなっていたのですが、もしかしてそろそろ復活の兆しがさしてきたのかもしれません。

 わたしも川に入りたくなりましたが、何としたことでしょうか、肝心の活けて置いたオトリが死んでいました。 この前のゲリラ豪雨で泥水を被り、中に砂とかが入って環境が悪化したためでしょうか。 残念、ガッカリですが、広瀬川はこれからが本番のような気がします。

 楽しみは少しとっておきましょう。

 

 今夜は第九合唱団の結団式と新しいメンバーによる練習があります。これから10月初めのセンクラ、12月下旬の本番に向けて厳しい練習がスタートします。悔いのないように、楽しみながら練習に臨みたいと思っています。 何しろ合唱は ”FREUDE” ですから。

 


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寒河江川と最上川

2014-08-02 21:19:09 | 最上川

 きのういろいろありまして、きょうは一人での釣行となりましたので、8月になったことだし、近場の寒河江川とその近くの最上川に行ってみようかなと思った次第です。

 もちろん釣れることはないだろう、下見が中心と割り切って行きました。 オトリ2匹と最上第二漁協の日釣り券を購入、1,000+1,500=2,500円

 寒河江川で2,3匹確保したら、ダメもとで最上川に行ってみようと思いました。オトリとかを買う前に一応入る予定の最上川を見ては来ました。かなりの減水で、どこからでも竿を出せるように感じた次第です。 不安なことはガラガケの人が誰もいなかったことです。もちろん友釣りの人もいませんでしたが。

 

 まずは寒河江川です。 やはり濁っていました。 ずーと濁りはとれないようです。でも大分薄くなっているようで、きょうはやや強い笹濁りというところでしょうか。 全体に渇水気味に見えました。

 

              

 竿を出したのはチェリーランドの下流域です。下の写真の左岸で、堰堤みたいに見えるところの上流左岸から竿を出しました。 すぐに15センチくらいの鮎が1匹掛かったのですが、その後が続きません。

 

 釣り下ります。もう待ったなしに釣り下ります。 他の釣り人はほとんど動きません。大会でもあるまいし、なぜ動き回らないのでしょうか。 下の写真の左岸のへチで2匹目が掛かりました。40分後。

              

 まあ結局9時20分から10時20分の1時間で2匹という釣果です。 野鮎2匹と養殖アユ2匹で合計4匹、これだけあればとりあえず何とかなるだろうと思いました。

 

 上の写真は私の立ち位置の上流右岸側、下は下流側です。橋は寒河江川橋です。

              

 

 本命の最上川です。 3枚の写真を見ただけでもかなり渇水状態であることがお分かりでしょう。 全体にフラットなつまらない、変化のない川になっています。 広く浅くなっているのです。 そして大きな石がなくなっています。

 

 右側のコンクリートの護岸を兼ねた階段は新設されたものです。

            

 

 

 対岸の右岸を見ると護岸用のブロックが壊されています。 かなりの増水ですね。またそのうち護岸補強工事が始まるのでしょう。

 

              

 

 

 私が竿を出して10分くらい後でしょうか、続々と車がやってきて私の車の奥の方に止まりました。 はじめは学生たちのキャンプかなと思っていたのですが、子どもたちのサマーキャンプで、カヌー教室みたいなものを始めました。川で遊ぶ分にはちょうどいい水量かもしれません。

 

                 

 

 私はこの新しい階段の下流にオトリ缶を沈めておきました。中には寒河江川で掛けた野鮎が2匹入っています。最上川では最初はほとんど使っていない養殖オトリに頑張ってもらおうと思いました。 背バリだけではなかなか沈まなくて、その後2号のおもりも使いました。

 

 水はきれいで川底ははっきりと見えます。頭大以下の石がたくさん沈んでいます。ハミ跡はなし。垢ぐされもしてはいない。 やや押しの強い平瀬で、しかも水位が60センチくらいの平瀬で大きな鮎が掛かったらすごいだろうなあ、鮎とのやり取りが堪らない、想像するだけで嬉しくなるのですが、現実は厳しく、ウントモスントモ言いません。

 

 さらに透明に見える流れなのに、泳がせていると変なものが、嫌なものがついてくるのです。 草そのものではなくアオミドロというのでしょうか、それがいつしか糸の接続部分、ハナカン、背バリ、おもり、目印にくっついてくるのです。

 

 竿が重くなったなあと思うとアオミドロがついているのです。鮎の頭に毛が生えたかのように、長髪の鮎となってしまいます。なんとも始末に悪い。 それでもの鮎が掛かってくれれば気分もよくなるのですが、一向に掛かる気配はなく、鮎は弱っていくばかりでした。

 

 最初の小さい方の鮎はとうとう死んでしまいました。水温が寒河江川よりも2度くらい高いようでした。未使用の大き目の養殖アユは元気なのですが、アオミドロが襲ってきてとても釣りになりません。 11時5分に竿を出しましたが、11時40分には納竿しました。釣果はゼロ、零、ZEROです。

 

 そしてオトリ缶を活けて置いたところに戻ったのですが、何となんとナント”見当たりません” ないのです、オトリ缶が。 流されないようにと三方に大き目の石を置いて、上にも大きすぎるかなと思うくらいの石を載せていました。 しかし、見当たらない。

 そうなのです、いつしか増水していたのです。濁りが入ったわけではないし、草木が流れてきたわけでもない、でもいつの間にか10センチ以上も増水していました。増水していたことに気がつかなかったことは拙いですね。天候だけでなく、水位の変化にももっと気を配らないといけません。

 

 ということできょうの釣行は散々な釣行となってしまいました。 オトリ缶はこれで流されたのは2回となります。最初はダイワの大きい方のオトリ缶、2回目はきょうで同じくダイワの小さい方のオトリ缶です。 これでまた大きい方のオトリ缶を使うことになりました。 大きいと重いのですね。 重いのは嫌だから軽い方の小さいオトリ缶にしたのに・・・。2度あることは3度ある、要注意。

 

 良かったのは一つだけ。空の雲です。 いろんな形の雲が目を楽しませてくれました。そうそう雪を抱く月山もきれいでした。

 

 

コメント (4)
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