嬉しいニュースです。
去年出版した天童荒太氏の「悼む人」が直木賞を受賞しました。
第140回直木賞です。
改めておめでとうを、心からおめでとうをいいたい。
彼は過去において3つの賞を受賞しています。
「白の家族」で野生時代新人文学賞(1986年)、
「家族狩り」で山本周五郎賞(1995年)
「永遠の仔」で日本推理作家協会賞(2000年)
そして、今回、
「悼む人」で第140回直木賞(2009年)
地元の河北新報でも、朝日新聞でも写真入りで紹介されていました。それを見て、おお、やったか!と喜びました。
『本当の意味で死が悼まれていないことへの怒りや悲しみの連鎖が悲劇を大きくしていると感じた。』
『傷ついた人の側で書き続ける。』(以上、河北新報)
『軽重をつけず人の死を悼めなければ、生きている人たちも公平には扱得ない。』 (・・・今ガザ地区では、イスラエルの無差別攻撃とも言っていい攻撃が、多数の国の反対表明にもかかわらず続けられています。イスラエル人一人はパレスチナ人100人以上の価値があるかのように、殺戮が継続しています。)
『何でも書ける作家であることはやめ、傷を受けた側に寄り添って物語を作る。』
『いい小説には、作家の意識を超えて同時代人の希望や碇が入っているはずです。』(以上朝日新聞)
選考委員の井上ひさし曰く、「『悼む人』は、文学は世界に対して何ができるかという問題にぶつかっている力作」と。
今時こういうことを真正面から取り上げて小説にする人は、本当に希少価値があるとしか言いようがありません。
飢えた人を前にして小説はどうあるべきか、これは永遠の問題でしょう。
小説ではないですが、数年前にアフリカの飢えた子どもの餓死を待っているハゲワシの写真が大きなセンセーションを巻き起こしました。 写真を撮るヒマがあたら、子どもを救うべきではないか云々。
それにしても、今の日本ではいわゆる文壇というものはどこかに行ってしまったのでしょうが、かってはいろんな文学論争が活発に行われていたのではなかったでしょうか。
政治と文学、国民文学論とか、文学者や評論家だけではなく、政治家や心理学者も巻き込んで喧々諤々と論争が続いていたように記憶しています。
活気がありました。本多秋伍、平野謙、殖谷雄高、加藤周一、竹内好、武田泰淳、高橋和巳、丸山真男、・・・・
力がなくなってきたということでしょうか。淋しい限りです。
話しはがらっと変わって、朝青龍、6連勝おめでとう!!!
このまま突き進め! そして白鵬を倒して、全勝優勝を!!
負けるな! 朝青龍!!勝ち進め、立ち向かってくるものをブン投げろ!!上手投げでぶちのめせ!!!
祝!優勝 朝青龍 ! (となってほしい)
今日図書館のインターネットサービス登録をしました。
これで本が見つかれば家から予約できるということですので。