雨は降らないものの一日中鬱陶しい、気分まで落ち込むような外の様子です。梅雨本番の空の感じです。カラッと腫れ上がって、じゃなくて晴れ上がって川が呼んでいるという気持ちにさせてくれなくちゃ、夏とはは呼べません。
午後2時過ぎではきのうとほとんどどっこいどっこいの気温ですね。きのうも今日も午前10時第二の気温が最高気温となってるようです。10時10分に26.4度を記録しています。 川は少し濁っていました。雨の影響なのでしょうが増水とは無関係です。
まあこういう時はおとなしく家で本でも読んでるのが相応しいのかもしれませんが、この頃は芽が悪くなってきたせいもあり、細かい字を読み続けるのは辛いです。辛抱が足りなくなってきました。本は溜る一方です。
と同時に我が妻の不平不満も溜っていく一方ですね。さっぱり物が減らない、きちんと整理整頓されないと毎朝思いつつ掃除機をかけているのでしょうね。 でも整理されないのは仕方がないのです。したくても”できない”からなのです。 何度挑戦してきたことでしょうか。その都度撃沈です。それで、死んでから思いっきりすべてを処分してくれとしか言いようがないのが現状です。
と書いておきながら新聞の連載小説のことを書くのは矛盾しているのではと思う人がいるのかもしれません。新聞小説は挿絵とセットで毎日一定量の文章が並ぶわけで、あしたに向かって気をもませるのが上手なわけです。読みやすいのです。
いま朝日新聞に連載している小説は、重松 清さんの「ひこばえ」です。「ひこばえ」とは、切った根や株から芽が生え出ること、その芽をいいます。あらためて美味い標題だなあと思った次第です。もう430回以上もの長期連載となっています。
親子、兄弟姉妹、家族、子育て、介護、老後、終末(死)の迎え方、生き方、人との付き合い、それこそいろんな事柄が次から次へと展開され、飽きることなく、次はないが出てくるのか、期待させてくれる新聞連載小説です。
作者重松さんはここまで予め考えて書き始めたのか、いや書きながら考え悩みして展開していっているのではないか、と思ってしまいます。いわば作者も次はどんな展開になるのか楽しみにしながら書いているのかな、なんてことまで想像してしまいます。
たいていは毎回自分なりに納得させられて、明日の朝刊を楽しみにしているのですが、作家という職業人はあらためてすごい人だと思ってしまいます。いろんな個性を持った登場人物を登場させ、その人たちに関連性をもたせて物語を展開していく、ひとり一人の登場人物に命を吹き与え、動かしていく。
(この排水口での仕事は一体なんのでしょうか?中毒とかにならなければいいのですが)
そのなかで相乗効果というのでしょうか、思ってもいなかった以上のことが生まれ発展していくと言うこともあるのでしょうね。それが作家という職業人の楽しみなのかもしれません。苦しみながらいろんな人物を生み出し、命を与えて生活させていく、成長・成功ときに失敗・後退しながら生み出した人物たちとともに自分も生きていく、これが作家冥利というのかな、なんて思ったりもしながら読んでいます。
きどきいいことを言うなあと持った場面を切り取ったりしています。最近のものでは;
『 人の上に立ちたい野心が、脂っ気。異性でも同性でも、とにかくモテたい思いが、水っ気。その両方をすべてなくして、からりと枯れていくのが、老いの理想なのか……。欲望をなくして達観するのは素敵だけど、それは結果論でいいのよ。無理やり枯れなくてもいいんだと思えることが、きれいに枯れてる証なのよ。 』(8/10)
『 面倒をかける。迷惑をかける。神田さんの言うとおり、二つは似ていても、微妙に、しかし確かに違う。 「家族ってのは面倒で、手間暇がかかる。夫婦仲もそうだし、子育てもそうだし……歳を取るのや死んでいくのも、おそらく子育て以上に面倒で、手間暇がかかるんだ」 「家族でも世の中でもいいけど、胸を張って手間暇をかけさせましょうよ。面倒臭いことをやってもらいましょうよ。」 なぜなら……。 「わたくしたちみんな、手間暇かけて、面倒臭い思いをして、子どもを育ててきたんだから。子育てだけじゃなくて、世の中を……前の世代から引き継いで、手間暇かけて、面倒臭い思いをして、それでも、自分なりに精一杯良くしたつもりで、次の世代に引き継いだんだから」 「若い連中に世話になって、手間暇かけさせて、悪いなあ、すまんなあって感謝するのは大事だ。でも、絶対にそれは迷惑なんかじゃない。お礼は言ってもお詫びを言うことはない。迷惑だなんて若い連中に言わせちゃいけないし、そもそも俺たち本人が思ってちゃいけないんだよ、絶対に……」 』(8/20)