(今日もPCはインターネットに接続するのに何十分もかかってしまった。)
「文藝春秋」12月号の新聞広告が掲載されました。 記事の中に、”死ぬまでに絶対読みたい本 大アンケート 各界著名人52人 生涯の一冊”というものがあり、一人一冊ずつの本を取り上げています。
福岡伸一:デュマ「モンテ・クリスト伯」
丹羽宇一郎:「大航海時代叢書」
山 勉:ドストエフスキー「罪と罰」
新藤 兼人:夏目漱石「こころ」
亀山郁夫:シュトルム「みずうみ」
カンサンジュン:ヴェーバー「職業としての政治」
川島隆太:吉行淳之介「砂の上の植物群」
内田 樹:中里介山「大菩薩峠」
原 武史:橋和巳「邪宗門」
大西巨人:ドストエフスキー「悪霊」
辻井 喬:ヴェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
ねじめ正一:「定本 柳田國男集」
山内昌之:埴谷雄高:「死霊」
寺島実郎:鈴木大拙「新編 東洋的な見方」
黒井千次:伊藤整「変容」
以上は私が読んだり持っていたりした本ですが、一番嬉しかった?のは原武史さんが選んだ。高橋和巳の「邪宗門」ですね。
とっても嬉しくなってしまいました。 今回の蔵書?の整理でも高橋和巳(及び彼に関する)の本も一杯出てきまして、学生時代にタイムスリップしてしまいました。
彼はもともとは京都大学で中国文学の研究者として、吉川幸次郎の下で研究していたはずですが、丁度全国的に学生運動が燎原の火のように燃え盛った時代において、知識人として真っ先に全共闘運動に理解を示し、悪戦苦闘しながら小説や評論を書き、学生たちとともにこの世の中を変えていこうと志し、結果的に志し半ばで夭逝してしまいました。
彼がその後も生きていたなら、時代に対してどのような発言、行動をしただろうかと思わずにはいられません。 とても苦しかったろうなとは、容易に想像できますが。
私も彼の著作の中では「邪宗門」が一番心に強く残っている小説です。「非の器」や「我が心は石にあらず」とかもよかったですが。
当時の私は小説に対しても線を引きながら読んだものです。
そういえば当時の早稲田大学の中国文学研究者「新島淳良(あつよし)」という人がいました。当時の中国の文化大革命や全共闘運動に共鳴していたはずですが、その後膨大な蔵書を残して、現世から隠遁?逃避?否定して”山岸会”に入会してしまいました。
山岸会でいろんなことがあったということは聞いたことがありますが、その後のことは分かりません。 何とももったいないことなのですが。
山岸会についても学生時代の苦い、重苦しい思い出がありますが、それはそれとして、そういえば十数年前には、山岸会でつくった卵を車でマイクを使いながら売り歩いていた光景を思い出しますが、今はすっかりまちから消えてしまったようです。 山岸会といえば、共同作業でつくる卵が何といっても象徴的なものですが。
そういえば彼の本も持っていたはずですが、見つかってはいません。
話しがタイトルから離れてしまいました。 タイトルについてはまた明日にさせていただきます。
写真だけは3枚アップしておきます。