~東西育児事情~
なにわの育児ライフは快適そのものだった。
安全で広い空間。
遊び道具はまわりにある自然。
異年齢の子どもたちとのかかわり。
私たち母親は育児に関して
ついつい先走り、
浅はかな「適応能力」ばかり気にする。
でも、そんなことが笑い飛ばせてしまえるような
懐の深さがこの地にはあった。
この子が年をとったときに、
「楽しく生きていられるようなタネ」
が、あちこちにころがっていた。
まさに“ここに来て幸せ~”の
浦島太郎状態だった。
一方、たくさんの涙を流してお別れした
東京のママ友「みくちゃんママ」は
たいへんなことになっていた。
都心に程近い住宅地の公園は
子どもが2歳になるやいなや
「おけいこごと」に通わせはじめる。
母親たちは「小学校受験」を視野に入れ、
それはそれは必死である。
子どもの付き合うおともだちも
母親が選ぶようになってきたりする。
だから公園で遊ぶ・・・ということも
アポが必要になってくるという有様だ。
そんな公園事情の中、
「感性を育てる子育て」を大事にしたい!
というお互いの気持ちが共通した
一番仲良しのママ友が
「みくちゃんママ」だった。
「落ち葉」でぐしゃぐしゃになって
遊べる公園を探して行ってみたり、
いろんな形のしゃぼん玉をつくって
(大きいのや小さいの)たくさん飛ばしてみたり、
楽しい子育てを満喫していた。
だけど・・・
私がなにわに突然行ってしまって
彼女は寂しくて寂しくてしかたなかったようだ。
当時、PC のメールがやっと普及してきた時代。
大阪と東京・・・たまの長電話が息抜きだった。
そしてとうとう
根っこがしっかりと東京にあるはずの彼女が
・・・「ポキリ」と折れてしまった。
なにわの育児ライフは快適そのものだった。
安全で広い空間。
遊び道具はまわりにある自然。
異年齢の子どもたちとのかかわり。
私たち母親は育児に関して
ついつい先走り、
浅はかな「適応能力」ばかり気にする。
でも、そんなことが笑い飛ばせてしまえるような
懐の深さがこの地にはあった。
この子が年をとったときに、
「楽しく生きていられるようなタネ」
が、あちこちにころがっていた。
まさに“ここに来て幸せ~”の
浦島太郎状態だった。
一方、たくさんの涙を流してお別れした
東京のママ友「みくちゃんママ」は
たいへんなことになっていた。
都心に程近い住宅地の公園は
子どもが2歳になるやいなや
「おけいこごと」に通わせはじめる。
母親たちは「小学校受験」を視野に入れ、
それはそれは必死である。
子どもの付き合うおともだちも
母親が選ぶようになってきたりする。
だから公園で遊ぶ・・・ということも
アポが必要になってくるという有様だ。
そんな公園事情の中、
「感性を育てる子育て」を大事にしたい!
というお互いの気持ちが共通した
一番仲良しのママ友が
「みくちゃんママ」だった。
「落ち葉」でぐしゃぐしゃになって
遊べる公園を探して行ってみたり、
いろんな形のしゃぼん玉をつくって
(大きいのや小さいの)たくさん飛ばしてみたり、
楽しい子育てを満喫していた。
だけど・・・
私がなにわに突然行ってしまって
彼女は寂しくて寂しくてしかたなかったようだ。
当時、PC のメールがやっと普及してきた時代。
大阪と東京・・・たまの長電話が息抜きだった。
そしてとうとう
根っこがしっかりと東京にあるはずの彼女が
・・・「ポキリ」と折れてしまった。
人間味があって、何処も下町的な雰囲気で、とても気さくな人ばかりです。
東京でも、大阪でも、何処でも大きな町は、次第に心情が薄れていますが、昔から佇まいがかわっていないところは、概ね人と人とのつながりがしっかりしています。
素敵な所にお住いになられましたね。
環境は人の性格をも変えると言われます。
きっとお子さん達、素敵な大人になるでしょうね。
人と人とのつながりの中から「育ち」は培われるもの
だということをなにわのマチは教えてくれました。
新米ママだった「みくちゃんママ」と花の江戸子(私)は子どもたちの成長に助けられました。
次回はそんなエピソードをおはなししたいと思います。
どうぞお楽しみに!