SOHO@軽井沢

仕事の話はほとんど出てきませんが、軽井沢でSOHO生活してます。

海野宿

2007年04月03日 22時41分10秒 | 日常
北国街道は軽井沢の西の端にある追分で中山道から分岐し、越後まで向かう街道だ。
この街道に海野宿が作られたのは江戸時代始めの寛永二年のことだった。北国街道は加賀百万石の前田家などの諸大名が参勤交代で通過し、また、善光寺参拝者や佐渡金山から江戸へ金を運ぶための道でもあり、にぎわったという。
その宿場の建物が本陣、脇本陣を中心として数百メートルに渡って、ほぼ当時のままに残っている。


手前に見える溝は水路でいまも水が流れている。


卯建の高く上がる建物。


気抜きと呼ばれる小屋根。これらの建物も江戸時代そのままではなく、明治になって宿場としてやっていけなくなったときに、養蚕を始めるようになった。蚕室として使われたために、室内の保温の焚き火や煙を排出するために設けられた。


二階の格子は長短二本の組み合わせとなっていて、海野格子と呼ばれる。


格子に赤い塗料がわずかに見える。これは紅殻が塗られていたのではないだろうか。


格子の模様もさまざま。


ちょっと絵はがき風に。


古びた看板がかかる。


江戸時代からのものかな。
最近は、古い建物を移築して集めたり、古い建物風に再現したりして和風ディズニーランドみたいになっているところもあるが、ここはどれも江戸時代から建つ当時の建物。本物の美しさというものがある。


いくつかの建物では、当時の建物をそのまま使って商いが行われている。
ここは別に飴屋ではなく骨董品屋。この看板にも値札のシールが貼ってあった。15万円とか。
この骨董屋で、何かを買うつもりも買ったわけでもないが、なぜか店主と1時間近く立ち話をしてしまった。この人、かつては軽井沢にも店を構えたことがあったそうだ。店を出したのはバブルがはじけたあとのことで、かつて億単位の取引が当たり前のようにあった軽井沢も、その時期ではそういう取引は望むべくもなく敢え無く撤退したのだという。

海野宿