白洲次郎、白洲正子夫妻の旧邸宅である「武相荘」へ行ってきました。
「武相荘」は東京都町田市にあり、名前の由来は「武蔵の国と相模の国の境に位置する」ことと、「無愛想」をかけたものだそうです。
ここ数年、雑誌等で白洲次郎、正子の生き方、その美的センス等々をとりあげられており、ねこのすけも興味を惹かれていました。
また、今年に入ってNHKのドラマで放映されるなど、人物、建物ともに有名になってきたように感じます。
↑ 和モダン好きにはたまらない佇まい。
白洲夫妻が昭和18年にこの農家を購入し、以降引越しもせず60年近くもここで住まわれたのだそうです。
「武相荘」にも展示されていた、「無駄のある家」という正子氏のエッセイ?にも感銘を受けました。
『無駄のある家』 白洲正子
現在は町田市になっているが、当時は鶴川村といい、
この辺にざらにあった、
極ふつうの農家である。
手放すくらいだからひどく荒れており、
それから三十年かけて、少しずつ直し、
今もまだ直し続けている。
もともと住居とはそうしたものなので、
これでいい、と満足するときはない。
綿密な計画を立てて、設計してみた所で、
住んでみれば何かと不自由なことが出て来る。
さりとてあまり便利に、ぬけ目なく作りすぎても、
人間が建築に左右されることになり、
生まれつきだらしのない私は、
そういう窮屈な生活が嫌いなのである。
俗にいわれるように、田の字に作ってある農家は、
その点都合がいい。
いくらでも自由がきくし、いじくり廻せる。
ひと口にいえば、自然の野山のように、
無駄が多いのである。
自分の「暮らし」に合わせて手をかけ直しながら住み、また「これで満足」することがない、というのが妙に納得というか、それが「暮らし」だし、そうやって暮らしやすさを求めていくのが楽しくもあり、暮らしは変化するものなんだよなあと妙に感じ入り。
「綿密な計画を立てて設計したところで、住んでみれば何かと不自由なところが出てくる」というのも頷ける。
また「あまり抜け目なくつくりすぎても、人間が建築に左右されることになり窮屈」というのも、ほんとうにそのとおりだよなあと。
経験としてあることで、身の丈以上のインテリアを買い、汚しちゃいけない!と気を使いながら生活するのって、生活が中心でなく、インテリアが中心になってしまっていて窮屈だしね。
「その日、その日の生活が中心」というのがベースにある暮らし方って、かっこいいなあと感じたのです。
・・・そもそも、白洲次郎氏や正子氏は生まれも育ちも上級者階級。お二人とも大正、昭和初期の時代に、若くして留学しており、次郎氏は吉田茂氏の側近も勤め、会社経営にも携わっているのだから経済的には裕福なはず。
普通なら豪華な邸宅に住むところなのだろうが、こうして質素な農家である「武相荘」に静かに住み続けたというのが、お二人のセンスというか、「贅肉をそぎおとして、自分にとっての大切なもの」をわかってらっしゃるというか。なんだかすごく感銘を受けるのです。
でも、昔ながらの日本の農家を、留学経験のあるお二人なりに改造して、例えば土間にタイルを敷き、温水を利用した床暖房にし、そこにソファを置いてくつろぐ、なんて時代の先端を取り入れながら、また洋の要素もミックスしながら住まう。まさに「モダン」に住みこなすというのが実にオシャレで。
正子氏が精通した骨董なんかも生活の中に取り入れられていて。簡素ながらも奥の深いこだわりに、うなってしまいます。
こうしたシンプルな暮らし方は、生き方にも共通しているように感じます。
次郎氏は「自分の信じた『原則(プリンシプル)』には忠実」で、遺言は「葬式無用、戒名不要」とまさに自分の信条(プリンシプル)を貫いたとあり、「なんてかっこいいんだ!」と惚れずにはいられません!
和モダン好きなねこのすけにとって、武相荘の佇まいに感銘を受けたのはもちろん、そこに住まわれた白洲次郎氏、正子氏の感性、生き方にも感銘を受けたのでした。