「ねこのすけ」のつれづれなるままに・・・

心地よい暮らしを求めて、あれこれ模索する日々のこと

今日のお気に入りの言葉~宮沢賢治の母の言葉より~

2011-01-23 12:39:37 | 私の感性(メディアからの感想)

↑子供は宝です。


 

今日の心の琴線に触れた言葉。

朝日新聞 うたの旅人 宮沢賢治より

宮沢賢治のお母さんは、
子供たちを寝かしつけながら
こう語りかけたのだそうです。

「人というものは、人のために何かしてあげるために生まれてきたのス」

 

ステキなお母さんだなぁ。
こういう想いは、賢治にちゃんと伝わって、
賢治の生き方、作品に大きな影響を与えているなぁって思いました。

「みんなのほんとうのさいわいをさがしにいく」(銀河鉄道の夜)
「雨ニモマケズ」
などなど

 

私の寝かしつけのときの語りかけは、
「ねこたろう、だ~いすき!ねこひめだ~いすき!」
「ねこたろうとねこひめは、お母さんの宝ものだよ」
が定番です(笑)

その言葉に、ねこたろうは安心するようです。

親の大いなる肯定が、心の安定につながり、
社会への関わりに1歩踏み出したり、
積極性を持ち合わせたりしていくのかなぁと思って。
この寝るときの語りかけは、子供がいいと言うまで続けていくつもり。

でも、宮沢賢治のお母さんのように
「人のために・・・」
と、そこまで懐が大きくなかったなぁ。

すばらしいお母さんです。


 

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先週、ねこたろうが嘔吐を繰り返し、お腹も痛い(><)と言って泣いたり。
ねこたろうは自家中毒症(アセトン血性嘔吐症)と思われる「吐きグセ」があるので、
そっちなのか、流行りのウィルス性からきているのか分からず。
土日ということもあり、病院に行かず様子を見てしまいました。
幸い病院に行かずとも2,3日で治ってしまいました。

今週は、ねこひめが嘔吐
ねこたろうの今回の嘔吐はウィルス性だったのでしょう。
やはり、土日と重なり、休日救急に行くほどでもなさそうなので、
自宅で様子を見てしまいました。
さすがに0歳児の嘔吐は心配で、何度も病院に行こうかと頭をかすめましたが。
病院で、長い時間待たされたり、別の病気をもらう可能性を考えると、あまり積極的になれないのでした。
そうしているうちに、快方に向かってきました。

いつも、すぐに病院に連れていくべきなのか、
しばらく家で様子を見て(吐くだけ吐かせてから)
病院へ行くべきなのか、迷ってしまいます。

私の最近の判断は、自宅で様子見なんですが

洗濯ものいっぱいで、何度も洗濯機回しました


心に染みた言葉

2011-01-09 20:47:07 | 私の感性(メディアからの感想)

3連休中は断捨離お休みです。

今回は、心に染みた言葉を自分の備忘録としてブログに残します。

土曜日の朝日新聞「Be」を読むのが割と好きです。

その中の
「磯田道史の『この人、その言葉』」から・・・

ノリタケ・TOTOなどの基礎を作った森村市左衛門(1839~1919)氏の言葉

「人間の成功は財産の多い少ないではない。
自ら顧みて良心にやましい所がなく
正直な努力を誇りにする人になれば、
周囲に信用され、
心中の平和と愉快とをもって
日々を楽しく暮らすことができる」

磯田氏解釈文:
人生の目的を
人格の完成と
それによる心の安定におく人間は
強くまた幸せになれる。


氏の残したこの言葉が、なんだかとっても心に染みました。
(特に赤字の部分)

自分の良心に手をあてて、
やましいところなく正直に、
そして努力すること。

そういうことを自分の心(芯)にしていけばいいんだ、と勇気をもらいました。

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バンクーバーオリンピック 女子フィギュアを見て

2010-02-26 19:59:12 | 私の感性(メディアからの感想)

バンクーバーオリンピック。
注目の女子フィギュアもフリーを終え、メダルが決まりましたね。

いつもは、息子ねこたろうにTV(貯め撮りのアニメ)を占領されるのですが、
今回は珍しく、お昼のLIVE放送で、女子フィギュアフリーを観ることができました。

フィギュアスケート、ねこのすけは、まったくもって素人ですが、生意気にも以下のように感じました。

日本勢。
鈴木明子選手。
オリンピックという大舞台で、フリーは「自分の滑り」を取り戻したかのように、堂々と滑り切って、本番の精神の強さを感じました。
ウェストサイドストーリーのステップが印象的でした。

安藤美姫選手。
やはり、オリンピックという大舞台・本番で、オリンピック独特の緊張感に臆することなく、「自分の滑り」を貫き、しかも、1つ1つ丁寧に演じている(滑っている)と感じました。
トリノからは大きく進歩したと思います。
結果5位であっても、クレオパトラの世界を観客(視聴者)に魅了したのではないでしょうか。
フィギュアって、スポーツだけど、芸術でもあるなぁと感じました。

浅田真央選手。
オリンピックという大舞台で、ジャンプ(トリプルアクセル)を成功させたのは、技術的に高いのでしょうね。
ミスがあったようですが、大きなミスと見せず、重厚な「鐘」という楽曲の世界を演じ切ったように思います。
でも、ジャンプの成功の結果の「銀」の喜びより、
いつもライバル視されてきた、キム・ヨナ選手に負けた「銀」である悔しさの方が、気持ちの上で大きかったのでしょうか。
演技直後のインタビューでの涙からそのように感じました。
そういった「悔し涙」を見て、
「あぁ、彼女は、これからもっと伸びるんだろうな」
と感じました。

キム・ヨナ選手。
間違いなく「金」の滑りでした。
SP首位、オリンピックという、異様なまでの緊張感の中で、
その緊張感をいい意味で、味方につけたかのような、
それこそ、そんな重圧をよそに「自分の滑り」を貫き、オリンピック本番でのパーフェクトな演技。しなやかな滑り。
観ていて、感動の身震いがしました。

 

4年前、トリノオリンピックでの、荒川静香選手の「金」
フリーの「トゥーランドット」は今でも忘れられません。
楽曲にあった華やかな滑り。
点数には関係ないけれど、今や、荒川選手の代名詞ともなった「イナバウアー」を取り入れたこと。
まさに「魅せる」フィギュア。
演技そのものも素晴らしかったけれど。
本番に、緊迫感に押されることなく、「自分の滑り」に集中し、「魅せる」演技を貫いた、荒川選手の精神性にも感動したのを覚えています。
メダルを取ろう!とか、そういう気おいや肩の力が入っている状態には思えませんでした。
ただただ、「無心」に演技に集中しているというような。
そののびやかな美しさに感動したのだと思います。
(自分の出番まで、ヘッドホンを付けて、自分のことに集中していた荒川選手の姿も印象的でした)
当時、金メダル候補に、ロシアのスルツカヤ選手もいて。
でも、スルツカヤ選手は、フリーでまさかの転倒。
まさに「魔物がいる」とも言われているオリンピックの舞台。
本番で、気後れせず、「どれだけ平常心を保て、自分本来の滑りができるのか」、が鍵なんだなぁと思ったものです。
おそらく、それができたか、できなかったかで「金」への差になるとも感じたトリノでした。

それからすると、今回のバンクーバーの女子フィギュアは、とてもレベルが高く、
そして、
「自分の滑りに徹する」
選手が増えたようにも感じました。
一旦は、メダルや点数のことを忘れて、
「人を感動するような演技をしたい」
という、純粋な気持ちで臨む、とでもいうのでしょうか。
鈴木選手や、安藤選手からは、そのようなものを感じました。

 

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今さら紅白

2010-01-24 10:05:43 | 私の感性(メディアからの感想)

↑息子ねこたろう(2歳9カ月)にパソコンを包囲されました(笑)
「かあちゃん、パソコンばかりやるなや!」
っていう反抗か!?

 

息子ねこたろうが珍しく早く寝てくれ、そして寝付いたときの抜け出しに成功したので、久々に自分時間の夜を満喫!
とはいえ、せっかくブログ三昧ともくろんでいたものの、夫にPCを占拠されており。
そんなときには、TVを見るか!と久々に、TVをじっくり見ました。
撮りためていた番組が貯まってきたので。

その中の1つに。
大みそかの「紅白」が。

大みそか当日の紅白の時間帯には、息子をおふろに入れさせたり、夜中に初もうでに出かけるのに、準備をしたり・・・
と結構バタバタしていました。

いつもは、「ながら」見の紅白で、録画もしなかったのですが(というか、それまで録画デッキがなかった我が家・・・)
今回はスーザンボイルさんが出演されていたので、それを後でじっくり見たくて、録画をしておいたのです。

大晦日からいったい、何日経っているのか。
今までも見る機会がありそうで、実はそれほどなく。
日中、ご飯を食べている間に、少しずつ見ちゃおう!と、TV(DVD)を付けると、
決まって、ねこたろうが
「えもん!(ドラエモン)」
とか
「アンパンマン!」
と激しくリクエストをしてきて、それを無視して紅白を見ようとすると、怒りまくるので(泣)
「日中のTV=子供のもの」
と諦めです。

夜は夜で、TVの画面より、PCの画面を見ている方が多かったり(汗)

やっと、満を持しての「紅白」です(笑)

紅白の特に後半戦は、歌唱力のある方ばかり、聞かせどころのある歌が満載で。
見ごたえがありました~。
感動ですらありました。
他の音楽番組とはまたちがう、どんなに大ベテランの歌手であっても、緊張するという、「紅白」ならではの空気感。
TVを見ているこちら側にも、それが伝わってきました。

ねこのすけが印象に残った歌。いくつか・・・(出演順に)

スーザンボイルさんの清らかな歌声。

徳永英明さんの、切なくなるようなハスキーボイス、そして変わらぬ歌唱力。

アンジェラ・アキさんの「手紙」は、老若男女歌える名曲になってきましたね。

ゆずさんの「逢いたい」という歌は、北川悠仁さんの、亡き父に捧げる歌だったんですね。
歌詞の由来をこの紅白で知って、歌詞(テロップ)を見ながら聴き入っていたら、じわっつと涙が出てきました。
「もう1度逢いたい・・・」
いつもいてくれて当たり前だと思っていた家族。
でも、「別れ」は必ずあるものなんだと。
自分自身の親を想い。
そして、息子が成長して、親を見送る立場になったとき、
「もう1度逢いたい・・・」
と思ってくれるだろうか・・・?と。
今後の子供の成長ぶりにまで思いを馳せてしまいました。
特に、「血のつながった」家族というのは、生まれたときからそこにいたから。
「出会い」
というようには考えていなかったのだけれど。
息子を産んでから。
確かに、自分の体の一部で、自分の体の中で育ち、自分のお腹から産み出すのだけれど。
自分の体の一部のように思える我が子でも
「人と人との」これは「出会い」なんだと、感じていました。
「この母を選んでくれて、やっと出会えた。ありがとう。」と。
そして「出会い」には「別れ」もあるんだ。
今は、母子べったり、密着していても、
「別れのときが来る」
と思ったら、涙が溢れて止まりませんでした。

2009年の紅白のテーマでもある「歌の力」。
「歌の力」で、こんなにも、「想い」が巡ってしまうとは思いませんでした。

↑画像は、今回の記事の内容とは関係ありませんが・・・
「カクタス」、デジ一で撮ってみました。

そして、続き・・・

矢沢永吉さんの、サプライズ出演。さすが、貫禄だなぁ。

コブクロさんの歌唱力とハーモニーはいつ聞いてもしびれるなぁ。
「STAY」は、見ていたドラマ「官僚たちの夏」の主題歌でもあったので、ドラマの場面も思い出しました。
見ごたえのある「熱い」ドラマだったなぁ。

絢香さんは、若手でもかなり歌唱力があって。これからの活躍を期待していたのだけれど、引退とは、非常に残念です。
「最後の歌」と思いを込めて、熱唱されていたのが、すごくじーんときました。

紅組のトリ。ドリカム!
「その先へ」
という歌に、またやられてしまいました。涙が溢れて止まりませんでした。
吉田美和さん、たしか、夫に先立たれているんですよね。
深読みかもしれないけれど、吉田美和さん自身が作詞された、この歌の歌詞が、
吉田さんの「魂の叫び」のように感じられて。
「苦しいもがきの中から、絞り出すように生まれてきた歌」のように思えてなりませんでした。
苦しさも体験し、でもその中からまた、「その先へ」向かおうとする力強さが、歌詞、楽曲、歌唱力・・・まさに「歌全体」「魂全体」で表現されているように感じ、勇気やパワーをもらいました。

紅白をあらためて、じっくり見ると。
歌ってハートなんだなぁ。
心からの歌って、心に響くものなんだなぁ・・・
とあらためて思いました。

 

今さらながら。紅白を見ての、ねこのすけの「想い」つれづれでした。

 

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映画「私の中のあなた」

2009-10-27 20:00:21 | 私の感性(メディアからの感想)

前回、「次回はホムセンで買ったものを紹介します」と予告しておきながら、予告とは全然ちがう記事・・・(滝汗)
はりきって、色々写真を撮ったりしたものの、PCの前に座っている時間が取れず、画像処理などが進まず。
急遽、ぱぁーっと書けそうなネタのものをアップすることにしました。(失礼!)

 

懸賞で、映画のチケットが当たったので、さっそく映画鑑賞をしてきました。
「私の中のあなた」です。



画像は公式サイトより拝借しました

嗚咽を殺しながら、映画館で映画を観るのは、ツラかった(><)?
でも、それだけ、心に沁みました。
観終わった後は、目頭が痛かった!

病気の姉を救うために、ドナーとして「意図的に創られた」アナ。
小さい頃から、自分の体の一部を姉に提供し続けてきたアナだが、
あるとき、「自分の体は自分で守る」と、両親を相手に訴訟を起こす。
その決断には、ある理由があったからなのだが・・・

ストーリー紹介は、ネタバレになるといけないので、このくらいにして。

病気の姉ケイトをとりまく、家族たちの、様々な思い。
みんな、それぞれ、家族を思いやりながらも、少しずつずれてしまう現実。
特に、キャメロン・ディアス演じる、母の「ケイトを生きさせなければ」という強い信念が、知らず知らずのうちに、家族を苦しめていた・・・。

また、病気の姉ケイト自身の、死と隣合わせであることの心情。つらい闘病人生の中にも、つかのま、「人生の輝き」ともいえる恋愛経験をし。やがて死を受け入れていくという覚悟・・・。

家族の色々な思いを感じ、涙しました。

うまく、まとめられなく、もどかしいのですが・・・

いい、映画でした・・・
 

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アラフォーとひとくくりにされましても・・・

2009-06-28 14:00:11 | 私の感性(メディアからの感想)


↑画像は今日の「お題」とは一切関係ありません(笑)
ウチの夫がベランダ菜園で育てているミニトマト「アイコ」。
食卓に載せるには、まだ収穫量が少なく、不足分をスーパーで買おうとすると、悲しい顔をする夫。なので、今時期、トマトを買うことができません・・・(ミニトマトでなく、大きいトマトを買うことにしている)


 さてさて、今日の「お題」は「アラフォー」のことでしたね。
 この「アラフォー」という言葉。先日見たニュースでも使われていて(アラフォー世代の消費に経済界は期待しているとか、そんな内容のことだった)、なんだか色々と感じることがあって記事にしてみました。


 まず、この記事を書いている、ねこのすけの年齢なのですが、今までも、ブログの中ではっきりと年齢を書いたことがないことに気が付きました。そして、自分でもオブラートに包むように?「四捨五入するとアラフォーだよ」なんて他の人のブログのコメントに書き込んだりしてきました。
 まあ、隠すまでもないので公表しますが、1972年生まれ。今年37歳になるオバハンでございます。 同じ学年の芸能人に、木村拓也さん、深津絵里さん、常盤貴子さん等々がいらっしゃいます。
 37歳というと、それはもう「いい大人」と思っていましたが、自分がその年齢になっても、落ち着きがなく、まだまだ未熟な点もあるし。むしろ下の年代のしっかりした人から感銘を受けたりして。年をとれば、誰もが人間性が錬れるというわけでなく、年齢に関係なく、ほんとその人の持った「人間性」がどうか、と思いますね。

・・・で、自分でも自分の年齢(世代)のことを「アラフォー、アラフォー」と呼んでいる割りには、自分でもなぜかしっくりこないというか。(年をとることに抵抗があるということでなくて)

自分の世代を表す言葉で、自分なりにしっくりいくと感じるのは、「第二次ベビーブーム」「就職氷河期」「失われた10年」「ロスジェネ」・・・
(トーンが暗くてごめんなさい)あまり華やかなイメージではないんです。
実際ねこのすけは、バブルの頃は高校生だったし、バブルの恩恵を受けて華やかに遊んだということもなかったし・・・。
 
 一方で「アラフォー」は、ともすると「バブルの権化」的な使われ方もしていたり。(と自分には感じる)
 だから、なんとなく自分の世代を表す言葉としてしっくりこないというか。
(中には、ねこのすけと同じ年生まれでも、大学時代に、バブル崩壊直後の「お立ち台」に立って踊っていた方もいるだろう・・・だとするとやっぱり自分達世代はアラフォーでバブルなのか???)

 あ、アラフォー(around 40 の略)とは、40歳前後の世代を表現した通称で、昨年(2008年)の流行語にもなりました。
 昨年流行語を取った時点で、ねこのすけは、「1年で消える言葉かな?」と踏んでいたのですが、未だにその世代を表す言葉として使われていることが多い気がします。
 
 そもそもアラフォーという言葉の派生は数年前(なんだそうです)で、昨年その言葉のピークを迎えたとして、その時点でアラフォーの人たち、ということなら、なんとなく「アラフォー=バブル世代」的な使われ方をされてもやむを得ないのかなぁと感じます。

 でもそれから何年経っても「アラフォー、アラフォー」と言われると、当時その下の世代だったものが、数字の上だけでは四捨五入するとアラフォーに入ってくるんですけど。

 もし「バブル世代」を指してアラフォーと使うなら、そろそろ「オバフォー」(over40)という呼び方が出てきてもいいのでは?(←今突然造ってみた。めざせ、流行語大賞!?)

 第二次ベビーブームのウチらは、アラサー(around 30)ともまたちょっとニュアンスが違うのかな?(自分の中では価値観的なものがアラサーの方に近いのだが、年齢的にアラサーというと厳しいものがある・・・
 あらためて、アラフォー、アラサーという意味をネット検索していて、コチラのwebを参考にしてみました。

 ちなみにそのwebによると、アラサーは、90年代中頃に高校生で、ミニスカ、ルーズソックス世代。団塊ジュニアの次なる世代を指しているのだそうです。

 これは、テレビのコメンテータの方が言っていたのだが(だいたいのニュアンスでこの記事を書いているので、一句一句がその方の正しい発言ではないのであしからず)「アラフォーが仕事も遊びもバリバリ頑張り、肩の力が入っている感じがする一方、アラサーは、そういうアラフォー世代を見て「痛い」と感じており、肩の力が抜けた自然体というか、仕事をバリバリというより自分を大事に、家庭にも重きを置くというか、堅実的な消費傾向がある」んだそうな。

 上記のような言葉の意味からいくと、第二次ベビーブーム世代は、アラフォーにもアラサーにもどちらにもあてはまりきらない、まさに「間」の世代、(むしろアラサー寄り?)と自分は感じているのですが、どうでしょうか?

 各世代の象徴を表す言葉としてアラフォー、アラサーという言葉が華やかに使われているけれど、そうひとくくりにされても「そうじゃないんだけどなぁ」と違和感を覚えるのであります。(バブル時期に遊んだ経験がなかったひがみ?)

 こういう流行語って「言葉が独り歩きする」というか、その世代の華やかな一部の集団を指して使われているように感じます。
 戦後においても「斜陽族」とか「太陽族」なんて言葉が流行語になったりしてましたもんね。今の「アラフォー」世代にもかぶると思うのですが、60年代生まれの方たちなんか、80年代に「新人類」と言われたり「女子大生」なんてもてはやされたりして。

 まさに「アラフォーど真ん中」の年齢の人たちの中にだって、バブル期においても堅実にその時代を過ごしてきた人もいるだろうし。

 全員が全員「そのイメージである人種」ということでないことを充分に承知の上で。
個人的な性格がその世代を指すイメージに合わない違和感もあるし。

 それでも'72年生まれを「アラフォー=バブル」に当てはめるのは、やっぱり「ムリがある」ように感じるのですが・・・

 

 まあ、どうでもいいことを、ツラツラとぼやいてしまいました。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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おくりびと

2009-03-24 01:00:00 | 私の感性(メディアからの感想)


  2009.3.22(日) 映画「おくりびと」を観てきました。
  アンコール上映に駆け込むように、ようやく観ることができました。
  ねこたろうは夫にみてもらって、おひとりさまでの映画鑑賞です。
 

 いやぁ、数々の賞を受賞している作品だけあって、いい映画でした。
 涙があふれて目が痛くなりました

 この映画で納棺師という職業を初めて知りました。
 そして、その所作の美しいこと!
 
 死ということは、その人の人生の締めくくりということ。
 その締めくくりを、こんな風に美しい所作をもって納棺してもらう。
 それだけで、その方の人生まるごとを尊厳してもらっているかのような。

 自分の最後も、こうしておくられたいなぁと思いました。

 納棺師という、マイナーな職業、(ある意味、人が忌み嫌う職業・・・?)にスポットライトをあてる・・・というのも、この作品の特異とするところなのかなぁ、とも感じました。
 そして、どんな人でも、スポットライトの当て方しだいで、まるで映画の主人公のようになれる。人生を生きるってそういうことなのかもなぁ・・・なんてかなり飛躍した感想ですが、そんな風に思いを馳せました。


 死は旅立ち・・・なんですね。 だから 「departure」なんだぁ・・・

 

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鳥獣戯画

2009-03-16 18:50:12 | 私の感性(メディアからの感想)

 
 新聞を見ていて思わずクギづけになってしまった「鳥獣戯画」。
ねこのすけの心になぜかヒットしてしまい
そこの部分を切り抜いてしまった。↓

「残したい この息遣い」というタイトルで、
どれどれ、と見入ると、



↑鳥獣戯画でも有名な「相撲」
「勝ったカエルはポーズをつけ、声をあげているようだ」と新聞に書かれている。

ほんと、カエルのポーズや表情が生き生きとしていて、なんともユーモラス。
心の中で、クスッと笑ってしまった。

 「日本アニメの源流」とも称される国宝・鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)。
 製作から約800年を経て・・・とあり、
 「800年前に、このユーモラスな絵が存在していたんだ!」と妙に感動。
 当時の子供たちは、この絵を見て楽しんだのかな?なんて一瞬妄想。
 でも、庶民の子供たちは見る機会もなかっただろうけど。

 今でも、例えば絵本の代わりに、
 「うさぎとカエルが相撲をとって、勝ったカエルが小躍りしてるよ」
 なんて、読み聞かせをしたら楽しいよなぁ。

 そういえば、この絵、てぬぐいとかグッズになっていたような・・・
 ネットで調べると「鳥獣戯画グッズ」色々ありました。

 
 京都の和雑貨 彩巴亭(さいはてい)さんでは、ブックカバーがあり、
 京都便利堂さんでも、スタンプや扇子、レターセットなど色々なグッズを扱っていました。

 身の回りの小物にこの絵があると、楽しい気分になるかも。
 手ぬぐいを額の中に入れて、和室の壁に飾ったりとか・・・(←色々妄想中。このごろ壁に何を飾ろうかばかり、考えている)

 この名作の劣化を食い止めるプロジェクトが朝日新聞文化財団の文化保護助成事業の第1号として始まるのだそうだ。
 ぜひ劣化を食い止めて、後世まで残してほしいです。
 そして、鳥獣戯画に限らず、浮世絵などの日本の名画を、手ぬぐいとか絵葉書とか、そういう小物グッズで庶民に広げるというのも、いいことかも。
 

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 【追記】
 このブログの存在を唯一知っている友人から、「鳥獣戯画」のグッズなら千葉市美術館でも売っていたよ!と教えてくれました。
 ねこのすけの地元(身近なところ)にもあったなんて、まさに「灯台下暗し」でした!
 たまには、ぷらっと美術館に出かけてみるのもいいかも。(まだ子供が小さいから、そういう高尚なところへは一緒に連れていけないけどネ・・・)

 


 


何を「やらない」か

2009-02-20 16:35:57 | 私の感性(メディアからの感想)

 ねこのすけの同級生が配信しているメルマガに、
 「何を『やらない』か」という記事があり、なるほど、と思ったんです。
 (メルマガ「イマジン」が「リアル」になる日より)

 年頭などにあれこれと抱負を掲げるけれど、結局やれずじまいのことには何かしらの原因があり、それは、時間的、金銭的、健康的、資源の制約が多い・・・と。
 睡眠時間や、本当にに大切なことのへの資金を削ったりしてまで実行するのは本末転倒では?と。
 何かを成し遂げる為には、重要ではない、ないしは優先度の低い「何かを(意思をもって)やめること」も必要であり有効だと。

 

 そこで、ねこのすけも意思をもってやめたものがあります。
 それは、夕刊です。
  なんや、ちっぽけやなー、って感じですが。

 夕刊があればそれなりに目を通すし、おもしろいコラムなんかもあっていいんですけどね。
 blogを始めてから、そっちの方が楽しくなり、時間があればblog巡りもしたくて
 その分、新聞、特に夕刊を読む時間までまわらなくなり・・・。
 時間は有限なのに、やりたいことばかりあれも、これもではパンクしてまう、と。
 
 優先順位の低い夕刊をとるのをやめてみました。

 結果、
 ・「夕刊をとっている以上は読まなきゃ」といった変な脅迫観念から開放され(←ホント、ヘン)、
 ・リビングに未読の課題書とばかりに置きっぱなしになっていた夕刊がなくなってスッキリし、
 ・新聞回収に出す量も減り、
 ・新聞代も節約(月200円だけど)
 ・夕刊を読む時間をblog巡りに充てられる

 というメリットが生まれました。
 ねこのすけにとってデメリットはないです。
 

 ねこのすけの同級生が提案しているものと本筋がちがうような気もしますが・・・
(だって結局ダラダラblog巡りしてしまってるから・・・

 次なる「やらないもの」ではないけれど、削る部分として目指しているものは、
 ズバリ「(blog文章などを)簡潔な文にすること」です。
 これが難しいのですが。

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 拙いブログのために、皆さんの貴重な時間を浪費させてしまいました
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ことだま

2009-01-12 23:18:53 | 私の感性(メディアからの感想)

 


 ねこのすけが先週読んだ新聞のコラムやお気に入りのブログの中から、気に留まった言葉の数々を書き留めておきたいと思います。(自分のために)

 
  朝日新聞 2009年1月6日付 夕刊 
  
「たまには手紙で」黛まどかさんのコラムより・・・

 「毎日をもっと丁寧に生きて、(略)一つ一つの瞬間や出会いを、噛みしめるように生きたいのです。」
 
 「小さな命の輝きに足を留め、耳を傾け、敬い、交歓する時間を、もっと大切にしてゆきたいと思います」

 毎日を丁寧に、出会いや瞬間を噛み締めるように・・・に共感。
 ねこのすけも日々を愛おしく過ごしていきたい。
 そして、時々は自然と向き合い、自然の中の命の声に耳を傾け、敬い、対話する。
 それは、自分の内なる声とも対話することではなかろうか。
 雑然とした流れから一時踏みとどまって、自分の心の中の思いが自然にあふれ出すまで 「待つ」、そんな時間を持ち、大切にしたい。

 
 朝日新聞 2009年1月6日付 夕刊 
 
「いただ気ます」精進料理人 棚橋俊夫さんのコラムより

 「毎朝外と内とを掃除し清め、水行で身を清め、ごまをする。野菜たちと語りあいながらおいしくなるように料理する。客室に花や香をたむける。さらに表に水を打って、お客様を迎え召し上がって頂く。これらの行為はひと言でいえば「気」を演出することでもあるます。
 (略)
 気のない食が続けば病気、狂気になりはしないか。気のある食で、元気、根気、勇気を養える。」

精進料理人のようにいかないまでも、「食」する場所である「住」を掃除し清め、「住」に花をたむける。そんな清々しい「気」を暮らしに取り込み、新鮮な旬の食材と対話し感謝しながら料理をし、それを食す。これに勝るパワーフードがあろうか。
 ジャンクフードばかりじゃ、病気にもなろう。清い精神も宿るまい。
 家族の健康を預かる「食」。「気」を入れた「食」となるよう見直そう・・・・

 

 あの、わたし、渡辺満里奈さんのブログや、ともさかりえさんのブログも好きでして。たびたび拝見しているのです。ムフフ。
 
 渡辺満里奈さんのブログ 2009.1.2付 より
 
「誰かを羨むとか、妬むとか、そういったことのない、そういった感情に巻き込まれることのない1年でありますように。平凡に見える毎日がとても愛おしい毎日だということを忘れないように過ごそう。」

 ともさかりえさんのブログ  2009.1.7付 より
 「やわらかくやわらかく、みんなが幸せであるように。誰かを妬んだり羨んだり憎んだり、そういう気持ちに巻き込まれないよう。世の中を呑み込みすぎぬよう。」

 
 偶然にも、お二人とも、誰かを羨むとか妬むとかそういう気持ちに巻き込まれぬよう・・・と綴っていました。
 芸能人の方など、広く影響力を持つ方は、こういう負(マイナス)の「気」にも巻き込まれやすい環境にいるのかもしれないなあ・・・と勝手な推測。
 芸能人でなくとも、こういう妬み、羨み、憎みの気持ちに巻き込まれたり、同調したり、自分から発したり!?・・・ということなく、自分の基盤を大事に保ちたいと思うねこのすけです。

・・・にしても、さすがモノを書く方たちは言葉を紡ぐのが上手で、心の琴線に触れました。
 

 

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【今日の捨て捨て】
 冷凍・冷蔵庫の整理をしまして・・・で古くなったものを処理(恥)これが2個
 使い古したぞうきん、ふきん3個
(↑はっきりいってゴミじゃん。これってカウントしてもよいのか?
 243個/2009個

【ねこたろうの風邪】
 今日は平熱で、再び熱がでることはありませんでした。
 ひとまず風邪は終息。ご心配おかけしました。m(_ _)m
 1/6~11まで6日間熱を出していたんですね。よっぽど悪い菌と戦っていたのかな。


知里幸恵さん

2008-10-26 14:55:09 | 私の感性(メディアからの感想)
 NHK「そのとき歴史が動いた」で知里幸恵さんというアイヌの少女の生涯を見た。

 知里幸恵さんは今まで存知あげなかった。
 けれど、「知里」という苗字に釘付けになった。

 昔、私が小学生だったときに、苗字の一番上の字と、名前の一番下の字をあわせて、仲間うちでニックネームにしようという遊びをしたことがあった。そのときの私のニックネームが「ちり」であり、漢字では「知里」であったのだ。

 少なからず、縁を感じ、画面に見入った。

 明治政府の同化政策の中で、アイヌ民族がさげすまれていく、そんな中でも幼い幸恵は和人になろうと必死で勉強したであろう、努力のあとを垣間見る。
 いくら努力し、実力は和人以上であっても、差別は消えない悔しさ。
 国語学者である金田一京助との出会いで、アイヌ民族は決して劣った民族ではないと、アイヌ文化の真の豊かさに目覚める幸恵。
 幼いときに祖母の傍らで聞いた、アイヌの伝承を文字でまとめていった。
 
 私はTVを見ながら、なぜか始終涙があふれて止まらなかった。
 伝承を子や孫に語り継ぐ際の家族のぬくもりを感じ、そこに幸恵も感じたであろう幸せを感じた。
 自然を敬い、自然とともに過ごしてきた、アイヌの心の豊かさに、心が洗われた。きっとそのような暮らしをしてきたアイヌの先祖さまたちは、幸せだったのだろう。
 そして、幸恵が上京したときの感想に、(都会人はみんなそわそわしていて落ち着きがない。百貨店など、別の星のもののようだ。百貨店で売られているものを私は着てみようとは思わない)(←文は正確ではありません。そのようなニュアンスだったと記憶して記述しています)
とあり、都会の摩天楼を別世界のようだと感じる私も共感してしまった。
 そこで、都会に迎合せず、(自分は欲しいと思わない)と思う幸恵は、19歳にしてしっかりとアイディンティティを確立していたんだなあと感じた。
 大地にしっかりと足を着き、自然を敬い自然と調和しながら生きるアイヌ魂が、しっかりと宿っていたのであろう。
 1人の少女の生涯は19歳と短かったが、その短い中でも懸命に生き、そして残した痕跡が、差別撤廃、民族の復権へと大きく影響を及ぼすことに心が震えた。


              
              わが家のふくろうの神様