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本日のスタジオグロウン、ゲストはポメラニアンズ。
彼らも一年前の出演から随分と忙しくなったバンドで、
だがしかし相変わらずまっつぐなナイスガイたちでした。
忙しいとは言っていたが。
カエターノ・ヴェローゾのアンニュイで不可思議な音楽が恋しくなって、
ここ数日はやたらと彼のアルバムを聴いている。
だから、ビデオダービーもカエタノにした。
突っ張っちゃ居ないが、
時代が彼を突っ張らせたという意味では60・70年代ブラジルの軍事政権に感謝せねばならない。
不自由な人間が自由を求める時に持ちうるエネルギーは、
愛を失った人間が愛を求めるのと同じくらい強烈だ。
逆に、不自由にすら気づかなく麻痺してしまうと、
人生の不足を表す物証もなく、
さりとて空虚を抱えて生きていかなければならないから、
これが一番大変である。
現代の日本人がこの問題をどうやってクリアするかが、
今後のアジアの発展における大きな提示になるだろう。
ないものねだりで闇雲に突き進んでるうちはいいが、
経済力を身につけたアジア諸国が、
日本や韓国と同じ過ちをおかして西欧に追従したら、
カンボジアやタイへ子供たちの輝く目を撮りに行く写真家も
いなくなることだろう。
どうやってオリディナルな発展を遂げるべきか。
ローカリズムっす。
「橘(たちばな)は准南(ワイナン:准は当て字。本当は三ずいです。)に生ずれば橘となり、准北(ワイペイ:同じく。)に生ずれば枳(からたち)となる。」
そんなこんなを考えながら揺られ揺られて電車帰り。
カエタノ、いいですよ。
60年代に始まったMPBと呼ばれるブラジルの音楽は、
時代は前後するが80年代ジャズと60年代ビンテージロックの掛け合わせみたいな満足感です。
オリディナルです。
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手術後2週間の入院生活を支えてくれたのは、DJ SQUALLが差し入れてくれたエリスのCDでちた。
哀しみも恋も、深々と染みた声で、おまけに楽曲を提供している人々がまるでヒップホップのディーバ(最近の出来合いのやつね)かよ!?ってくらいブラジル版凄腕集結状態だったりするので、これからの季節、日本女性にもエリスレジーナをどんどん聴いて中森あきなみたいな顔で街を歩いてもらいたいものです。
テメーのけつ拭く一時金のためにすべてがどうでもようなっている商売人のエゴが、なぜか尊いものであるかのように大道を歩いていますが、あきらめずにこうしたアホな開発、再開発を中止させて、暮らしと心のための景色を造っていこー。
将来的には、こういうことは政治運動にしないとだめだと思いまする。