この世に客に来たと思えば
何の苦もなし     
伊達政宗

週に一度は、ランニングコースの途中に在る、近所の八幡神社にお参りしています。

本日も夕方に、雨の中を「風邪も治ったで、八百万の神様に礼でも申し上げるか」と傘さして行きました。

賽銭箱の横に、東京都神社庁の発行する月一の短冊がありまして、普段はあまり気にしていなかったのですが
ふと、手にして ぶっっっっっっとびました、この言葉。

原文は「この世に客に来たと思えば何の苦もなし 朝夕の食事はうまからずとも褒めて食うべし。 元来客の身なれば好き嫌いは申されまじ」と続きます。

政宗公、ヤヴァし。


三宅ブログ | コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )

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コメント
 
 
 
Unknown (koh)
2008-10-08 06:06:22
自らの境遇を客観的に見るための知恵ですね。

ちなみに政宗公の辞世の句は、

曇りなき 心の月を 先だてて 浮世の闇を 照してぞ行く

だそうです。お見事。
 
 
 
Unknown (ST)
2008-10-08 07:52:59
客ならば、
いつ帰らねばいけなくなるかもわからないから、するべき事や伝えるべき事、
タイトに役目を果たさなければいけんですね。
 
 
 
はい。 (まーぼ)
2008-10-08 23:41:45
ヤバイブス
 
 
 
走る (big headz)
2008-10-09 01:08:57
最近ジョギングをしてます。
毎日6km。
運動をしていない自分がいたので。
走りました、川沿いを。
ランニングコースに反応してしまいました。

9月で仕事を辞めて、運動していない自分がいたので
走り出しました。

普段できないことをまずしてみようと思いました。

気づかない事がいっぱいあるのです。
なぜ、動きたいのか。
なぜ、走るのか。

求めてます身体。

全身で感じ前進あるのみ!!
 
 
 
あっぱれ (フカマチ エンジ)
2008-10-10 00:37:45
この時代の人物って、“浮世”って言葉が飛び交いまくってかなりスピリチュアルですよね。

仏教思想の上に『合戦』という生死のやりとりがあって研ぎ澄まされた哲学なんでしょうか。

戦国から江戸にかけてのこの時代って、独自の文化が昇華していて、日本の美が最も炸裂していたように感じます。

職人たちの“技術”があって、

武士道という“精神”があって、

『傾く(かぶく)』という“ロック”があって。
(伊達政宗も傾奇者だったみたいすね!)



『葉隠』の言葉ですげー好きな言葉があるんで載せときます!


一瞬を想う一念 それのみが大事なり

一瞬一瞬を重ねること それが人の一生なり

その大事を悟れば―――

もはや他に行うべきことはなし
 
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