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のんびり主婦日記

★お弁当★片付け★子連れ旅行記★ [since 2005]
お気楽主婦『のんびり』の日常をお楽しみください

お盆準備とお仏壇その後

2011-06-13 12:42:09 | 我が家の…葬
我が家の菩提寺は、お盆は7月です・・・・そろそろお盆の準備をしなければなりません。
今までは実家で母が支度をして、私たちは当日行けば、大丈夫!みたいなやり方だったので、お恥ずかしながら支度ごとがよくわかりません(^^;)
しかも、母にとっては新盆(初盆)にあたるので、支度も少し違うような気がします。取りあえず調べてみました。宗派によって色々違うようですが、取りあえずスタンダードな揃えをしらべまして、取り急ぎ購入しました。お盆が8月のお宅もあるので、急いで用意する必要もないのかな?と思いましたが、菩提寺への連絡他しないとならない事はいくらかあるようなので、解りきった支度はできるだけさっさとしてしまうのが無難かな?と思ったり。揃えても足りないと後でわかるものも出てくるかもしれませんから、慎重にするのは悪くないでしょう。

さて、本来なら我が家に新しいお仏壇をしつらえたので、我が家でお盆をするのが良いとは思うのですが、妹と話し合って今年は実家でする事にしました。
母の長年暮らした家へ一度くらいは父と一緒に帰ってきた方がいいかな?と思ったんです。母のしつらえたお仏壇はお位牌こそないですが、実家でそのままになっています。祭壇用の小机なんかもそのまま実家に置いてある状態ですから、こちらかお位牌とお盆用品だけ持っていけば特に揃える必要はないままになっています。まあね、実家は現在無人なのでアレコレそのままになっているものが多いんです(^^;)徐々に片づけないと駄目だよね・・・・と妹と言ってはいるのですが、やってもやっても荷物は中々減りません。母が40年以上暮らした家なので、当然と言えば当然なんでしょうね~遺品整理は年単位かかると知人に聞きましたが、本当にその位かかりそうです(TーT)まさかのライフワークになっちゃったりしないかちょっと怖いですが、私と妹が片づけないと誰も手が付けられないので頑張りますp(^-^)q

片づけるといっても、生活できない程の散らかりようって訳ではないです。家人が居ないのにまるで昨日まで生活していたかのような状態という事なので、別に私や妹家族が宿泊したりもできますし、お寺さんを招いてお盆をしたりも普通にできます。
でも・・・・母の衣類や日用品も処分しきれていないんですよ、誰も使わないとわかっていても母のお気に入りのスーツやら和装やら中々思い切りよくはできないものですね(^^;)

さてさて、そうなると我が家にあるお位牌を持って、用意した新盆用品を持って実家に向かいます。
予定は妹と打ち合わせ済で、来月の頃合いの良い週末に家族全員で行くと言う風に決めました。ちょっとお盆とはずれてしまいますが、せっかくなら娘たちとその連れ合い、孫も全員顔を揃えてあげたいんですよね・・・・お寺さんにも今月中に連絡を差し上げて、日時のお約束をさせてもらわないとなりません。少しバタバタしそうなので、必要な品等できる準備は早々に手を付けるのが得策という訳です。

そうそう、妹には写真で報告はしたのですが、御影石の仏具も持参しようかな?と思います。暇をみてお仏壇に手を合わせに来てくれるとは言ってましたが、実は妹現在引っ越し準備の真っ最中なんです(><)先日の大地震で、新居の工事が遅れている(部材が東北地方から調達だそうで、ストップしてるとか)との事なので、夏休みに引っ越し予定でしたが、ちょっと延期になるかも?と言ってはいましたが、それがどのくらい遅れるのか?それとも予定通りなのか?読めないんだそうで、引っ越し準備はいずれにしてもしないといけないので、予定通り衣替えついでに順次準備を進めると言っていました。現在の住居も戸建の持家なので、特に期限が延びても縮んでも彼女にとっては別段問題がないのが、ラッキーですが、賃貸だったらこの曖昧な納期変更は相当大変なんじゃないでしょうか?ただ、学校の事もあるので「できるだけ長期休暇中に作業ができるといいんだけどねー(^^;)」とこぼしていましたが。
それにね、夏休みだったら少しは私も手伝いに行ってあげられるかな?と思っていたのですが、休みがあけてしまうとやたら行事が目白押しの2学期が待っています、ちょっと時間がとれそうにないです(TT)
行事が多いのは彼女の家も一緒・・・・学校の役員なんかもあるみたいなので、彼女もドンドン忙しくなるはずだから、引っ越し延期はかなり予定がカツカツになるかもしれないですね。
まあ、そんなこんなで、新しいお仏壇をみるというのは順延中です(^^;)
折角なので、妹も父のお厨子もどきの分解は心配してくれていたので、新しい仏具も一式持参してみようかと思います。

御影石で特注した仏具は
 *父の遺影
 *花生け1対
 *お鈴台
 *玉2つ(父と母の名入り)

です、他にも仏具は必要なので、とりあえず実家で使っていたものを使っていましたが、なんだか御影石の仏具ととってもチグハグ(+v+。)
画像に香炉はありません・・・・実家では大小あって小を持ってきたのですが、大きすぎてこの小さなお仏壇に置くと見た目不安定(重量的には問題ないんだけど、バランスが悪い)なので、小さな子もいるしお仏壇台の上段に置き、お線香をたくときだけお仏壇にのせるようにしてました(^^A)


母のしつらえでは、同じ金属材質の仏具(右画像にある火立てがそうです)でそれなりに恰好がついていたのですが、やっぱり大きさとか形状がどうしても御影石のものとは合わなかったのです。あうように作ればよかったのでしょうが、元々の形状を少し残しつつデザインしたのと、石が加工の衝撃で割れる事があるそうで、大きさなどに限界もあったんですよね・・・・10年以上実家のお仏壇で使われてきて、キズもあるし拭き掃除程度では取れきれない汚れもあるので、もういいのかな?と思う事にしまして、御影石に合うものを探すことにしました。
あれこれ探したのですが、オリジナルの仏具に合うというのが中々大変で・・・・仏具って単品販売していないものも結構あるんですよね(^^;)だからと言って模様違いサイズ違いじゃ意味もないです。
結局、残りの仏具も特注でお願いするようになってしまいました。

たまたま見つけたガラスの仏具専門店さんは、価格もとっても良心的で、既成サイズも展開していますが、特注もきいて頂けるとの事、凄く親切な対応にもとても助かりました!!
アイテムも石仏具で足りない分という事でイレギュラーなセットをお願いしたのですが、それも快く引き受けてくださいました。模様についても希望があれば沿ってくださるとの事でしたが、既成品のシンプルな模様がとても気に入ったので模様はそのままで、色変えだけお願いしました。
勿論、色も作って頂く訳なのでサンプルなどを作って頂いてそこからチョイスする形です、ちょっと時間はかかりましたが、凄くその対応も明瞭だったので、不安もなく出来上がりを楽しみにしてました。
それが先週やっと届きました!!
実は、特注でも作った事のない大きさや形状にチャレンジして頂いたので、先方はこちらの反応が凄く不安だったようですが、サイズも形状も理想通りでとっても素敵に仕上げてくださいました。有難くて嬉しくて、感激してしまいました。

ガラスで特注した仏具は
 *火立て1対
 *茶湯器
 *仏飯器
 *香炉
です、全部で5点・・・・普通の揃えで5点だと別のアイテムになっちゃうんですよね(^^;)

これも妹にも見せてあげたいので、全て持っていこうと思います。
数日間、我が家のお仏壇はカラになりますね(^^;)
実家にはなかったご本尊様も購入したので、そちらの魂入れもありますし、全て持って実家へ行くので、結構な量です。
割れ物もあるので、納品時の内箱と段ボールは、捨てずに残してあります。持ち運びにもってこいなので活用予定。仏壇の和室には段ボールがいくつも・・・・見場がちょっと悪いです(^^;)
でも直ぐに使うし潰したり折りたたんだりしたらまた組み立てが大変だし、ビニールパッキンなんかもあるのでそのままが便利だろうって事で、仕舞うに仕舞えません(=v=*)仕方ないです、しばしの我慢です。

来年からはお盆も我が家でしたいと考えています。
少しの間、行ったり来たりですが、仕方ないですね。
何だか忙しい夏がやってきそうです・・・

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納品完了・感無量

2011-05-16 14:03:18 | 我が家の…葬
先日、5/14(土)にやっとこお仏壇が整いました!!
お仏壇そのものは既製品を購入したので、納品期限はこちらで決めたのですが、問題はそのお仏壇を乗せる専用台と中を飾る仏具が特注だったこと。
これらが完成が見えない為、購入後4日程で納品可能だったお仏壇を2ヶ月以上先の納品に延期してもらったのですが・・・・・何だか長いような短いような時間でした。


経緯は(各別窓開きます)以下参照ください~(^^ノ
2/28 買いました・・・ついに!!!!
3/3 特注って大変(^^A)


何だかんだと右往左往した
仏壇台と仏具の業社さんがそれぞれ、何とか決定したのは3/3記事を書いた後ですか。
アチコチご相談を持ちかけて、反応をみつつ業社さん選び・・・・無い物を形にするのですから、それなりに思いの丈をお話しして、納得してご協力くださるお店でなければやっぱり駄目だという事を学びました。

お仏壇台の方は、ご近所のオーダー家具工房さんにお願いすることに!!
こちら、過去の経験で特注のお仏壇台やお仏壇本体も作った事があるようで(ブログが作品に大変詳しくてとても参考になりました)したので、お願いしやすかったです。
しかし・・・・普段は大型家具や無垢材のキッチンのような高価な品を作られる工房さんなので、こんな小物を適度な価格で頼むのが大変申し訳ないような気がしたり・・・・いや、頼んじゃったけど(^^;)
ちびた品でも大変気持ちよくお引き受けくださって、本当に有難かったです!


ちなみに、オーダー家具工房さんのURL
オーダー家具 フリーハンドイマイ
家具のオーダー予定がなくてもお洒落なホームページと素敵な作品集は見る価値ありですよ~


正直、お仏壇本体もそこそこの価格だったので、更に大がかりな台を作るというのはちょっと予算的に厳しく、その辺も大いに相談に乗ってくださいました。
お仏壇を購入した業社さんにお願いした半額程度の価格で、製作して頂けるようなお見積りに感激してお願いしたんですが、お仏壇以外にも使えるように!と簡素な台をお願いしたのですが、少しでも違和感を埋めるようにや雰囲気を出すようにとデザイン提案してくださったのが、本当にうれしかったです!
あ・・・でも簡素なデザインが土台なので、見た目単なる台に見えます。


石仏具の方は、紆余曲折ありましたが最初にお願いした石屋さんにやはりお願いすることにしました。
細かい作業や面倒な事も最終的には引き受けてくださり、感謝しています。
多少メールのやり取りのユックリ具合には疑問が残りましたが、専業ではないのと度重なる余震で石屋さんの近辺のお寺さんから、度々のお墓修繕以来なども重なった事もあるようでしたので、最終納期さえ守ってもらえればとゆっくり構える事にしたのが良かったのか?途中からかなりやり取りもスムーズになってきたのが嬉しかったです。
仏壇台に関しては、ご提案のデザインに有り無しといったお返事を差し上げる感じで進んだのですが(つまりはお任せ)仏具に関しては、デザイン提案もこちらから相当させてもらいました。
昔取った何とやら~で久々にデザイン画なんかも描いたりしましたよ・・・・でも手書きは面倒なんで(え?)パソコンでチャチャッと画ですけどね(^^;)
先方は恐らくCADか何か使ったきちんとしたものを送信くださいました。いや、図形ソフトとか買っても使う用がないんで、今の私にはエレメンツ位で上等ですから~そんな完璧な物こちらで出来る訳ありません。石の加工なんて手がけたことないので、取り効率もわからないし加工可能範囲も想像もつきませんし。
恐らく、大きな石製品をメインとしているなら、それなりの大きな機材で作業するんだろうな~程度の知識で、何ができるって・・・・ラフスケッチとデザイン提案位ですよ。
いや、不思議と以来通りのものができてきたのでビックリしたんですけど。
最後の方は、残材がどのくらいでどんな形かわからなくなった(加工過程が見えないからね)もので、鈴台なんかは「残材でデザイン性に富んだものをご提案ください、サイズは**位希望」みたいに丸投げしたら・・・・若干混乱してました(^^A)仕方なく、市販品で気になるデザインのスクラップを作ってサイズと仕様を指定して、残材を上手く使えるデザインで!と改定してお願いしたり。
先方はどう思ったかわからないのですが、こんな細かいイメージって普通でないと思うんだけど・・・・まあ仏具は初めてだとの事だから仕方ないのかな?と。
それでも何度もデザイン画をご提案頂いて。やっとこ気に入るものが完成した訳です、メデタイ!!

本当にあれこれ言って申し訳なかったけれど、石屋さんに感謝(^人^)
お蔭さまで大満足の仏具ができました~

実は・・・・仏壇納品が最後だったのですが、納品にいらした八木研社員さんが「御影石の仏具は見たことない」とおっしゃる。「特注なんです」と言ったら「素敵なので仏具の写真を撮らせて欲しい」と・・・・一瞬作った業社さんもあるしな~と思ったけど、特注だし一番誉めてもらった花生けは私が丸ごとデザインした品だったので「いいですよ(^^)」と言ってしまった。
良かったんだろうか?もしかして今後八木研さんのモダン仏具に御影石製の仏具(現状無)が追加されたりして?(それはないか~ははははは)
とにかく、何だかわからんけど私の勝手な一存で撮影許可。どこからでも撮って頂戴~どうせ、私のブログで公開しちゃうし(^m^)

余所で類似品見たら、教えてください~(いや、ないと思うけど)なんてね。

そんなこんなで・・・・問題の仏壇一式、ご覧ください~

まずは~仏具アップ(注:遺影と戒名はボカシ入れております)

父の承諾が得られないので(^^;)?遺影の顔を少しぼかしておりますが、この程度の解像度なら問題なく父の表情がハッキリ表現されている遺影は、黒御影に写真を彫刻してつくられています。
この遺影は母が作ったお厨子もどきの部材を底面カットする程度で再利用しております。
私が作ったのは、遺影の台座となります。接着すると業社さんは言ってましたが、取り外しできる方が良いので差し込み式にしてもらいました(そのせいか?底面荒削りでちょっと微妙^^A まあ見えないからよし)
私が部材分解を考え、元の姿を残すべくデザインしたのは「花生け」1対です。
金色の常花は、母が購入したものですが、サイズが合わなかったので現物を送って少し加工してもらいました。元々母が使っていた花生けは陶器(恐らく常花とは別買いしたものらしい)でしたが、若干このお仏壇と雰囲気が合わなかったので(母の用意したものにはそれなりに合っていた)作ってよかったです!このお仏壇には少々大きな常花なんですが、何とか違和感ないようにおさまっております(と思う)
お鈴台、こちらも特注。最初はただの台で良いと言ったのですが、鈴棒を置きたいので溝を掘ってもらう事に、サイズがわからないと色々ご意見があったので、鈴棒サイズを採寸したりしてぴったりの溝をお願いしました。サイズが細かすぎて利用の機材では磨き加工ができないとの事だったので、切りっ放しにしてもらって、私がフェルト貼りをするとうい事で、キズ防止をしました。
普通、そんなの何とかなると思うのですが・・・・どうしても無理という事は、面倒がらずにこちらで引き受ける事で完成を目指しました。
お鈴台・遺影台ともに底裏は切りっ放しです・・・これでは無垢のお仏壇がどうしてもキズになりますので、そちらのキズ防止も私が自分でしています。画像公開するほどの事ではないので割愛しますが、市販の滑り止め樹脂を張り付けました。厚みがどうしても出るので、横から見えないような素材を選ぶのがコツです・・・・1000円アップしてもいい位の完成度に大満足(実費はごくわずかなので、石屋さんも商売が下手だな~と思ったり^m^)

お仏壇奥に隠れてしまうので画像では見えてませんが、父と母の名前の1文字を彫刻した「玉」も作ってもらいました。
実はこちらが一番難航した品です(=v=A)
なにせ、小さな品なので丸い玉が欲しかったのですがそれは不可能とおっしゃる。仕方なくそれ風なものを・・・1対で!と色々やり取りして形になりました。お仏壇に入れてもいいし、実家に行くときにお位牌変わりに持っていくもいいし(え?)お仏壇ではなくリビングとかに置いてもいいかもしれません。
魂入れはしてませんが、妹宅に置くかもしれないし、実家近くの親類が手を合わせるのに使えるかも?とも思っています。今のままお仏壇に置くのも悪くないので、この使い道は今後皆で相談したいところです。

お仏壇台・・・・一見普通の台ですが、実はちょっと工夫が。

画像じゃ~わからないかな??(^^A)
台の側面板の表面部分はカットが施されています。
ただの四角い箱じゃないんだよ~みたいな自己主張がさりげなくあります。
使い勝手を考えて1段板をいれてもらいました、お仏壇のある程度の重さを支えるのと自然のゆがみ防止も兼ねてます。さらに仏具が普通より重いだろうということで、背面にもゆがみ防止用の部分背板をいれてもらいました。
下段には取りあえず手持ちのカゴを入れて小物収納にしています・・・・こちらは暫定(^^;)
布でもかけようかな?と思っていますが、どうしようかな~これからの楽しみとしましょうか?

最後に扉をしめた画像

はい、ただの箱みたいです!
仏具を並べてる途中に撮影したので(え?)お鈴と線香立てが、棚に乗ってます(^^:)気にしない。
まあ、流石に仏具が見えるように置いてあると・・・仏壇かな?と思いますが、下のカゴに収納してしまえば、単なるチェストかな?みたいな雰囲気に。
これでこの和室をどんな風にも使えそうです。(^^v

仏間に泊まるの嫌ですよね(^^A)まあ隣の和室へとまってもらえば良いんですけど、それでも続き間なので襖向こうに仏壇ドーンだと気になるかも?って事でさりげなく気配を消せる家具調仏壇は重宝です。
父と母も家族以外が出入りするのを気にしないでのんびりできるような気がします・・・勝手な想像ですが。

とにかく、時間と労力がかかったので、何とも言えない気持ちです。
市販品だったら簡単だったかも?と思いますが、色々考えたらこうなったので仕方ないです。
思い入れも一層深まり、お仏壇とじっくり向き合えるきっかけになった木がしますので、無駄ではなかったと思います。私らしいお仏壇との向き合い方かな?なんて(^^)


長々とお付き合い恐縮です、こんな感じでひと段落ついている今日この頃です。
(まだ法事目白押しな1年なんですけどね)

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四十九日法要と納骨

2011-01-31 18:54:17 | 我が家の…葬
母逝去から七・七日経過すると、四十九日(大練忌)と呼ばれる、法要を行います。
実際は2月3日なんですけど、サラリーマン家庭ですので一番近い週末に行いました(^^;)

魂が仏様の元へ旅立つ日だとか(違ったっけ?)遺族が喪明けする日でもあるようです。これからはご霊前ではなく、ご仏前に代わります。一般的にも多いようですが、我が家も例にもれず「納骨」を一緒に行いました。

お通夜にはたくさんの皆さんにお運び頂きましたが、そこから先は家族だけで・・・・としたので、四十九日・納骨も家族だけで行う事にしました。
それでも、母が寂しくないように!と私たちなりに精一杯営んだつもりです。


下準備を含め、全て私が取り仕切りました。
恐らく、ここから喪主じゃなくなるんですよね・・・・・施主とか言うのかな?(不勉強なので怪しいです)

それぞれのご家庭で条件が違うので準備も違うと思いますが、私がしたことを簡単に列記。
1、弔問くださった皆さんのリスト作成

2、四十九日が済んだ書面をつけ、頂戴したご霊前に合わせた返礼品を手配

3、本位牌の手配

・・・・・ここまでは、母宅近隣の業社さんをつかったので1/8までに完了


4、お寺さんと日時の打ち合わせ

5、法要後のお清めの席を準備
  店舗予約とメニュー決め

6、参列者への連絡
  内々なので、簡単に電話確認にしましたが
  本当は書面にて早々にお誘いを差し上げるそうです

・・・・・この部分も混雑を考えて1/8までに完了しました


7、墓石へ彫刻が必要なので、その手配

8、参加者へ確認し、お寺さんへ卒塔婆の手配

9、当日家族が着用する喪服の準備
  早々にクリーニングに出して受け取りに行ったり
  実家へ持って出たりしたので、小物の確認が必要だった(^^;)

10、供花の準備(妹にお願いしちゃいました^m^)

11、お寺へ持参用品の確認
   (白木位牌・遺影・お骨&埋葬許可証・本位牌)

12、母が分骨をお願いした、父の遺骨をお返しすることにしたのでそれも持参

13、お布施等の準備
   お布施だけでなく、刻印支払なども当日行うのでシッカリ準備しないと
   大変な事に(><)珍しく念入りに確認しちゃいました(^^A)


という訳で、当日です。
妹とは当日の流れなど簡単な申し送りを一応はしていましたので、慌てることなく当日行動できたと思います。
本来なら、終了後御礼方々お布施を差し上げる方が無難だと考えてはいたのですが、当日のし袋やら白封筒やらを複数持っていたので、勝手ながら先にご挨拶がてらお布施を差し上げてしまいました(^^;)
どんな順序というのは決まりがないようですので、悪い事ではないのですが、お清めをお寺さんでせず移動しないとならないので、その後ご住職とお顔を合わせるタイミングがなかったので、本当はご挨拶は後の方がよかったかも?と思いましたね。

お清めをご一緒しないときは、ご挨拶は最後にしよう・・・・と学びました。
そうでないと帰る時のキッカケが難しいです(^^;)一応お手伝いの方にはお声かけして帰りますが、やっぱり締りがない感じがしましたね。
今回はウッカリ「卒塔婆代」を差し上げ忘れて(先にお呼び立てしておいて~>_<。)しまったので、終了後もう一度お声掛けをできたんですけど、ご住職は席をはずしてらして、奥様が代わりに出てくださいました。何度も読んじゃってごめんなさい(-人-)
でもご挨拶できたので、良かったのかな?(いや、先方の気遣いで奥様だったのかも?)

とにかく、普段あまりやった事がないもので、こういうご挨拶ってのはどういうのが良いのか悪いのか・・・・・・わかりませんA^^;)少しずつ慣れていくしかないんでしょうねー
いやあ、何ともお恥ずかしい。

当日は、時間前に到着して取りあえず男性陣がお墓のお掃除を少々。我が家の菩提寺には墓守さんがいるので、通常でも雑草や落葉まみれになる事はありません。でも埃払い位はしないとね(^^;)
お寺さんで掃除用具や水桶等全て貸して頂けるので(用具にこだわりがある場合は持参は勿論OKですが)当日その手の用品は一切持参しませんでした。必要なのは人手のみ~楽ちんです(^^)v

控えの間にご案内頂いて、取りあえず先に到着の叔父にお茶を(金柑が入れましたけどね)
その後、お掃除完了の男性陣到着。私たちが運んできた遺骨他を一旦お部屋に運び込み、時間まで皆で休憩。
ここでも我が家のお茶娘金柑が皆さんにお茶を差し上げました。女児は細やかで助かります!
お寺さんのお茶美味しいね~等とのんびりムード。

その間に私は、お寺さんにご挨拶をしてお布施を差し上げました。


時間になりまして、本堂へ入り開眼供養の読経(っていうんか?)をしまして、お焼香。
法要そのものはそこで終了になります。

その後、お墓に場所を移して、今度は納骨です。

ここでも読経とお焼香。
子供たちは最初のお焼香と後のお焼香の違いわかったんでしょうか?
まあいいです、恐竜までもが列に並んで合掌してました(^^;)母も喜んでくれたことでしょう。

納骨の際は、父の御遺骨をお返ししたのですが、折角なので母が大切にしていた小さな骨入れ(骨壺じゃなかった)をそのまま母の骨壺に収めては?とご住職が言ってくださったので、お願いしました。
母は父のお骨を抱いて収められる事になりました、妹と私は大満足です(^^)
更に、骨壺を収めるのは石屋さんがしてくださるのですが(地べたで作業なのでそうするようです)ご住職が「先に入られてるご主人様と横に並べて収めて差し上げてください」とご指示下さり、母は仲良く父と並んで入る事ができました。
その作業を先頭の私は見えていたのですが、狭い墓前に1列で並んでいた他の親族には見えませんでしたすると「もしよろしければ皆さんご覧になられてから、お閉めしたらいかがですか?」とご住職がおっしゃってくださり、私もせっかくなので親族にみてもらおうと墓前を順に眺めるようにしました。
良くわかりませんが、私や妹は一応中が気になったので、嬉しかったですが他の親族はどうかな?と思ったのですが、子供たちは興味津々らしく喜んで(え?)覗いてました。叔父達も思い入れがあるようで、丁寧に手を合わせてみてくれましたし、同居人や妹@夫氏も今後の参考なのか?じっくりと覗きこんでいたようです。恐竜なんて、思わず自身がスッポリ入れそうな大穴に、こちらはドキドキしましたが不思議と皆の見よう見真似で上手に中を覗いて合掌してました。

お母さん!貴重な経験ありがとうございました(-人-)

ご住職には、本当に細やかなお気遣いに感謝しております。そして、こちらのお寺さんにお世話になっていてよかったーと心底思いました!!
というか・・・・今後私や同居人がお世話になるのだから、大切にしないと!と思いました。ご住職、有難うございます!これからもよろしくお願い申し上げますm(_ _)m

最後に石屋さんが蓋を閉めてくださり、蓋を密閉作業をして終了だそうです。
私たちはその前に読経とお焼香が済み蓋を閉めたのを確認で引き取ってOKでした。
お焼香用の小机や水桶等(お線香も石屋さんが用意くださったのを親族があげさせてもらいました)も私たちが墓前に行った時には用意ができてましたが、後片付けも全て石屋さんがしてくださるとの事なので、お手伝いと作業の御礼をしまして、お支払と心付を差し上げて先に失礼させてもらいました。
風は殆どなく、日差しも程々だったとはいえ、やっぱり真冬・・・・凄い寒かったのでそういう、作業まで代行してくださって助かりました(><)季節に関係なく、この手の作業は石屋さんがしてくださるようですが、こういう作業代行があるとは知らず、心付を程々に包んでおいて良かったーと安堵したり。
どういう何度もするような事じゃないだけに、どの程度包むのが良いのか全くわからなかったのですが、作業に見合った金額だったんじゃないかな?と思えたのは良かったです!

教訓、良くわからないけど心付はケチっちゃ駄目~(なんてね)

荷物もあるので、一旦お部屋へ戻ったのですが、余りの寒さにまたお茶を頂いてしまいました。
今度は、もう用事もありませんので私がお茶を差し上げたのですが・・・・まずかった(x_x。)おかしいな~建水などもちゃんと用意があったので、茶葉も新しくしたし飲み残しも処分して、新しく入れ直しをしたはずなのに・・・・どうしてまずいんだろう????
妹や叔父といった大人全員にいれたのだけど・・・・皆渋い顔(ウソ~)
横でゲームで遊んでいた金柑が「お茶なら私したのに~」と現れたのを見た妹が「おばちゃんに美味しいのいれて~(^^)」と金柑におかわりを頼んだんです。
ささーっと金柑がいれた2杯目をみて「あら、色が違う!これ美味しいんじゃない?」と妹。
「酷い!同じお茶だからそう違わないでしょ」と反撃の私に一口飲んで
「あら~やっぱり金柑ちゃんのが美味しいわ!!叔父さん達にもいれてあげて~(^皿^)」
周りの皆さん、妹の毒舌には慣れっこなので、姉をからかってると思いつつ、とりあえず金柑に次々に湯呑を渡す。
そして一口飲んで「ああ、本当だ」と納得。

おい!マジかよ?母ちゃんにもいれてくれ~~~~ってそそがれたお茶、色が澄んでるじゃん(?▽?)しかも飲んだら美味いし(@v@ノノ

おかしいな~小学生に負けたんかい、私?

とりあえず「お茶入れが苦手だから、この子をググっと頑張って産んだのよ!」と勢いづいてみる私。
同居人さえフォローしてくれない、私の不味いお茶って何?(まあいいけど)

そんなこんなで、体も温まったし美味しいお茶も満喫したし、お寺さんで用意くださったお茶菓子(がいつも出るので持参しませんでした)も頂いちゃったので、ここは引き揚げましてお清め予約をしたお店に向かう事に。

叔父達を私の所と妹の所で分かれて同乗してもらおうと思ったら「車内時間が若干あるから、子供をそちらでまとめてのせてもらった方がいいんじゃない?」と言う話に・・・・まあね、赤ん坊と同乗は辛いから解る。
結局、我が家の車が子供担当に。たった30分とかだけど賑やかなんてもんじゃない位盛り上がるというか喧嘩まで始まるというか・・・・・凄いうるさい車内でしたよ(==;)いいな~大人チームの車(え?)
DVD観たり大声で歌ったり、やりたい放題で凄かったけど子供達は大喜びでした、はい。
そんでもってお店に到着~
法事用の精進料理もあったのですが、折角なのでしゃぶしゃぶも付くコースをお願いしました。子供達は喜びそうなメニューが色々入った子供膳にお刺身追加にしました。
子供膳にもお刺身が少し入っていたのと、メニューが華やかで好みのものが多く量も多かったようで、別注のお刺身は大人のつまみに半分なりました(^^;)子供用にはもったいない豪華なお刺身がでてきちゃってビックリ~美味しかったみたいですよ。お酒も進んだみたいです(^m^)

お肉も一応特選牛にしてもらったので、美味しかったです!
既定の量では足りなくて、追加をしたら各人2人前ずつ位たべたかな?こういう事も人数少ないからきになりません。ジュースは個室だからか?ピッチャーで出てきました。これはいいな~と思いました。
ビンやグラスで出てくると、どんどん飲み干して不要な器が増えて困るので、グラス一つで好きなだけ各自が楽しめるのはいいな~と、いちいち追加注文するのも面倒ですしね。
第一、運転手のパパ達は飲めませんから、烏龍茶とオレンジジュース(100%だったのもGOOD)が適度に飲めるのは嬉しかったみたいです(^^)

そんなこんなで、数時間~皆さん堪能してもらえたようです。
最後に返礼品を差し上げて、ご挨拶をして解散となりました。本当にお疲れ様でした!お付き合いくださった親戚の皆さん、ありがとうござい増したm(_ _)m

終了後、妹家族と我が家は一旦母宅へ寄りました。
次に控える百か日と新盆についての打ち合わせと葬儀から四十九日までにかかった費用などの収支報告(私が一括管理してます)をしたかったからです。
母の子供は私と妹だけですし、その配偶者である同居人と妹@夫氏は、それなりに色々動いてくれています。当然ここまでどのようにお金がかかって、どう清算したのかを知る権利もありますから、全員がきちんと揃ったところで話がしたかったのです。
普通のお宅はどうしているんだろう?と思ったけど、妹と私はどうせやらないとならない事を分割して作業しているので、どこかで色々と相談はしないとならないんですよね。だから全員がそろってる時はチャンスです!

百か日はどうしようか?お盆はどうしようか?というのは正直みんなで集まれるのはいつなのか?って事なんですよね・・・・パパ達のお休みなんかもあるんで、さっさと決めてしまうに限ります!
こちらの予定が詰まれば、後は私がお寺さんに早々に連絡をしたりすればいい事なので、一人で進められますし。
カレンダーとにらめっこして、日にちを決定することができました。
必要な道具などは、私が揃えるという事で一任。後は適度にそれらしく準備に取り掛かればOKと了承を得ました(^^v

事後承諾でも怒る人はいないでしょうが、やっぱり事前相談の方がいいですよね(^^)

そうして、一休みしてそれぞれ帰路についたのでした。

ああ、疲れた~まだ先があるなんて思いたくない位疲れました。
少し猶予があるので、普段生活をしつつ準備を進めたいと思います。

→次回、恐らく百か日に続く(?▽?)


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お別れの後 (火葬場~初七日法要)

2011-01-31 08:40:11 | 我が家の…葬
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★注★ 実家から帰宅後、直ぐにアップした長文を少しずつ再編してお届けする事にしました
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お別れの話
お別れの後(通夜に突入編)
お別れの後(最後の夜~葬儀告別式編)

の続きです。


大勢の方に送られて、火葬場へ向かった所から話は始まります。
火葬場は、車で15~20分の所にありました。私も所要で通った事のある道路をずっと移動しつつ、父の時と違う火葬場なんだなーとふと思いました。
驚くほど快晴で雲ひとつないお天気の日でした、普通なら「お母さんの行いが良い」などと誰かが口にする所かもしれませんが、実は我母恐ろしい程強烈な雨女で、過去何度もあり得ない時期や季節に台風を呼んだりしたというエピソード満載な人でして・・・・
母の御棺と一緒に乗り込んだ私と妹で「お母さん、亡くなるまでに一生分の雨女の能力を使い果たしたのかもね(^^;)」と話したりしました。

後で知ったのですが、我が家近隣で火葬を行う場合候補が3カ所あるそうです。
それぞれの日時や状況により都合の良い火葬場が決定するようですが、大抵はメインというかあるそうで、葬儀場も亡くなった時の住居も一緒の父の時はどうも違う場所のような気がしてなりませんでした。果たして・・・降り立ったそこは全く見覚えのない近代的な火葬場でした。
それを話すと、葬儀社の方がおっしゃるに十数年前位に、火葬場の改装工事があったとか・・・・もしかすると、その改装中に当たり父は別の火葬場へ言ったのかもしれないとの事でした。
まあ、別といっても移動距離は殆ど変らないし、移動手段も手配の車に単純に乗れば、葬儀社の方が案内してくださるので、見覚えがあるとかないと言った程度の違いなんですけどね(^^;)

今回は、マイクロバス+霊柩車(屋根飾りのないタイプにしました)でしたので、移動もスムーズでしたし、特に気になる事はありませんでした。
ただ、子供や年寄が多かったので、火葬場(かま)を個室にしました・・・・余所の方とご一緒すると参加人数の割に子供率が高めなので、賑やか過ぎて申し訳ないですし。我が家では子供たちの幼い行動は気になりませんが、弔事の場ですから余所の方からするとそう思えないってのもありますので。
でも個室だとお別れも近しい者だけで迎えられるのでよかったです。子供がいるので、少々賑やかでしたが、その分温かみのある時間を過ごせたと思います、私としては満足です。

今時は模様布張りの御棺を使う方が増えてるというのは火葬場で実感しました。良くある白木の他に似た様な布張りの御棺をいくつか見かけました。しかし、母の体型からすると余るほど大きな御棺だったのも合わせて実感しました。いえ、窮屈に見せないためにゆとりあるものをわざと選んだので、文句はありません満足できた瞬間だったんですけど・・・・もしや傍目からすると「巨漢のご遺体」と思われたかも??(女心を尊重できたのか?)火葬場個室にしたから傍目にふれたのは短時間~だから大丈夫!(と思うことにする、うん)

ついでに控室も個室にしました。緊張を長時間続けるには少々幼い子3名(恐竜は火葬場には同行させませんでした、実家待機)静かに合掌するだけでも、彼らには大変な事です。
そのご50~60分の待ち時間をおしゃべりもせずに静か待てとは、言えませんでした。個室なら多少騒いでも親類ですから「あら、いやね~」で済みます!
案の定、何故だか知らないのですが、喪主の私にくっつて金柑が着席したら、妹宅の子供たちも同席して・・・・・・・・喪主なんで私、ご住職と同席なんですけど(?▽?)最上座の席がお子様席のようになりました(>_<。)そんでもって、ご住職の美声(良いお経あげると評判です)と穏やかな語り口調に感銘し舞い上がった妹@娘ちゃんが、ジュースをドバーっとこぼした(@Д@ノノ
お子様好きだそうですが、解るんですかね~やたらとうちの子供たちに人気のご住職・・・・・「大丈夫大丈夫」と子供達をなだめてくださいましたが、本当に申し訳ないです(>人<)毎度ご迷惑をおかけします。
結果的にジュースで衣類が汚れるという被害はなかったですが、雰囲気なごみ過ぎというか緊張感なさすぎで、滅茶苦茶恥ずかしかったです。つーか・・・・・なんでお子様席になるかな??普通他の親族が気遣って子供を連れに来るとかしないかね?我が家らしいちゃらしいけど。
こんなヘンテコな待ち時間でしたが、周りが親族だけに暖かい目だけだったのが救いに思えました。

共同控室だったら、多分恥ずかしくて動転していたに違いありません!!
(つーか、上座お子様席は駄目だと思うよ、うん)


まあ、一事が万事我が家流で乗り切りました!
正直菩提寺のご住職とも、子供たちは顔見知り(一応それなりにお参りしてます)だったので「ここのお宅はいつも賑やか」みたいな雰囲気があったのも助かりました。
先方もチビばかりだというのもよくよくご存じですし、こんな時菩提寺というのはこちらの事情も良くわかっていただけているので、有難いなーと思いました。
母の急な逝去でも連絡1本で即座に対応してもらえたり、若輩の私でもなんとか対応できたのも、気心知れたというのもおこがましいですが、面識があるからかな?と思いました。
我が家の場合、娘二人なので今後のご相談事もあるので、更に頼りにしていたりします(-人-)


さて、我が家運が良いのか悪いのか・・・・・火葬場の都合にそったら、初七日が火葬当日になってしまいました(^^;)

大抵の場合、親族が日を開けずして集まるのは難しいという事で火葬後略式で初七日を行う事があるようですが・・・・今回は略式もへったくれもなく初七日を連続して行う必要がでました。
そのまま、火葬場から葬儀場へ戻り初七日の法要です。
親族のみでよかった(思い起こしても、父の時は大人数で大変だったっす><。)
移動も何も全てマイクロバス程度で賄えたのは、助かりました!レンタルや運転手代等移動も費用がそれなりにかかりますし。

法要後も人数が少ないので葬儀社のスペースでゆったりと(7~80名でも賄えるスペースだから広すぎた感ありなくらいだった)お清めもできましたし、妙に和やか(いや、始終和やかだったしゞ-.-;)な雰囲気で過ごすことができました。
またここで・・・・何故か最上座の僧侶とその側の喪主席以外は自由席のはずなのに・・・・子供席がやたらと上座に近いセッティングになってた(x_x。)
恐らく私の子供なんかを気遣ってそうなったのかもしれませんが、できればお寺さんを気遣ってあげてくれい!って思ったり~まあ、一応大人を1名挟んだ感じでバリアー張って(そこまで?)お寺さんに気遣いさせないようにしてみたり(ご住職は始終穏やかで気にされてないようでしたが、私が気になるし)
同居人のナイスフォローに感謝でした!しかし・・・・何を察知したんだ?子供達よ~やたらとご住職に興味津々で、さりげなく質問とかしちゃいやん。なごみ過ぎだよー本当。


正直、ここまではプロの手をかりて作業なので、体力的や精神的につらくとも、まだ何とかなったのです!
この先が毎日アタフタの始まりでした(--;)



火葬場へのご同行を遠慮くださった方は母のお骨が家についてから、お線香をあげに着てくださる方もありまして・・・・・葬儀完了後も妹と私はその対応に追われました。
霊前に色々頂戴物もあったり、何だか心苦しい位でした。
弔問に際しても過分なるお心遣いも多く、その数だけ御返礼も差し上げないとならず、私の仕事は膨らむ事になったのですが、それでも母の事を惜しんで皆さんしてくださるので私も有難く頂戴し、御返礼さしあげねば!と思いました。



翌日から、着の身着のままでバタバタだったことに気づき、着替えを急遽買いに走ってもらったり(有難う妹よ!)既に変な実家生活に飽き飽きし始めた子供たちをなだめすかす必要がでてきたり、ジワジワと減りつつもまだ訪れる弔問の方々の対応をしたりで休む暇が見えませんでした。
流石に年末ですしクリスマスってのもあって、来訪はガクンと減った途端、自分たちが普通の生活を全くしていない事に気づく。
少しでも不要物を生活スペースから取り除く作業を暇を見て行ってもいたのですが、それに合わせて、一足先に返礼品の手配とお位牌の手配を片づけねば年始を迎えられない事に気づきあせる!
何度説明しても、ギフト業社はのんびりとしているし、位牌の方も微妙に反応が鈍い・・・・・49日まで間があるから!と先方は思っているらしいけど、妹と顔を突き合わせて相談したり、現物を速やかに確認したり受け取ったりするには、年始1週間がタイムリミットなのに(T~T)どうしてわかってくれないの?とイライラしたりもしました。

とりあえず、仕事の遅い担当にぶち当たったのは不幸と受け止めて、営業期間ギリギリまで何度も母宅へ足を運んでもらい、ジワリジワリと話を進めるしかなかったのが、一番痛かった(ギフト屋変えようかと思ったよ、本当)
最終的に、高額返礼分はそのギフト屋では不可能と判明し(それがわかるまで時間がかかったなー)年明け自宅へ戻った後、改めて別の業者を探すことにし、それ以外をそのギフト屋に任せる事にしたんだけど・・・・その後も反応が疎いのでちょっと不安(x_x。)ちゃんと仕事してくれるのだろうか?

あーあ、色々奮闘してくれた葬儀社さんの顔を立てて、出入りのギフト屋紹介してもらったつもりだったのだけど・・・・・断ればよかったかも(ツメの甘さに自己嫌悪)
まあ、それでも葬儀社さんには義理果たせたし、いいのかな?なんて思ったり。どっちだ?

そんでもって、ささやかながら凄く頑張った子供たちへのご褒美に、クリスマスもどきの食卓を囲む事に。24日の話です。
毎日外食三昧で既に10日経過・・・・病院に居た時からこの珍妙な生活が始まっていたからね(^^;)
朝食こそ家で済ませたけど、母宅に泊まり始めても手の空いた大人が子供を食事に連れて出かけたり、それさえもできない状況だと出前を頼んだりの毎日でした。勿論、食事の支度を私たち姉妹にする余裕がないだけでなく、買い物さえもままならない状態だったから。
11月はずっと母も入院していたのもあって、母宅冷蔵庫には調味料のようなものはいくらかあったけど、食材ってのは殆どなくて、子供3名に時々変化する大人4名+私たち姉妹の胃袋を賄うのは無理だったのです。

さて、そんなバタバタ生活だってーのにクリスマスですよ。気付いたのは良かったのですが、急に大人数の予約をするのもちょっと無理だし、第一葬儀後の状態も読めないって事で、家パーティー(少々貧相)を計画。幸い事前予約に間に合ったので天下の王道?ケンタッキーのパーティーパックと子供たちのご要望でサーティーワンのデコレーションアイスを予約することができました。その他は近所の美味しいパン屋さんとちょいと野菜を付け合せて簡単サラダにシャンメリーで食卓を整えました。
喪中ってクリスマスしちゃいけないのかな?と思ったけど、このままだと楽しみにしていたお正月もナシだし、学校だって半端にお休みさせちゃってるし、それどころか、実家の2階に朝から晩まで押し込まれて、遊びにも連れて行ってあげられなかったし、何だか子供たちが可哀想でそのくらい目をつぶってくれよーと言う気持ちでいっぱいでした。不謹慎度返しで決行!でも子供たちの嬉しそうな顔みたらやってよかったーと思えました。彼らなにりこの10日間頑張ったんですよ。

その翌日、金柑は不毛な母宅生活を脱出・・・・義父母宅でゆったり年末年始を送らせてもらう事に。
可哀想だったのは、その後も母宅に残らないとならなかった妹@子供たちです。
妹@夫氏は年末休暇無しでお仕事だとか・・・・まだまだ手のかかる子供たちを自営で年末営業中の実家に預ける事ができず(妹@夫氏の実家も自営業~)結局年始まで不毛な母宅生活続行するしかなかったのです。
毎日、忙しい母(=妹)と伯母(=私)の姿を見つつも、既に精神的には限界だったようで、妹@娘ちゃんなどは愚図る事が多くなったりしていました、なんとも不憫な(T。T;)
それでも、私たちはやっておかなければならない事柄に追われ、毎日アクセクと動いていたのです。

大晦日になり、妹@夫氏がやっと仕事から解放され、母宅へやってきたときの娘ちゃんの嬉しそうな顔・・・・忘れられません!その後、親子4人で実家へ~
しかし、一応年始に親族が集まるのが通例なので、喪中を持ち込むのははばかられます(実質先方宅は喪中とは私たちも位置づけしてませんでしたし)妹は賑やかな席には不似合いなので、早々にご挨拶だけで退散。年始数日は私と妹だけで母宅の片づけに躍起になっておりました。
正直、動こうにもあらゆる機関が休業状態なので、さすがに三が日は動きようもなく・・・・でも、母の残した不用品(結構あるから怖い)の始末はそれらには左右されずに分別できるので、その辺をググッと力を込めて作業でした。
この三が日お片付けタイムが、ささやかな私たち姉妹の休日だったのかな?

4日5日となると、弔問の方もチラホラ。業社も再開したので、残りの作業をかたずけるべく、連絡確認の繰り返しでした。
そろそろ葬儀社の用意してくれた、霊前の花も一部くたびれだしたので、それらを交換したり弔問の方々に差し上げるお茶やお菓子を買い足したり・・・・。
役所への手続きもできるようになったので、必要書類を取りに行ったり、送付手配したり~アチコチ移動するのが毎日の日課になってました。

そうして、何だかんだと作業をこなして、登校日間近にやっとこ帰宅。
本当に毎日忙しく瞬く間でした・・・・・何をどうやったのかわからない事も色々ありましたが、先へ先へと用意が進んで良かったと思います。
帰宅前最後の予定は四十九日 法要の手配全般でした。お寺さんへの連絡と親類への連絡、納骨後のお清めの席を手配したりしました。
正直、普段の生活圏での行動ではないので、不案内(ここ最近母宅近辺は再開発が盛んです)な所が多く、お店一つ探すのでも凄く大変でした(^^;)お料理なども食べてみないとわからないし、お店の雰囲気なども行ってみないとわかりませんからね・・・・まあ、納得のお店を無事予約できたのでOKとします(あわや、満席だったっす)

さて、四十九日が済めば終わりかと言うと、違うんだな~
基本的に、目の前に四十九日でしょ。
春には百か日があって、7月は新盆(我が家盆は7月なんですわ)、11月には父の13回忌と12月は母の1周忌が連続(><。)もう1年休みなし!シンド~

でも真面目に立ち向かってます!本当にd(-。-*)
凄い事背負ってる気もしますが・・・・・どこのお宅でもあるんじゃないかな~と思います。同じことでお悩みの方!御出ででしたら、共感しまくってご意見ください。(あくまでも真面目ですよ、私)


怒涛の1ヶ月(年末年始編)はこれで終了です。長々とお付き合いありがとうございましたm(_ _)m

この後も1年間、色々続きます・・・・その都度、また記載させて頂きます。

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お別れの後 (葬儀の裏も語ります…最後の夜~葬儀告別式編)

2011-01-19 12:43:29 | 我が家の…葬
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★注★ 実家から帰宅後、直ぐにアップした長文を少しずつ再編してお届けする事にしました
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お別れの話
お別れの後 (葬儀の裏も語ります…通夜に突入編)
(各別窓開)の続きです。

 

葬儀を出したご経験のある方だとご存じかと思いますが、お通夜の弔問が終了したのを見計らって、親族だけで最後のお別れの夜を迎えるのが通例です。
正直、私自身が2度目でありながら、微妙に忘れている事がたくさんあったので、当たり前の事もせっかくなので順を追って記載させてもらいます事ご了承くださいm(_ _)m

我が家も通例に習い、最後の夜を迎える事になりました・・・・・一般焼香が終了するところから今回のお話しは始まります。

夜6時から開かれた通夜、読経は1時間かかりました。弔問の方が途切れずにスムーズにお焼香くださった(町会と葬儀社さんの采配のお蔭です!)はずなのに、1時間・・・・平均がわからない(父の時は倍以上かかったものでA^^;)ので、何ですが一応子供たちの限界前に終了してくれて、助かりました。

親族の焼香は、15分とかそんなものです。しかもお通夜が開始されて、一般焼香の前にさせてもらうので、とっとと終了。
つまり、ここで言う1時間の焼香とは一般焼香の事でして、途切れる事なく順に2名ずつ(親族は子供も全て1名単位でした)その列は消化されていきました。
となりあわせた方同士が息を合わせてくださると、2名様まとめて会釈をすればよいのですが、それぞれのタイミングでご挨拶などを頂くので、大抵はそれぞれの方へ会釈を差し上げる事になります。
この単純な作業、大人でも途中で疲れてしまうのですが、子供ならなおさらです。
子供達は時に飽きて両親に注意されたり、座面の高い椅子から浮いた足が気になったり・・・・誘惑の多い1時間を過ごしたのでした。恐竜もこれに付き合わせてしまったのは、本当に可哀想に思いました。小学生の金柑でさえ最後は小声で「まだ終わらないの?」と私に聞いてきましたし。
まあ、どの子も泣くことなく愚図ることなく、何とか時間まで頑張れたのを母として伯母として誉めてあげたいと思います!(えらかったぞ~、甥姪娘息子☆)

その後、ご協力くださった町会の皆さんにお清めして頂きました。
親族もそれに続いてお清めが始まりました。

ちなみに・・・・私と妹はまずは、ご尽力くださった町会の皆さんにご挨拶とお酌。その後長時間お付き合いしてくれた、親族に御礼とお酌です。
中々着席はできませんA^^;)

その合間を縫って、前述の「最後の夜」の申し送りと確認を葬儀社さんとしまして
― 最後の夜を過ごす人数確認、宿泊用布団の枚数確認
  お線香と蝋燭他火の元についての注意
  葬儀場であらかじめ用意くださった夜食の席の片づけについて
  (今回は、配膳サービスを有料でお願いしているので、配膳室に食器を下げるだけだった)
  今日の返礼品の総数と明日の用意について
  翌朝、親族の集合時間について(お清め中の親族に伝える必要があるので速やかに確認)
  会場の施錠状態と深夜の出入り方法について(これは会場によってない事もあるのかな?)
  不都合や緊急時の葬儀社への連絡方法について
  通夜に届いた、弔電の確認・・・・・そんな感じだったかな?―

それが済むと、そろそろ皆さんお清めも良い感じに・・・・町会の皆さんが席を立たれてお見送りした後、今度は配膳・サービスをしてくださった皆さん(プロの方)にご挨拶(翌日もお願いするので、更に気遣ってみたり)

さて、お清めのお料理ですが、天ぷら・握りずし・煮物・漬物と言った物が普通だと思います。メニューは我が家も普通にそういうものでした。
ラッキーだったのは、同席した子供達が全員「お鮨が好き」だった事でしょうか?
ここでお鮨が食べられないと、子供が喜ぶものなんて殆どないです・・・・・あ、漬物と煮物が好物の金柑にはお鮨なしでも平気か?
子供達が鮮魚好きなのを知っていたので、それ用にサビ抜きを注文していたのですが・・・・・残念ながら、足りないくらいでした(オイ)子供用だけは、ネタ指定しておけばよかったんじゃない?と思ったのは、葬儀も終了してからでした(遅)
イカ・タコなどは食べるけれど、ヒカリ物はそんなに食べないし・・・・第一、巻物をあの子達はあまり食べません(オイオイ)それらを、全て「マグロ」にしてもらえばよかったよ(><。)彼ら、そろってマグロが大好きです。
恐竜なんて、マグロしか食わんし・・・・・まあ、大人用からサビをとって事なきを得たらしいけど、若干競争率がたかかったのは、惜しい結果です。もう少し事前に頭が働けば、子供用鮨の工夫までたどり着いたに違いないd(-。-*)
もしも、参考にされる方御出ででしたら~要注意ですぞ!!
通夜の子供用お清めは、少し工夫が必要です~
生ものを召し上がらないお子様・天ぷらや煮物の苦手なお子様が御出ででしたら、別メニューをご検討ください。
通夜が終了してから、どこかに出掛けるとなると、それをする気力が親族にあるとは思えませんし、時間が時間なのでデリバリーも難しい事もあります。
ご自宅でされる方なら、子供達用にと急な対応も可能でしょうが、葬儀社など余所でされると勝手もわかりませんし、中々即座には対応できないかもしれません。
葬儀社の方や仕出しのお店に一言お伺い頂くと、ご自身も楽ができると思います(^^)ノ

おっと、話がそれております・・・・いよいよ最後の夜ですよ。
故人が遺族と過ごす最後の夜です、お線香を絶やさず朝まで交代で故人を偲ぶ時間ですね。
ご主人が故人の場合は、やはり奥様にあたる方メインですることが多いみたいですが、それ以外の場合は男手があれば、その人達が率先してやってくれるらしいです(夜は若干不用心ですし)・・・・はい今回は、同居人と妹@夫氏の活躍の場です!!
私たちの場合、小さな子供がおりますし、その子らを拠点の母宅まで連れ帰り、更に翌日の葬儀までに連れてまた戻らなければならないので、同居人達(叔父も買って出てくれました)のお言葉に甘えて泊まり込み隊は男性陣の役目としました。

当然ですが、喪主の私と喪主補佐の妹は通夜まで追い立てられるような日々でしたので、翌日倒れずまた葬儀終了後もそのまま母宅で作業予定もあるし、それも乗り切れるようにできるだけ体力温存が不可欠でした。
同居人達も勿論色々助力はしてくれましたが、そこはそれずっと語ってるように結局「喪主メイン」で事は運ぶ訳で、何やら判断が必要な事は大抵喪主へ声がかかるんですよ。
それ以前に、葬儀全般の方向示唆や弔問客の大枠や料理についてから町会との打ち合わせ他、喪主なくして何も決定されないのです。

喪主のリーダーシップと葬儀の進行状況は比例するんじゃないかと思います。
私に絶対的なリーダーシップがあるとは申しません!どちらかと言うと自由気ままで出た所勝負の人間なので、たまたま周りが「喪主よろしく~」な空気満々だったのと相まって、何とか回転したのではないかと思います。
自由気ままですが、変に思い切りが良い面がありまして、物事を何の確約もないのに「大丈夫!行きましょう」と決断するのが私の特技です(えばる事じゃないんだけどね^^;)
葬儀社というプロがいるんですから、そんなに間違った方向にはいかないものですよ!私なんかの采配なんて右か左か選択する程度ですけど、お蔭さまで思った通りに近い葬儀営めましたもの(^m^)

きちんとした、業社選択がこういう時は物を言うのかな?と実感しました。
普通の場合、喪主をするってのはそうある事ではないんでしょうから、葬儀社の良し悪しなんて覚えがあるはずはないんです、たまたま私の場合父の仕事の関係でその業者さん(先代さんですが)にご縁があったので助かったんです。
まして、父の時に母が「ここの葬儀社さんなら・・・」という事でお願いして、まあ何とか大がかりでしたが葬儀を終了する事ができた訳で、母の遺言(って程でもないですが)で「葬儀社さんはお父さんの時と同じで・・・」と決まっていたので、後は私が町会さんや葬儀社さんとうまく折り合いをつけつつ色々教えて頂ければ、いかようにでもなったというだけなんです。

そんなラッキー背負いつつでも、やっぱり初めての事で無知丸出しの私。母以上に右往左往しました(^^;)
どこの意見をどう取り入れるのか、入れないのか・・・・・誰に何を頼むのか、頼まないのか。最終決断は誰でもなく私がしないとならず、傍目にはしっかり仕切ってる風に見えたかもしれませんが、内心「いいのかな~的な気分」で乗り切った感じです。(意外に軽いノリ…さすが私だ)
ネット検索や、専門書などでもありますが、どうぞ葬儀社選びは慎重に!
喪主様ご自身の気持ちを隈なく組んでくださり、協力頂けるであろう所が見つかる事をお祈りします(^人^)

さて、親族も翌日がありますので、お清めも程よい所で引き揚げまして・・・・残されたのは、夜通し母と過ごす男性陣と喪主姉妹+子供達。
会場も霊前にテーブルをしつらえ直して頂いて(いやー、作業は早いし色々行き届いてサーブはプロに任せるに限るね、うん)お互いの本日の労をねぎらいあう一瞬です。
子供たちは、上階の親族控室(和室で広かった)でゲームに興じてみたり、階下へ降りてきてジュース飲んだりしてちょいと興奮覚ましさせました。
翌日もあるから、交代で寝てね~とか、久々に会ったけど●●さんは変わらないねーとか、通夜での子供達の所業とか・・・・お料理の味やサービス係さんの底力に感銘したとか・・・・
取りあえず、通夜までの感想なんかを話したり、翌日の打ち合わせをしたり、話題には事欠かないんですけど、翌日も控えているので長居は無用です。
程よく子供達の頭が冷えたところで退散し、明日に備えねば!です。

母宅に戻っても子供たちの興奮は冷めやらずでした(^^;)
見た事も聞いた事もない環境にいきなり置かれた状態ですからね~仕方ないです。さもなくとも大勢が集まるというだけで子供ってのは興奮しますし(==;)彼らを落ち着かせ寝かせるのがこの日一番の大仕事だったかもしれません。
本当なら、早々に子供たちを退散させてあげるべきだったのかもしれません・・・・でも、私たちにはそうできる環境が整ってかったんだな~普通なら母が亡くなる頃の長子の子供といえば中学生だの高校生だの成人だの・・・・自分のすることをしっかり解る年齢になってるんでしょうが、残念ながら母の旅立ちが5~10年はやかった(--;)仕方ない結果なんでしょう。ごめんよ子供達!

さて、翌日葬儀告別式は色々工夫したつもりだったので、10名もみえないと想像していたのですが、お通夜に間に合わなかった方とお通夜にもいらしてくださったのに更にお見送りをという方で余分に用意した座席の倍くらい御出でくださり、葬儀社のスタッフさんはまたしても大慌てだったようです(^^;)
本当にありがたい事です、母はたくさんの皆様に送られて旅立つ事ができました。
記帳などは前夜済ませてる方も多かったので、人数を正確には把握できませんでしたが、40名余りは確実だったようです。
最終的に記帳下った人数は、全部で100余名となりました。ご夫婦でいらしてくださった方、通夜と翌日も運んでくださった方は数えようがないのが、残念ですが皆さんのお気持ち、本当に感謝しております。


申し訳なくも、葬儀告別式に参列くださった方々とは葬儀場前でお別れです。火葬場へは予定た通り私たち家族をメインに親族のみで向かいました。

→次に続きます
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お別れの後 (葬儀の裏も語ります…通夜に突入編)

2011-01-18 11:33:34 | 我が家の…葬
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★注★ 実家から帰宅後、直ぐにアップした長文を少しずつ再編してお届けする事にしました
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お別れの話(別窓開)の続きです。

母逝去・・・・立ち会えて何よりと一息つく間もなく、今度は通夜・葬儀の支度にかからねばならない私でした。

ここで一つ。
父の居ない我が家の場合、子の代に男児がいれば問題もないのでしょうが、生憎我が家姉妹のみ、通例としては親族の男性が喪主というのが、納まりが良いようで、ある程度の年長者の男性が買って出てくれると相当有難いとは思うのですが・・・・
十数年前父の時で察しはついていたのですが、我が家、親戚関係は父母ともに兄妹を早くに亡くしており、該当者がおりません。

つまり、喪主は長女の私の夫が第一候補なんだな~

でもね親族が少ない代わりに・・・・「父と母のお付き合い範囲の広さ」が問題。

少ない親族は、早々に連絡を入れましたが、本当に数か所で瞬く間に終了でした。
細かい事を言うような立場の人も性質の人もおらず、誰が喪主でもご自由に~という雰囲気満々なので、後はやる人間の気持ち次第って感じでした。

逆に、お付き合いのお相手は・・・・長年地元で商売をしていたことや、母が手芸教室をしていたこともあったりで、母が発病してから既に3年以上で去年からは商売も縮小していたので、お付き合いも色々変化していてそんなには御出でになることもないだろうと思うものの、父の時が凄かったので・・・。
実は父、仕事も普通にしていたし急死だったのもあって、通夜~告別式までで駆けつけてくださった方が700人を超えてしまったのです。
下町の商売屋の主人が死んだだけでしたが、安置の時点で狭い自宅はお焼香の人でごった返してしまい、とてもそのままでは賄えないので、地域の葬儀社さんへ会場を移したのですが・・・・駅からも遠く、そこそこの広さの会場なのにお通夜の葬儀場前に長蛇の列ができてしまい、葬儀場近隣の人がビックリしたと後で聞くような有様。
確かに・・・・次々にいらしてくださる弔問者の方に頭を下げていたのですが、いくら下げても列は終わらず、妹の記憶ではお経の同じフレーズを3回聞いたとか。駆けつけてくださった菩提寺のご住職もさぞお疲れだったことと存じます。

しかも・・・・お清めの席を誰がどうさばくのかで、若干現場(お手伝いくださった方が色々な系列で混在していたっすA--;)が混沌となったとか、ならなかったとか(全くお恥ずかしい)
受付も行列をさばくために、結構大仕事になったらしいし・・・・それぞれに喪主としてご挨拶をしてまわったり、多方面から「喪主」宛に色々と質問も飛び交ってそのたびに母は右往左往するようでしたので、質問相手がどこのどなたなのかわからないと相当シンドイ思いをするに違いありません。

正直、実家の特殊な状態を私自身もあまりわからず、母とのお付き合いメインとなれば、久しぶりでお顔を拝見する方も多数なはず・・・・中にはお顔は存じていても直ぐにお名前が出てこない方なども居たりするでしょうし、そんな中勿論私や妹も挨拶はするでしょうが、皆さん「喪主メイン」で色々動くと思うので、実家の内情に全く疎い同居人を喪主に据えるなんて、何だか申し訳なくて出来そうにありませんでした。

結局、親類から文句がないのを後押しに、喪主は私がすることにしたのですが・・・・・親族が全く問題視していないそれにいつて、実は「町会の古参」の方からし𠮟咤を頂戴しました(^^;)
父の葬儀で母が喪主というなら、合点がいくが、親の葬儀なら子の中で序列を重んじるべきだ!と。
私は紛れもなく母の長子ではありますが・・・既婚。それならば夫を立てて当たり前という事なのでしょう。それとね、葬儀というのは昔から男性が喪主になるのが通例というのも知ってます、はい。いや、わかっています!重々承知していますけどね、ほら早速こちらの決定に横槍がこうして変な場所から入るでしょ?そうい事を上手くいなすなら、恐らくこの土地で生まれ育った私の方が無難なんですよ(^^;)
まあね、その方は良かれと思ってご指導してくださったのでしょうし、そのお気持ちは十分に感謝してます。おっしゃる事もごもっともですし、それを頭から否定するつもりもありません・・・・・でもね~我が家、近しい親類程そういう事を言わないで、どちらかというと血縁にない関係者様の方がそういう発言を良くされる訳ですよ。
その辺の加減ってのが、私や妹じゃないと中々わからないな~って話です。

高齢の男性から、有難い事に数件同じお叱りを受けまして・・・・一応、私なりにお詫びしつつ、今回の葬儀に関しては、私と妹でする旨ご理解頂きました。
色々あるんですよ、本当。
ご意見を直接頂戴しないまでも、同様に思われた弔問の方は他にもあった事と思いますが、もう決めた事ですので、私たちは突っ走る事にしました。

今時はね、若輩の女性が喪主ってのは本当は珍しくないんですよ。
核家族化が進んだり、少子化が進んでいるのですから、男女や年齢なんて拘っていたら、葬儀なんてあげられませんものね。その辺も先方もご存じだと思いますが、あくまでも我が家とのお付き合いを思ってご親切での𠮟咤ですので、その辺は私もよくわかっているつもりなので、細部への色々なご意見は、きちんと伺わせて頂き参考にさせていただきました。


母は、父葬儀の忙しさ程でないとしても、小さな孫たちも巻き込む自身の葬儀は
「お通夜は普通で良いけれど、それ以外は親族だけで!」
と言い残しておりました。
まあお通夜だけなら、前述のようなご意見もそう多くならずに済むとも考えたんだと思います。後はどの程度速やかに、ささやかに?葬儀を進行させるかって事にかかってるなーと思ったり(姉妹で微妙に怯えてました)
しかし・・・・母逝去後、病院に残った私と妹へ先に安置の準備をしに母宅へ向かった叔父と妹@夫からの経過連絡で
「片づけを始めようと玄関をあけたら顔見知りの人が数名いらした」
(皆さん無関係な人でそれぞれ別々にだそうな)

とそれを聞いた私と妹は、唖然「これで口伝えの連絡網がいくらかまわるねA^^;)」
ご近所やら母の知人にもあまり連絡をするつもりはありませんでした・・・・たくさんいらしていただいても、私たちには大した対応ができないであろうから。
でも、結局母が運び込まれるのを見かけたご近所さんやら、何かを察知したどなたかに聞いた母のお店で以前働いていた方やら・・・・次々と訪問者が絶えず、私と妹はその対応に追われる数日になりました。

結局、ご近所さんは弔問の方々の様子などで、皆さん知ることになりましして、次々に御出でになり皆さん通夜・葬儀の場所や日程を聞いていかれますので、これはイカン!と予定変更で事前に町会の役員さんにはご連絡は差し上げたのですが、葬儀社さんに頼んで通夜・葬儀の日程を直ぐに!町会の掲示板に貼り出していただくことに、勿論そこには「葬儀告別式は親族のみで行うのでご了承ください」と一筆入れてお知らせするのも忘れませんでした。
通夜の席にも掲示板貼ったのと同様の張り紙をしてもらい、町会役員の皆様にも口伝えでその旨は連絡してもらうようにはお願いしたのですが、それでもいくらか「火葬場へ動向したい」とお申し出を頂き、低調にお断りさせてもらいました。

大抵の方はお通夜にいらしてくださいまして、その日の弔問は90余名程度だったようです。
近所ではそこそこの広さの葬儀社さんだったのですが、私たち家族もあまり連絡などもしておらず50~60程度じゃないか?と思い支度もそれを基準でお願いしてました。
父の時を踏まえてお料理の準備から配膳・サービス他はプロの方をお願いしました。
お蔭で、お料理の追加がたくさん出たようですが、そつなくこなしてもらえたようですし、追加なども速やかに行えたようで、良かったです。
但し、席が常に満席で会場がごった返していたようでした・・・・長居な方はいらっしゃらなかったようですが、それでも一度にドドーっとこられたので、そうなってしまったのでしょう。
このごった返しが、素人にはかなりの衝撃なんでしょうね(^^;)父の時は我が家との古いお付き合いのある方々が自ら買って出てくださったので、お断りするのも何なので母はその方々にお任せしたようでした。しかし・・・・我が家住居と営業店舗を別に構えておりまして、そんなに離れてはいないのですが、町会(自治会)が別でした。しかも、営業店舗には商店街というくくりのお付き合いもあるものですから、多様な団体が入り混じるように混在となってお清めの席を仕切る事になったのです。
当時父を亡くした悲しみで一杯の上にまだ両親も健在だった母には、自身が喪主として葬儀を行うなど初体験で、そういう席でそれぞれの団体が主張を繰り広げるとは想像もできなかったようで(当然ですね)弔問の方々に迷惑が及ぶ程ではなかったようですが、裏舞台が恐ろしく混沌とした空気にになるとは思いもよらなかったようです。
お手伝いくださった皆様が、気持ちよく作業してもらえないというのは、こちらとしても大変心苦しいものです。

母や私も我が家のように複雑に入り組んだ舞台裏をお手伝いしたことは勿論あったのですが、まさか我が身に同様の事が降りかかるとは、やはり中々想定できません。

今回はその手の問題を極力回避するためにも、お手伝い場所は受付!手伝って頂く団体は1町会のみと思っておりました。商売は既に縮小しているので、そちらのつながりは弔問のみでしょうが、母宅はそれなりに町会に所属しておりますので、そちらへ連絡を差し上げないのは失礼になります。少なくとも母が懇意にさせて頂いていた役員さんにはご連絡をすることにもなっていました(古い町会だからか?役員は持ち回りでなく、同じ方が何期もされるのが普通の地域です)当然役員さんへ連絡をすれば、それなりにご協力の申し出がある事はわかっておりましたから、そのことも十分想定し、葬儀社さんとも綿密に打ち合わせもしておりました。
それでも、やはり受付のみという話は多少揺らぐというか、色々町会で手伝えるのに水臭いなーなんてお言葉も多々頂戴しました。
結局は、父の時の事が頭をよぎり「折角ですが、配膳関係は既に業者さんにお願いしてしまったので、申し訳ございません」とお断りして、事なきを得ました。

まあ、実際はお願いした「受付担当2名」が葬儀社前の道路整備やら交代要員やら荷物の預かり他で8名までに膨れ上がったのですが・・・・その分葬儀社さんの社員さんが別の部分へ回れたようなので、良かったのではないでしょうか?(と思う事にします)


話は少し戻りますが・・・・
母が亡くなったのは12月17日(金)だったのですが、年末ですし子供たちの事もあるので、取り急ぎ葬儀を行いたい!と私と妹は思っていました。
ところが・・・・・悲しいかな、火葬場が混雑しておりどんなに早くても23(木)でないと取れないとのこと。季節柄混雑は良くある事らしいです。
こればかりは無理は言えませんし、幸い23日は祝日でパパ達も休暇が少な目で済む(14日から既に数日病院に詰めるため、休暇とってたんで)だろうと決めたのですが・・・・・間が空いてるのも何だか、大変でした。
この季節弔問の方がいらっしゃれば、暖房は不可欠ですが母を綺麗なまま旅立たせるとしたら温めるのは良くないですし・・・・・
ここは女心なのかもしれませんが、母は苦しまずに逝去したせいか、とても安らかで綺麗な顔をしており、それをできれば最後まで保ちたい!保たせてあげたい!と私たち姉妹は思いました。
ですから、できるだけ早く!とも思ったのですが・・・・まあ無理だったわけです。

そこで、安置に工夫を凝らすことにしました。
これは葬儀社さんのご提案に乗っただけなんですけど(^^;)
父の時は、自宅安置は北枕で家にあった折り畳みベッド(親類宿泊用に家にあった)に来客用布団を使って普通に行いました。
安置する部屋がフローリングだったので、そのまま寝かせるとどうかな?という事で母が一時的にベッドに寝かせるよう言ったようでした。
湯灌(安置の時に遺体を清める行為で専門の湯灌師さんがしてくれます)後は、遺体専用布団と幅の狭いベッド(台と脚が分かれるような専門道具だったようです)に移し替えたようですが、結局ベッドに寝ているようにして安置でした。
しかし、父の時は11月の始めでその年はあまり寒くなく、暖房も程々で十分だったのでそれで数日でも大丈夫でしたが、母は激寒の12月下旬!エアコンガンガンの中で5日もそのままってのは素人でも首をかしげます。
お願いした葬儀社さんと火葬場の予約日が決定してから、直ぐに安置方法を相談しました。
今時は御棺も少し見た目の良いものがあるそうで、白木ではなく織模様の入った白布張で洒落た飾りのついたものがあるとか・・・・いきなり母を御棺に入れるのは気が引けたのですが、通常よりも幅の広い物があるそうで、そちらはゆったりと入るとか。その御棺だとのぞき窓も胸あたりまでの広いものがついており、顔を見る時もプラスチックの中蓋があるので、冷気が逃げにくく見る方も見やすい状態になるそうなので、その言葉を信じてそちらを注文することにしました。

果たして届いた御棺は、どちらかというと和風の御棺というよりも、ドラマや映画で見るような洋風の御棺のような雰囲気で、蓋も厚みがあり縁飾りも天地についており、のぞき窓も巨大で蓋をしても窮屈そうには感じられませんでした
西洋と違い、火葬するというのに両脇に2つずつ巨大な持ち手を模した飾りがついているので横から見ても「THE棺桶」という感じがしないのもちょっとホッとしました。
お通夜前に自宅へ弔問くださる方が見て何だかいきなり御棺に入ってる風だと、こちらも恐縮してしまいますし、できるだけ母が窮屈にならないようにしてあげたかったので、状況からするとまずまずの結果だったと思います。

まあ、そんな訳で病院を出た母をなんとか自宅に安置して数日途切れる事のなかった弔問の方々をお迎えしつつ、手探りでお通夜へと突入したのでした~
更に間が空いたお通夜までは一旦帰宅し仕事へ出る夫を見送った母2人(私&妹)+子供3人の変則家族は、悪戦苦闘しつつ日常生活を母宅で送る事になったのです。


→次に続きます

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お別れの話

2011-01-12 20:56:23 | 我が家の…葬
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★注★ 実家から帰宅後、直ぐにアップした長文を少しずつ再編してお届けしております
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12月13日の記載にあります通り、母の症状変化の連絡を病院からもらい、嫌な予感がするも「ここ数日は大丈夫でしょう」という医師の言葉を信じ、今後を頭に浮かべつつ翌日を迎えました。


しかし・・・・14日午前9時頃、またも病院から連絡。
かなり症状変化が激しいとのこと、直ぐにでも病院へくるように言われました。
恐らく、私や妹が至急かけつけても数時間かかってしまう事から、早めに連絡をくれているとはおもいましたが、そう連絡をもらってしまうと、色々な事柄が頭を巡り焦ってしまうものです。
考えても症状悪化は決まった事ですから、とにかく急ぎ家を出るんだ!と自分に言い聞かせて恐竜を連れて出発しました。
手荷物は恐竜の簡単な着替えとオムツ・お菓子・飲み物でした。
私自身の物と言えば、些少の金額が入った財布に携帯電話ハンカチティッシュ・・・・・ちょっと近所へ買い物程度しか持てませんでした。

私が到着すると叔父と妹が既に病室におりました。

妹の所は小3の長男君+年長の長女ちゃん・・・・・金柑同様既にそれぞれ学校と幼稚園へ出かけており、妹も身ひとつで駆けつけたようでした。

母はまだ意識がハッキリしており、呼吸が荒く発声しずらくはあったものの、それなりに会話が可能な状態で、恐竜の顔を見ると嬉しかったのか、苦しい体を自ら起こして恐竜を抱こうとしました。
勿論、そんな事が出来る力は残っておらず、恐竜の腕をギュッと握るだけになってしまったのですが、それでもニコリと笑いかけができたようで、満足してました。
その後、他の子供たちも急遽会社を引き上げたパパ達に連れられて、病院へ駆けつけたのですが、容体は随時悪くなっていたので、目を開けて顔を確認するのがやっとになっていました。

恐竜は取りあえず駆けつけた同居人にお願いして義父母宅へお願いすることにしました。
母がいつ逝去するかわからない状態で、私が席を外すのもできませんし、小さすぎる彼には病院でじっと待つなんてのも無理なので、その判断は懸命だったと思います。
義父母には、母の調子が悪い事を伝えていなかったので、本当にびっくりしたことと思います。病院からの電話があった時一応危篤だという事は伝えたのですが、恐竜をお願いした事でその緊迫は更に強まり驚かせたかと思うと本当に申し訳なく思いました。
母の意思を尊重して、義父母には知らせずにここまできましたが、こういう時には多大なる迷惑をかける存在なのだから、やはり母の意思を無視してでもコッソリ伝えるべきだったのではないだろうか?と色々な事が巡る頭の中で反省したりしました。




結局、3日後の17日の午前中に逝去ではありましたが、何も準備もなく病院へ直接行ってしまったので、私同様駆けつけた親類とともに母を安置するべく実家の整理を取り急ぎ行うやら、生前母はからいいつかっていた葬儀社へ連絡をとるやら・・・・・やることが山積みで、気づいたらその日は暮れていました。


→次へ続きます

お詫びとご報告

2011-01-12 18:58:20 | 我が家の…葬
先月(去年になっちゃってますね^^;)13日以来、更新を全くすることができずにおりました。

最後の更新が、日記で私のリアル状況のお知らせだったので、ご心配をくださった方々からの励ましのコメントなども頂戴しているのに、それに関するお返事もできず、本当に申し訳なく思っております。
私のつたない更新を楽しみにして、通ってくださる皆様にも、何のお知らせもご挨拶もできず、本当にごめんなさい。






実は・・・・13日の更新の翌日、悲しいかな私の想像を現実にする連絡が病院より入りまして、とるものも取らずとにかく東京の母の元へ駆けつけたのをきっかけに、あれよあれよと事が進んでしまったのであります。

病院への泊まり込み3日後母逝去

その後、実家へ詰めて喪主として通夜葬儀告別式を行う事になりました。

詳細は貴重な体験でしたので、自身の記録とどなたかの参考にでもなれば・・・・と別記しようと思っています。
お時間・ご興味ある方はご覧いただければと存じます。


毎度お騒がせな“のんびり”が、母とのお別れを
悲しむ間もなく翻弄した記録です・・・・・
お別れの話
恐らく暴走列車のごとく疾走してますA--;)



取りあえず、母の住居の大まか整理とお悔みをくださった方への返礼(これが難解だったのは別記にて)それとお正月明けに御線香をあげに着てくださる方への対応他実家で、やることが山積みだったので、可能な限り東京に腰を据える事に妹と決めまして、子供の学校の登校日に合わせて、妹=1/6 私=1/8 まで実家に詰めておりました。

ほぼ、1ヶ月の実家生活・・・・・・恐ろしく疲れました。
病院へ泊まり込む事にした時点で、預ける事にした恐竜と告別式後に追っかけ預けた金柑を迎えがてら義父母に御礼を方々訪ね疲れ果てた私は義父母の優しさに甘え1泊お世話になって(休養とらせてもらいました>m<)9日にやっと自宅へ帰りついたのであります。

12月14日に家を出てから・・・・・・殆ど1ヶ月近く自宅を留守にしたのね(@0@ノノ
帰宅して、自分でも驚きました。
自宅が懐かしい訳です!

本日現在、取りあえず子供たちと普通の日常を徐々に取り戻す作業に没頭しつつ、年の瀬で間に合わなかった「喪中はがき」の代わりに「寒中見舞い」の宛名書き(ああ、手書き~)をしている最中です。


パソコンにむかうのは丁度1ヶ月ぶりです。
いつもいらしてくださる皆様の所へも全く伺えず、本当にごめんなさい。もう少し落ち着いたら必ず伺わせていただきます!それまでどうぞご容赦ください。

子供達法事に出るの巻

2010-06-14 14:46:49 | 我が家の…葬
6月に入ってからの2週間の話の蛇足的内容です(^^;)

5月末、親類の集まる法事がありまして、それに子供達が参加しました。
その時の私の右往左往のお話です。


金柑も恐竜も3月の義兄の結婚式用に洋服を用意したので、基本はそれを着ていけばOK
でもね・・・・・慶事なので金柑はレースの白ストッキング(子供用でも可愛いのがあるんですよね~^m^)をはかせました。恐竜も派手なグレンチェックの靴下・・・・・やっぱり駄目だよね(-v-;)
2人の靴下を買わないと駄目です・・・・普段用に暗い色の靴下がない訳ではないですが、ラメだのハートだのやっぱり華やかなんですよ(x。x;)
金柑は手持ちの白いハイソックスで誤魔化すか?と思ったのですが、コチラも華やかなレース&リボンに可愛い刺繍入り・・・・・絶対NGだわ。
よく考えたら子供達が法事に出るのは殆ど初めて(金柑は1回あったけど、赤ん坊だったからね~)略式正装でもOKだとは言うだろうけど・・・・どうせ靴下だけだもんね~と買うことに。
普通の黒い靴下は簡単に見つかったけど・・・・・スクールソックスのようなもの。金柑のワンピには微妙だった(==;)1回だけだからいいか?と思ったけど、別にそれが安いわけじゃないし、その後はけるのか?と聞かれれば普段着にも微妙に合わない。それならば!と子供用ストッキングを買ったお店へいってみた~あった!少し模様の入ったニーソックス。これはいい!金柑のワンピにも合うし、膝上丈なので寒さの気にならないし、模様があるので暑苦しくもない(^m^)手持ちの普段着にも合わせる事もできそうなので、無駄もないかも!
お値段も380円とスクールソックスといくらも代わらないのが更にうれしい!!よっしゃ~

今度は恐竜・・・・手持ちの冬用の黒っぽい靴下でもいいじゃな~と思ったけど、模様がクマちゃん(><)
赤ん坊だしいいか?いや・・・・折角だしさがしてみようよ。
色々みたけど、ベビーだとあんましない(==;)模様入りならあったけど・・・それなら手持ちでいいし~
でも粘ってみるものだね~みつけました!
金柑と同じような感じで模様編みの真っ黒靴下~但しd(--;)女児用(え?)こんな感じで可愛いレース付(^^;)







でも模様が入ってて真っ黒で、300円くらいだったので買いです!
んでもって、家で裁縫道具駆使しつつ地道な取り外し作業~
伸びる糸なのでこまめにカットするのが大変でしたが、綺麗にとれて大満足(おバカ)

織り模様が解り難いので、フラッシュきかせてみました(^^;)
凹凸で模様がみえて肉眼では十分可愛かったですd(^^)しかも女児用っぽい柄でなかったので、問題なし~
小さな子のこういう靴下は珍しいのか?妹が「あら~恐竜君も黒なのね~(^v^)」とさりげなく発見してくれました(嬉しいお言葉でした)

当日は朝5時置きで一度実家(母の家=高速使って2時間半)まで荷物を取りにいきつつ祖母宅(祖母の家=一般道で1時間半)経由でお寺さん(祖母宅近所)という順路。
子供達が何時間乗っても飽きない子で助かりました(^^;)

法事そのものはお昼頃から始まり、一通り終了した後お清めというのでしょうか?お食事をします。

母と伯父と荷物を母宅で拾って、祖母宅で他の叔父と落ち合いお寺さんへ行く事になっていましたが、一旦祖母宅でちょっとお茶を飲んで休憩。
子供達も延々車の中は可哀相なので居間で手足を伸ばしてリラックスしました。
お茶菓子や母が事前予約してくれたサンドイッチや天むすを食べたりしました。サンドイッチと天むすはできたたてだったので温かくて美味しかったですが、数時間で食事があるので、控えめにしました。終了後も祖母宅へ寄るので、その時に食べてもいいだろうと手をつけなかった分は冷蔵庫へ温存してお寺へ出発!

法事は滞りなく終了、食事会でも久々の大叔父大叔母他懐かしい顔にあえて色々な意味で私には良い時間でした。

田舎のお寺だからか?単に法事で季節のものでないからか?お部屋は貸切だそうで、ゆっくりしてくださいとお寺さんから言っていただき、ご老体の皆様ゆっくりと食事と会話に花がさいたようで何よりでした(^^)
母の体調が心配でしたが、それなりにこなしたようで、顔色や体調など不良は無かったように見えました。
蓋を開けてみると、その後母はまた容態が悪くなって再入院したのですが、まあある程度つかれから来るものだったようで、術後経過に関係する事ではなかったのは幸いだと思います。でもまあ、母も無理していたんでしょう・・・・・退院直後なので疲れもたまるわね~私も疲れた位なんで、病み上がりの母にはさぞしんどかったと思います!

それにしても・・・・子供は凄い元気(==;)
大人しく座っていられるはずもなく、食事が粗方済むと借りた広間(20畳位?)の半分は座卓が並ぶだけで、使われていなかったのをいい事に、追いかけっこを始める(コラ!)一応走ったりすると怒られるし危険と解る年齢(恐竜以外は)なので、そんなに危なくないのですが、コソコソはいつくばって移動したり膝歩きしたり・・・・結局チョコマカしてるんですよ(^^;)まあね、少しずつ人も帰った頃だったので、そのくらいは許しますけど・・・・良いことではないですよね。
でも、早朝から子供達も頑張ったので、少しは目をつぶりました(ま、時々「コラ~」と誰かが言ったりしましたが^^;)
小競り合いは延々続いて、ゲームの取り合いをしたりジャンケンでもめたり(オイオイ)
食事は仕出し屋さんをお願いしたので、配膳も片付けもスタッフさんがしてくれたから、私たちがすることは何もなかったのですが、それでも親類が引けた頃には少し整理したりはしましたし、ご挨拶もしたりと何だかバタバタしてました。

最後の親類が帰ったのを見送って、荷物をまとめて子供達を順次乗せて一旦祖母宅へ。
たくさんお料理を食べたような気がしたけれど、やっぱり何か気が張ってたのかな?母が支度しておいたお茶菓子で一服。
お茶の美味しい事美味しい事・・・・・甘いものが欲しいとは、やっぱり疲れたか?と何だか年齢を感じちゃいました(-v-;)
祖母宅での休憩は法事に関係ない手土産などもあったりで色々話も弾んでゆったりしました、長引いてくると段々小腹もすいてきて(え?)サンドイッチと天むすがやたらと美味しく感じたっす・・・・・こういうのって別腹なんでしょうかね?
恐竜なんかは、大勢の知らない人と知らない場所で変な雰囲気で食べる食事は興奮で箸がすすまなかったらしく(それでもいくらか食べてたけど)祖母宅で落ち着いたのか?立派なカツサンドを1人前位たべました(相変わらずスゲー)
他の子たちはトンカツサンド(サンドイッチは海老カツかトンカツでした!)のマスタードが辛いとエビカツを食べていたのですが・・・・恐竜はエビカツよりも肉料理のトンカツが気に入ったようで、巨大な1切れをナイフでカットしてあげたら、勇ましいほどの食いっぷりでたいらげていました。その豪快な姿に母は大喜びしていました。

母は孫娘の楚々とした食欲よりも孫息子の豪快な食いっぷりが大好きなのです(え?)
小さい体でモリモリ食べるのがなんとも可愛いのだとか・・・・喜んでいただけて何よりです。
しかも、自分が喜んでもらえるかな?と用意したカツサンドを豪快に食べたのが更に嬉しかったようです。いや、あのカツサンド美味しかったっす!本当
天むすもなかなかでした・・・・母宅の近所にあんな店あがるとは知らなかった~

軽食とお茶菓子を堪能して、休息も十分にとったところでお暇。

祖母も朝から色々大変だったでしょうから、早々に落ち着いてもらいたいですし、我が家も妹宅も結構かかりますので、適当なところで退散です。
母宅に荷物を置いたりと用事があったので東京経由です。ちなみに祖母は母が結婚する前は東京でしたが、私が生まれた頃には千葉在住になってまして、その後ずーーっと千葉県民です。千葉の祖母宅をでて1時間半、母を送り届け荷物を降ろして我が家は自宅へ。
同県在住ですが、若干都心近くに住まう妹宅は、母と叔父と夕飯を済ませてから帰路に着くとの事でしたが、大食漢は恐竜だけの我が家は帰宅優先d(^-^)
とにかく家に帰って一風呂浴びてスッキリしたい~とお食事は遠慮させてもらいました(^^;)

ちなみに、そんな我が家帰宅したのは9時頃でした・・・・・朝6時には家をでたのに(><)スゲー時間かかったな~
まあいいです、私と金柑は満腹すぎて夕飯なんて食べたくなかったですし、ちょっと小腹がすいた恐竜と同居人も、お土産に頂いた折の海苔巻きで事足りたようなので問題ありませんでした。

つーか・・・・祖母宅でカツサンドや天むすやケーキにどら焼き(母は用意がいいです)を相当平らげていた妹宅、あのタイミングで夕飯が食べられるってある意味凄い家族です!
私の家系・・・・私はそうでもないのですが、母と妹は「マラソン食い」ができます。
総量も凄いですが、ジワジワと食べ続けられるのです。
口に合うものが短いスパンで雰囲気や内容が変わって出てくるという事なら、かなりの長時間いけると思われます。

私の娘の金柑は、そういう機能は備わっていませんでしたが、マラソン食いの妹の子供達は男女2人とも強烈なマラソン食い選手です!
恐らく、妹@夫氏もそこそこいける口かと・・・・。
妹の息子君が金柑と同じ年ながら、大量に食べられる姿を見て「男女の違いかな?」と思っていた私でしたが、妹の娘ちゃんは金柑の3歳下ながら、兄に負けない食いっぷりだったのをみた時は「ああ、うちの子とは違うんだ」と実感しました。
時折妹宅と母を交えて食事をしますが、我が家の少食な事・・・・それでも同居人は普通程度は食べるんですけどね~妹@夫氏の方がジワーっと長時間対応なんだよね(^^;)
長い妹との生活で胃袋大きくなったんでしょうか?まあいいや。

ちなみに・・・・病気療養中の母、私より食べます(え?)
母の元気は多分あの食欲かな?と思います。普通母のような病状の人は食欲が湧かなかったり、食事が喉を通らなかったりすると思いますが、母はそういう事は殆どありません。だから、ありえない病状でも永らえているんだと思います。
そうしてたくさん食べても母は痩せ細るばかりで太れません・・・・母の強靭な胃袋に勝るとも劣らない病巣なんでしょうね。

恐竜のドカ食いは正直、私の家系かな?と思います。
大食漢の男児はいるとは思いますが・・・・・あれだけ食べてるのに、恐竜は一切太ってません!というより、平均値ギリギリの体型なんです(==;)なんでしょうか?意味不明です。
1歳半で盛りそば1枚とか平気で食べるようになりました。
現在本調子でないので減ってますが、通常毎日丼飯たべます(=v=;)
それなのに成長曲線ギリギリって何故?栄養はどこへ行くのでしょうか?それだけ食べるからたくさん出るのか?と思えば・・・・・普通に日に1回です。
胃腸は凄く強いようで、何でも食べます。
刺激物にも対応しているらしいです・・・・マスタード平気どころか、大人のカレーとか食べたがります(味バカなの?)刺激物は怖いので、極力食べさせないようしてますが、油物はそうはいかないので、欲しがるだけ与えてしまいます。

外食が比較的多い我が家、家族が食べてるのをみると欲しがるのであげますが・・・・凄い食べます。
普通にフライなどもモリモリ食べますが、好物はどうやら「フライドポテト」らしいです。
金柑が好きでマックに行きますが、ハンバーガーを1個食べさせても、ポテトは別腹でモリモリ食べる恐竜。
以前は3セット注文するとポテトが余る位でしたが、今はあまりません!私はそんなに食べたくないのを我慢して食べたりしてましたが、今は適度でやめてOKになりました(^^v)残りは恐竜が食べてくれるから~
多分3セット+ハンバーガー2個+ナゲットでいい感じかな?
私と金柑はバーガー系1個+ポテト少々+ナゲット
同居人はバーガー系2個+ポテト+ナゲット
恐竜はバーガー系1個+ポテト+ナゲット
みたいです。
後は飲み物を飲んでご馳走様です(^^)

よくみても普通に1人前食べてると思います・・・・3歳くらいになったらどうなっちゃうんでしょうか?
妹@息子君のようにマラソン食いできるようになるのかな?
彼も凄い小さいときから大人分食べてました・・・・最近は物凄いスピードで食べるので気づかない間に終了してますが、また気づくと食べ始めるという恐ろしい感じになってます(--|||)
エンゲル係数が怖いな~まあいいか。

大食漢の妹宅も満足な品揃えと用意のあった1日でした(^^;)
そして我が家は恐竜以外食べすぎて唸ってました(=v=;)何しに行ったのか謎ですね。