桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

薩長出身の三愚(世良修三・三島通庸・管直人)が壊す会津と福島!

2013年08月17日 | 御霊震災311
 さてさて、座長は今年4月13日ブログに「・・・JR水郡線塙駅から台宿方面へブラブラと久慈川沿いの堤防道を歩いていたら、小学生と出会う度に「コンニチワ!コンニチワ!」と挨拶されるのだー「知らない人と話しチャ駄目ヨ!」という都会と違った地方教育だろうが・・・」と書いていた事をフッと思い出し、そんな福島の純粋な子供達を「エダノ子、カンノ子、被爆の子」と汚し謡ってしまった事を後悔し始め、それからはウツウツウツした日々が続き、
               
やがてはブツブツブツと「この福島を駄目にした奴は誰だ?!」という心理へ異常発酵するにまでに至った。

(A)座長ら南郷ビトにとって「会津は福島の京都」であり「福島市は東京都」である。
 その伝統ある会津藩の殲滅を主張したのが長州の漁民上がりの世良修三という奥州鎮撫ヤクニンで、それは敗戦後の東京裁判如き反論無視の朝敵占領政策であり、その後の下北斗南移住策に至ってはソビエトのシベリア抑留如きであった。

(B)明治期になっても福島県民への破壊政策が継続される。
 福島市に福島県令となって赴任した薩摩藩出身の三島通庸は、高知県と並んで盛んであった福島民権運動の殲滅策←クリック)を率先実行すると共に、東京霞ヶ関ヤクニンが計画した過酷な土木工事を県民に強要した。後に茨城県加波山事件という暗殺テロ事件を招く程の民権弾圧政策は栃木県令へと転任しても継続し、桐生市上流の足尾銅山鉛害騒動も弾圧された。

(C)長州宇治市出身の管直人首相が福島県民の全てを破壊しつつある。
 原発事故直後の不手際以上に問題なのは、原発撤退を大々的に発表して300人以上の原発研究者を海外転職させて(廃炉処理が遅れる)失策と、東京電力という民間会社に後処理を全て任せるという責任逃れ策と、等により、2年経過した福島原発が再び暴走する事態が近いのである。

(D)座長一族の長オサである伯母の家を訪ねると、ココ南郷では「山間材木利用のバイオマス発電所建設」が大騒動となっていた。東京という都会では「再生エネルギーの活用」という美名で飾られる事業が福島・南郷という田舎で展開されると、「放射能汚染材木の後処理場になる!」などの地域エゴへと変質するノダ・・・と、座長は上から目線で聞いていたのだが、桐生スバル座楽屋に戻って検索してみると←クリック)みると、福島被災地では原発安全神話が霞ヶ関官僚達によって「安全伝説」へと変身させられつつある事に気付いた。
 
 住民の安全が神話や伝説のレベルでしか語られない平成日本で座長が気になる現実は、荒れ果てた農地と山々が暗示する食糧危機の問題である。

 H25/08/17 Utatteru #76 OZUの謡←クリック 
「暑い大地の飢餓地獄」 元歌「浜千鳥」作曲:弘田龍太郎 作詞:鹿島鳴秋

暑い大地の窪みには
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 残る身体で今日生きる