さてさて、巣鴨の御贔屓様の御支援があるとは言え我が桐生スバル座の経営は厳しく、遂には寒風凄まじい河原に立っての立ち仕事(駐車場案内)アルバイトを為す事となった。
江戸時代には「河原モノ」と蔑められた芝居業なれば「致し方ナシ!!」と思えども、頭に浮かんだ芝居アイデアまでも吹き飛ばされる状態にはガッカリしている。
座長が若き青年の頃であれば、たとえ手足・身体を激しく動かしてたとしても「脳細胞に浮かぶアイデア筋書き」が持続保持できてたのだが・・・老境の脳細胞はガタガタに分断弛緩化してしまうアルツハイマ~状態で、河風がビュービューと隙間に入り込み貴重な草案記憶を吹き飛ばす有様なのだ。
このアルバイトの発端は、座長WEB楽屋に配置した時代遅れのWINーXPパソコンがウイルス汚染対象となり、時々不審ウイルスが出入りして色々と物色している感じ・・・そこで中古パソコンながらWINDOWS7・PROなる新OSで防御しようとする為の資金稼ぎなのである。
という訳で、購入後の新旧パソコンデータ移行作業のなかで見入ってしまったのが・・・下記「水戸天狗党・下仁田戦争の戦場跡」の写真NMなのだ。
写真NM
2年前に巣鴨の御贔屓様と群馬県下仁田町を旅した時(ブログ←クリック)に対岸河原から撮影した戦場跡風景なのだが、この写真1枚に「幕末の扶持サムライのお粗末さ」が現れているのだし、それらは現在の「平成ヤクニンの原発対応のお粗末さ」も連想されるのだ。
この写真の時代背景を述べると・・・福島・茨城・栃木3県に跨る八溝山の東麓は座長の故郷・南郷だが、その八溝山南麓の大子町から京都へと西上行進を始めた水戸天狗党925名は、1864年11月25日に御当地下仁田の山峡に進撃してきて・・・その有様は(資料によれば)ノボリをたて太鼓を鳴らしての大行列だったそうで、写真の右側の山峡にコダマして地元民を驚かし楽しめさせたろう!!
(このイメージは子供の頃の巡回トラック販売の拡声音響が阿武隈山峡に木霊してた事から想い起されたのだ)
この大行進に対陣した地元の譜代・高崎藩のサムライ達は、写真NMの中央に在る名主豪邸に本陣を構えて、わずか200名の居残り部隊だけで無謀なる「通うせんぼ正面作戦」を実行したのだ。
ア~ア~これを平成の原発行政と関連させると、時代を超えて共通するヤクニン根性、慣例主義、が見出される。
第一に、強大な敵(天狗党軍隊・自然脅威・津波)に抗して貧弱・単純・形式的な発想の防御策に追従し、更には役人行政の縦割りで効果的な支援対策を立てられなかった事である。
すなわち・・・追尾する幕府軍に編入された高崎藩の主力軍は、彼らの老父親や息子らの居残り部隊が撃破されるサマを後方から傍観する有様だった!
それらは原発事故に際して、指揮官役であった霞ヶ関官僚たちが「私は理系でないので全く??でした!」と責任逃れした様に・・・高崎藩老臣たちが戦場経験を忘れて扶持侍化(サラリー社畜化)しちゃった事に似ている。
第二に、写真NM下部の河原崖をヨジ登って天狗党サムライが進撃してくると本陣が大混乱になる事態を想定しなかった事は、福島原発の東海岸に設置した自家発電装置に大津波が襲来して全機能が停止する事態を想定外とされた事と、類似するのダ!
第三に、写真NM左上部に(その頃存在した)松の大木が(・・それは愚かにも天狗党サムライの「隣藩小幡の兵です!」というオレオレ詐欺的言葉を信じて案内した為ナノダ!)簡単に奪取されて、地上で守る高崎藩サムライ達が鉄砲狙撃手の餌食となる事態と、唯一残された外部からの送電線鉄柱が地震倒壊するお粗末設計の結果、原発冷却機能が破滅されて爆発事故が起こる事態と、等が類似するのダ!。
あ~~!歴史は繰り返される!
江戸時代には「河原モノ」と蔑められた芝居業なれば「致し方ナシ!!」と思えども、頭に浮かんだ芝居アイデアまでも吹き飛ばされる状態にはガッカリしている。
座長が若き青年の頃であれば、たとえ手足・身体を激しく動かしてたとしても「脳細胞に浮かぶアイデア筋書き」が持続保持できてたのだが・・・老境の脳細胞はガタガタに分断弛緩化してしまうアルツハイマ~状態で、河風がビュービューと隙間に入り込み貴重な草案記憶を吹き飛ばす有様なのだ。
このアルバイトの発端は、座長WEB楽屋に配置した時代遅れのWINーXPパソコンがウイルス汚染対象となり、時々不審ウイルスが出入りして色々と物色している感じ・・・そこで中古パソコンながらWINDOWS7・PROなる新OSで防御しようとする為の資金稼ぎなのである。
という訳で、購入後の新旧パソコンデータ移行作業のなかで見入ってしまったのが・・・下記「水戸天狗党・下仁田戦争の戦場跡」の写真NMなのだ。
写真NM
2年前に巣鴨の御贔屓様と群馬県下仁田町を旅した時(ブログ←クリック)に対岸河原から撮影した戦場跡風景なのだが、この写真1枚に「幕末の扶持サムライのお粗末さ」が現れているのだし、それらは現在の「平成ヤクニンの原発対応のお粗末さ」も連想されるのだ。
この写真の時代背景を述べると・・・福島・茨城・栃木3県に跨る八溝山の東麓は座長の故郷・南郷だが、その八溝山南麓の大子町から京都へと西上行進を始めた水戸天狗党925名は、1864年11月25日に御当地下仁田の山峡に進撃してきて・・・その有様は(資料によれば)ノボリをたて太鼓を鳴らしての大行列だったそうで、写真の右側の山峡にコダマして地元民を驚かし楽しめさせたろう!!
(このイメージは子供の頃の巡回トラック販売の拡声音響が阿武隈山峡に木霊してた事から想い起されたのだ)
この大行進に対陣した地元の譜代・高崎藩のサムライ達は、写真NMの中央に在る名主豪邸に本陣を構えて、わずか200名の居残り部隊だけで無謀なる「通うせんぼ正面作戦」を実行したのだ。
ア~ア~これを平成の原発行政と関連させると、時代を超えて共通するヤクニン根性、慣例主義、が見出される。
第一に、強大な敵(天狗党軍隊・自然脅威・津波)に抗して貧弱・単純・形式的な発想の防御策に追従し、更には役人行政の縦割りで効果的な支援対策を立てられなかった事である。
すなわち・・・追尾する幕府軍に編入された高崎藩の主力軍は、彼らの老父親や息子らの居残り部隊が撃破されるサマを後方から傍観する有様だった!
それらは原発事故に際して、指揮官役であった霞ヶ関官僚たちが「私は理系でないので全く??でした!」と責任逃れした様に・・・高崎藩老臣たちが戦場経験を忘れて扶持侍化(サラリー社畜化)しちゃった事に似ている。
第二に、写真NM下部の河原崖をヨジ登って天狗党サムライが進撃してくると本陣が大混乱になる事態を想定しなかった事は、福島原発の東海岸に設置した自家発電装置に大津波が襲来して全機能が停止する事態を想定外とされた事と、類似するのダ!
第三に、写真NM左上部に(その頃存在した)松の大木が(・・それは愚かにも天狗党サムライの「隣藩小幡の兵です!」というオレオレ詐欺的言葉を信じて案内した為ナノダ!)簡単に奪取されて、地上で守る高崎藩サムライ達が鉄砲狙撃手の餌食となる事態と、唯一残された外部からの送電線鉄柱が地震倒壊するお粗末設計の結果、原発冷却機能が破滅されて爆発事故が起こる事態と、等が類似するのダ!。
あ~~!歴史は繰り返される!