桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

桐生スバル座演技場も赤字続きで、座長も巣鴨へ出稼ぎに・・・出る。

2013年11月23日 | 日記
 さてさて、座長故郷FUKUSHIMAの3重被災とは、霞ヶ関ボケ農政の官災、地震と津波の天災、福島原発の人災、である。
 故郷からの上り電車に乗って桐生スバル座演技場へ帰った落胆座長を待ち迎えていたのは・・・大量の請求書だった。なにしろ8月末からの開演がタッタ2回だったし、演目も「明治民権運動」という演説調の舞台では観客も激減の有様・・・斯くして座長は出稼ぎへ出ることになった。

 東京への上り電車で考えた事・・・ナゼ?若モノ達は社畜待遇如き正社員採用を望むのだろうか?昔は自営商店主や農産業・水産業もその日任せの自営業だったし、座長の劇場興業に至ってはバクチ稼業に等しいのだ。
 されど、ソコソコ老境に立ち至った座長なれば働く場所もなくて、いつの間にか老人の原宿と言われる豊島区巣鴨商店街をブラブラしていた。
     
 そこで偶然にも声を掛けてくれたのが我が劇場の御贔屓さんだった。
「アンタは役者だからピッタリの仕事がある」と紹介されたのが赤いハッピを着ての街頭客引きで、取り扱う商品は赤いパンツだった。この巣鴨商店街で著名な「赤パンツの元祖“巣鴨のマルジ”」を真似しての客引き仕事だ。
 
 ア~ア~~座長らの団塊世代の若い頃は、赤い革命旗を振り回して・ゲバ棒を突き出して・拡声器で決まり文句の「戦後社会を変えよう!!」と叫んで・・と行動した事もあった。
 結局、老人に至るまでなにも解決出来ずに保守ガラパゴス化しちゃって平成時代に至る・・・そこでは団塊老人たちは、
 ①小便ウンチ漏れの赤パンツを赤旗代わりに着用して、若者達に偉そう~~に人生説教するのだし、
 ②彼ら若者たちから搾取した高額年金を手にして貧困少女たちに援助SEX交際を求めるのだ。
 即ち、若い頃に振り回したゲバ棒の代わりに、僅かに勃起するチン棒を赤パンツから引き出し、決まり文句の「老後を楽しく!」と叫ぶのである。

 とにかく、座長は赤いハッピを着て街頭に出てみた。そしたら、頭の中には新しい童謡替え歌が創り出されてきた。


 H25/11/23 Utatteru #79 「赤いハッピを着た可愛い爺イ」 元歌「金魚の昼寝」作曲:弘田龍太郎 作詞:鹿島鳴秋

赤いベベ着た 60の親父オヤジ、
  仕事が見つかりゃ オカズをふやす
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  昔は社長さん 見事な裁き