毎日新聞( 10月5日)よれば、中山成彬文部科学大臣が、4日、宮崎県庁で会見し、国・地方財政の三位一体改革に伴い廃止・削減対象になっている義務教育費国庫負担制度について「国庫負担は堅持すべきだ。教育改革は財政論によるべきではない」と批判したという。全国知事会は8月、義務教育費を削減対象に含めるよう政府に提案したが、安藤忠恕宮崎県知事も「国による財源保障」を条件に賛成していた。三位一体の改革とは、「国庫支出金の削減」「税源の地方移譲」「地方交付税の見直し」という3つのことをいっぺんにやって、地方分権を進めようということだ。なぜこういうことが問題になるのだろうか。
地方自治体の収入は何かというと、一つが地方税で、住民税、固定資産税、事業税からなり、だいたい必要経費の4割くらいになる。次に、国から2つの財源が、地方に与えられている。1つが国庫支出金で、もう1つは、地方交付税である。国庫支出金は、国が地方自治体に資金の使い道を指定して与えるものであり、地方交付税は、地方公共団体の間の格差をなくすために与えられるものである。このほかに、国が徴集した税金を自動的に地方自治体に譲る地方譲与税や、地方債(借金)があり、それで地方財政はまかなわれている。
この国庫支出金がひも付きであるところが問題になる。中央官庁や政治家の裁量で地方の事業ができるかどうか決まってしまうのでは、地方分権にならない。それで、国庫支出金をなくそうというわけだが、それでは地方自治体の財政が足りなくなってしまう。そこで、国が徴集している税金を地方が徴集するようしたらよいと言うことになる。これが税源移譲である。税源移譲をしないと国庫支出金をへらせないので一体ということになる。
地方交付税については、使い道の指定はないお金で、所得税・法人税・酒税の32%、消費税の29.5%、たばこ税の25%が毎年自動的に地方に与えられるしくみになっている。これは、ひも付きではないが、一定の収入が与えられると、そのための努力をしなくなるという懸念がある。地方は地方なりに努力する必要があるのであり、そのためにも地方交付税を見直しをしようと言うのである。要するに、国庫支出金と地方交付税を削減していくためには、税源移譲が必要であり、この三つは一体で行わなければならないというわけである。
こうした考えが出てくる背景には、地方分権だけでなく、元々、国も地方も財政的に苦しくなったということがある。いま、国の借金はどのくらいあるかというと、約700兆円である。国と地方の長期債務残高は、それぞれ518兆円と199兆円になるという。このうち国と地方の重複分がありそれを差し引くと、約700兆円になる。これは、経済シンクタンクHARVEYROAD JAPANの「日本の借金時計」を見るとわかる。「三位一体の改革」については、「地方が決定すべきことは、地方自らが決定するという、地方自治本来の姿の実現」を目指してと言われているが、こうした国の財政支出の削減ということも大きな目的ではある。そのために、国が自分たちの財政再建を優先しているところがあったりして、必ずしも三位一体にならないところがあり、地方の財政が苦しくなっているところも出てきている。
地方分権の促進という役割については、次のようなことが言われている。ひとつは、地方は自主財源を得て自立し、中央のいうことを聞かなくてもフリーに政策を行うことができるようになり、地方分権が進むと考えられる。また、政治は、これまでの地方の利益誘導型のスタイルから、国の未来を考えた本当の政治になると言うわけだ。そんなにうまくいくのかという気もするが、それ自体はよいことことだと思う。ところで、ここで、三位一体がそんなに良いなら、みんな賛成かというとそうでもない。
まず、国庫支出金を与える権限を持つ各中央官庁が反対している。また、国の税金をできるだけ減らしたくないという意味で、税金担当の財務省が税源移譲に消極的である。また、総務省も、フリーに使えるはずの地方交付税の交付を、意図的に操作して、地方交付税の裁量権を握り、地方交付税を暗に使い道指定のひもつき財源にしていたと言われている。だから、総務省も、自分たちの権限を残すため、地方交付税をあまり減らしたくない。結果、どの官庁も、自分たちの権限を守るため、三位一体には消極的になっているわけだ。文部科学省もこうした流れの中で、義務教育費国庫負担金制度はあくまで堅持する必要があると改めて表明したわけだ。どんどん、聖域が作られていくような気がする。
地方自治体の収入は何かというと、一つが地方税で、住民税、固定資産税、事業税からなり、だいたい必要経費の4割くらいになる。次に、国から2つの財源が、地方に与えられている。1つが国庫支出金で、もう1つは、地方交付税である。国庫支出金は、国が地方自治体に資金の使い道を指定して与えるものであり、地方交付税は、地方公共団体の間の格差をなくすために与えられるものである。このほかに、国が徴集した税金を自動的に地方自治体に譲る地方譲与税や、地方債(借金)があり、それで地方財政はまかなわれている。
この国庫支出金がひも付きであるところが問題になる。中央官庁や政治家の裁量で地方の事業ができるかどうか決まってしまうのでは、地方分権にならない。それで、国庫支出金をなくそうというわけだが、それでは地方自治体の財政が足りなくなってしまう。そこで、国が徴集している税金を地方が徴集するようしたらよいと言うことになる。これが税源移譲である。税源移譲をしないと国庫支出金をへらせないので一体ということになる。
地方交付税については、使い道の指定はないお金で、所得税・法人税・酒税の32%、消費税の29.5%、たばこ税の25%が毎年自動的に地方に与えられるしくみになっている。これは、ひも付きではないが、一定の収入が与えられると、そのための努力をしなくなるという懸念がある。地方は地方なりに努力する必要があるのであり、そのためにも地方交付税を見直しをしようと言うのである。要するに、国庫支出金と地方交付税を削減していくためには、税源移譲が必要であり、この三つは一体で行わなければならないというわけである。
こうした考えが出てくる背景には、地方分権だけでなく、元々、国も地方も財政的に苦しくなったということがある。いま、国の借金はどのくらいあるかというと、約700兆円である。国と地方の長期債務残高は、それぞれ518兆円と199兆円になるという。このうち国と地方の重複分がありそれを差し引くと、約700兆円になる。これは、経済シンクタンクHARVEYROAD JAPANの「日本の借金時計」を見るとわかる。「三位一体の改革」については、「地方が決定すべきことは、地方自らが決定するという、地方自治本来の姿の実現」を目指してと言われているが、こうした国の財政支出の削減ということも大きな目的ではある。そのために、国が自分たちの財政再建を優先しているところがあったりして、必ずしも三位一体にならないところがあり、地方の財政が苦しくなっているところも出てきている。
地方分権の促進という役割については、次のようなことが言われている。ひとつは、地方は自主財源を得て自立し、中央のいうことを聞かなくてもフリーに政策を行うことができるようになり、地方分権が進むと考えられる。また、政治は、これまでの地方の利益誘導型のスタイルから、国の未来を考えた本当の政治になると言うわけだ。そんなにうまくいくのかという気もするが、それ自体はよいことことだと思う。ところで、ここで、三位一体がそんなに良いなら、みんな賛成かというとそうでもない。
まず、国庫支出金を与える権限を持つ各中央官庁が反対している。また、国の税金をできるだけ減らしたくないという意味で、税金担当の財務省が税源移譲に消極的である。また、総務省も、フリーに使えるはずの地方交付税の交付を、意図的に操作して、地方交付税の裁量権を握り、地方交付税を暗に使い道指定のひもつき財源にしていたと言われている。だから、総務省も、自分たちの権限を残すため、地方交付税をあまり減らしたくない。結果、どの官庁も、自分たちの権限を守るため、三位一体には消極的になっているわけだ。文部科学省もこうした流れの中で、義務教育費国庫負担金制度はあくまで堅持する必要があると改めて表明したわけだ。どんどん、聖域が作られていくような気がする。