電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

ATからPAへ

2004-09-30 08:56:07 | 子ども・教育
 ATとはアチーブメント・テスト(Achievement Test)のことであり、PAとはパフォーマンス・アセスメント(Performance Assessment)のことである。一応、前者は「目に見える学力」、後者は「目に見えない学力」を対象にしているということができる。「内外教育」9月21日号によれば、日本教育社会学会第56回大会で、お茶の水女子大学の耳塚寛明教授と諸田裕子プログラム研究員による「学力・学歴・進路」という発表があり、そこでATとPAの実施による分析が報告されたという。

従来型テストでは見えてこない児童の思考プロセスを多面的に評価できるテストを実施したところ、従来型のテストで好成績を出せない児童の中にも、思考プロセスでは優れた結果を出す児童がいることが明らかになった。また、多面的なテストで早くされる学力が、学力全体の基盤になっている可能性があることが分かった。(「内外教育」9月21日号)

 ここでの発表は算数の結果が中心だが、PAのポイントとしては、算数の問題に対して式や答えだけでなく理由や考えたことなどを含め、図や絵なども使いながら、十分な時間をかけて解答させるところにある。そして、解答の評価を、「概念的知識」「手続き的知識」「推論とストラテジー(方策)」「コミュニケーション」という観点からそれぞれ「示されていない=0」「低=1」「中=2」「高=3」の4段階で行ったという。ある意味では、算数の本当の学力はどのくらいかを調べたということだ。この評価方法については、諸田研究員は次のように述べている。

「関心・意欲・態度」を測定するものではない。解法に無意味な絵や図は評価の対象とならない。PAは、従来型のATとも「新学力観」による評価とも違う。重要な点は、いくつもの方法を同時に採用して、「学力」を多次元で把握していくことだ。(同上)


 児童のアンケート調査を参考にATとPTの結果を分析すると、「従来型のATの結果は、勉強時間や通塾の有無、父親の学歴などの要因によってかなりの程度左右される」という。これと反対にPAでは、ATほど明瞭な関係は見られないという。むしろ、ATが低い児童の中に、PAの高い児童がいる場合があるという。その逆のPAが低いのにATが高いという児童は見あたらないという。ここから、耳塚教授はPAの利点を次のように言う。

AT的テストによる選抜は、家庭の経済的・文化的条件による選抜だと言ってよい。これに対してPA的テストによる選抜は、家庭的背景の上で相対的に恵まれない子供にも福音をもたらす可能性がある。(同上)


 また、こういうことが言えるのは、「『学力』全体が、『PAによって測定される学力』を下部構造とし、この上に『ATによって測定される学力』が丈夫構造として乗っている」からだという。そう考えると、「PAが低ければATは高くなり得ず、PAが高い場合にのみATが高くなり得る現象が理解できる」と言う。

 ここから何を導き出せるだろうか。一つは、経済的・文化的条件に恵まれない家庭の児童の中にも本当の学力を持っている児童がいるということ、二つ目は、学校の役目として、PAが高くてATが低い児童を救ってあげる必要があるということ、最後にPAのようなテスト(評価方法)をもっと開発して、本当の学力を的確に評価できるようにすることが大切だと言うことになる。おそらく、お茶の水女子大学の付属の学校では、そうした工夫をして、PAの高い児童を入学させているのではないか。有名私立小・中学校は、PAのような選抜テストを工夫していると思うし、優秀な児童生徒を集めるためには、単なるATだけではだめだというのは常識でもある。私の予想では、そのうちに学校の内申書より、塾の内申書のほうが重視されるのではないかと思うくらいだ。

 ところで、PAが低い児童は、どういう児童なのだろうか。それは、救いがないのだろうか。PAを高くするにはどうしたらいいのだろうか。PAとは、知能指数のようなものだろうか。学力は向上させることができるはずだと思う。例えば、蔭山英男校長のような実践は、ATを高くすると言うより、PAを高くすることによってATを高くしようと言う実践のような気がする。ここのところが、はっきりさせられないと、単なる選抜のためのテストという側面だけが強調されてしまうことになってしまうような気がする。

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「改革実現内閣」とは?

2004-09-29 09:41:41 | 政治・経済・社会
 27日に第2次小泉内閣改造と自民党3役人事が発表になった。株価には目立った動きはなかったようで、今までの小泉内閣の路線がそのまま踏襲されると株式市場は判断したことになる。世間では、Livedoorと楽天の対決の方や、イチローの世界記録の方に目がいっているのではないかと、思われるほど静かな反応だったと思う。私も、ああ、小泉さんらしいなという感想だ。

 小泉内閣は、2001年の4月に発足したわけであるが、それ以来、3年半になる。内閣支持率80%という高支持率でスタートしたが、27日夜から28日夜にかけて実施された朝日新聞の全国緊急世論調査によると小泉内閣の支持率は45%まで落ちているという。但し、これは8月末の世論調査より、6%上昇し、不支持率も35%と8%下がり、4ヶ月ぶりで支持が不支持を上回ったという。これは、しかし、驚くべきことだと思う。小泉政権が発足したとき、誰がこんな長期政権が続くと思っただろうか。

 国会での発言の仕方や、内閣改造の仕方は、今までの自民党のやり方と全く異なり、派閥や自民党、さらには野党に対してよりも、国民の方に向けて話をするという姿勢があった。だから、小泉総理大臣のこれまでの政治判断については、特に、イラク問題やテロに対する判断などには賛成できない面があるが、彼の政治姿勢には好感を持ったきた。知り合いの政治記者などからは、事前の根回しなどがないのでやりにくいと聞いていたが、それはとてもいいことだと思っていた。戦後の、自民党と社会党で作ってきたような政党政治の流れが、大きく変わり、総理大臣のリーダーシップが大きな力を持つようになったのは、小泉さんの力による。どちらかというと政治家としては一匹狼的なところのあった小泉さんだからできたことかもしれない。

 小泉さんの政治スタイルをそれなりに評価してきたが、しかし、現実の改革は、そんなにうまくいっているようには思えない。銀行の不良債権処理の加速はついたかも知れないが、リストラもあり、経済が多少上向きになったのは、政府の政策のおかげというより、民間の力のだ。一番大きな失敗は、年金問題だと思う。これは、民主党も絡んでいて、複雑だが、国民に不審を抱かせたままになっている。また、政治的判断の誤りは、多分、ニューヨークテロ事件を初めとする、アフガニスタン・イラク問題でアメリカの主張と行動を盲目的に容認してしまい、独自の判断と独自の行動がとれなかったことだと思う。この点では、引退した野中広務さんや元自由党で今民主党の小沢一郎さんのほうが優れていたと思う。

 おそらく、小泉さんの経済的政治的判断の理論的支柱は、竹中さんに理論にあるのだろうと思う。流れとしては、中曽根内閣時代からの「自由化・規制の撤廃」と「小さな政府」というのが、いわゆる「改革」の方向だったと思う。しかし、いつの間にか、国の財政赤字はすさまじいものになっているし、今の若い人は年金などもうあてにできないのではないかと諦めようとしている。こうした不安が、不支持や選挙のときの民主党支持を作っているような気がする。

 小泉内閣は、不思議な内閣だ。多分、小泉さんの総体的に自民党から独立し孤立無援になっているように見えるような姿が、人々の不安と同情を集めているのではないか。つまり、私のように心情的に小泉さんに好意をもち、現実的にはもっと斬新な変革を求めて小泉さんを批判し、場合によっては他の政党の指示をしたりするのだ。だから、小泉内閣たたきが始まると、心情的な同情が集まり、いつの間にか、危機を乗り切っているのだ。「北朝鮮問題」がそうだったし、イラクの日本人拉致事件のときがそうだった。それにしても、わかりにくい内閣だと思う。何ができたら「改革実現内閣」になれるのだろうか?「郵政民営化」がいちばんわかりやすいかもしれないが、差し当たりヤマト運輸の提訴の動向を見守りたい。

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Livedoorと楽天

2004-09-28 09:00:01 | スポーツ・ゲーム
 Livedoorと楽天が、仙台を中心にして、火花を散らしている。どちらもIT事業で成功している企業だ。心情的には、信州松本のコーヒー屋斎藤久典さんのEspresso Diaryの「優等生と悪ガキ。」という記事がよくわかる。齊藤さんは長野県人でもあり、そう言う意味では、途中で長野県に浮気した楽天の態度に対しては不愉快だったと思う。

それぞれの企業の特徴も明確になりました。楽天の三木谷さんは、マスコミへの対応が巧くない。「長野が準本拠とは一度もいっていない。考え直して東北優先でやりたい」。この発言は、長野市の人たちには不評だと思います。神戸や大阪の人たちも、そうでしょう。楽天のビジネスは、どれも参入障壁が高くありません。際立つ技術があるわけではない。とくに欠点の目立たない安心できそうなキャラは、ミッキーマウス的。ただ、地域とか個性が勝負どころになると弱いんですね。


 しかし、全体の流れは、楽天に向かっている。私としては、Livedoorはやるだけやったので、この際潔く撤退し楽天にすべて任せてしまった方がいいと思う。おそらく、今の流れでは、また赤字の球団ができるだけのような気がする。それに、今頃から始めて、来期に間に合うような球団がうまくできるはずはないと思う。その点では、楽天のほうがコネがあり長く持ちそうな気がする。例え、Livedoorが残っても苦労するだけだと思う。

 それにしても、どうして楽天まで仙台にしたのだろうか。楽脳さんの「楽天的脳天気 雑記編」の「ライブドアの進む道 ホリエモンの胸の内」で分析されているようなストーリーが実際にあったのだろうか。誰もがそんな素朴な疑問を抱く。

画策の存在を基本に、余りにもスムーズに進み出した事の流れを客観的に見れば、「二者択一の状況が発生したのを利用したライブドア潰し」と考えるより「ライブドア潰しの為に二者択一の状況を作り出した」と考えるほうが自然じゃないか?
楽天が早々と超豪華な『経営諮問委員会(アドバイザリーボード)』の顔ぶれを用意できたのも、全てナベツネを中心とするオーナー側の口利きがあったからこそだろう。
つまり、最初から全ての”お約束”が存在した上での楽天参入だったわけだ。
「どうせいずれ参入する気持ちがあるんだったら、今年にしてくれないか? そちらがこの要請に応えてくれるのなら、オタクの参入を優先的に認める事を確約し、他にもいろいろ便宜を図る用意があるのだが」と。

 私は、最近、テレビでスポーツをほとんど見ない。せいぜい、日曜日の午後、女子ゴルフの試合を見るくらいだ。野球については、イチローや松井の大リーグの成績のほうに興味が行っている。今期のプロ野球界の事件については、新聞やインターネットやブログで情報を仕入れた。ほとんど巨人以外は赤字という球団経営に根本的なメスを入れない限り、プロ野球の再生などないような気がする。そう言う意味では、Livedoorの堀江さんが参加するのも面白いかなと思っていた。しかし、結局は、彼もはじき飛ばされるだけのような気がする。マスコミの動きを見ていても、今期どこが優勝するかなんてどうでもいいような感じだ。

 ライブドアの堀江貴文社長は25日、日本プロ野球組織(NPB=日本野球機構)に提出しているプロ野球への新規参入申請が、審査に通らなかった場合、修正して再申請する方針を明らかにした。新規参入を希望する球団は11月30日までに実行委員会とオーナー会議の承認を得る必要があるが、同社はその最終期限まで「おかしいところは修正して何度でも申請を続ける」(堀江社長)としている。
 来季以降の申請については、堀江社長は「スピード重視の経営をしており、来年まで待つ余裕はない」と、今季中にプロ野球への新規参入問題に決着を図る考えだ。 (朝日新聞09/26 09:28)

 
 何となく、堀江さんを応援したくなるのは、私だけだろうか。そう言えば、前に、引用したブログは二人ともLivedoorのサービスを利用している人たちだ。私は、楽天の三木谷さんには数年前、楽天を始めたばかりの頃会ったことがあるが、Livedoorの堀江さんには会ったことことはない。私など、堀江さんから見れば、老害のひとりであり、早く引退した方がよいと引導を渡されそうで、とても一緒に酒を飲みたいなんていう気にはなれないが、もう少し頑張って欲しいような気もする。この辺の気持ちを素直に表現したのが、大西宏さんの「大西宏のマーケティングエッセンス」の「『一番乗り』か、『規模と実績』かの悩ましい選択」という記事だ。

確かに、「一番乗り」への好感、また評価が、企業規模やスポーツ・ビジネスでの実績を越えて大きく働いていることは間違いないですね。これは三木谷さんも誤算だったかもしれない。
マーケティングの住人から言わせてもらうと、お客さまは「一番乗り」しか評価してくれなくなってきています。後発はかなりの値下げをしないと売れない時代です。
まあ、ついこの前まで、プロ野球には参入しないと公言し、神戸だ、大阪だとコロコロ発言を変えてきたというのは、いかに「経営者は朝令暮改でないといけない」とはいえ、経営者や楽天の社員を納得させることはできたとしても、ファンを納得させるのはちょっと無理がありそうです。


 しかし、「民意」がそういう風になっていくと、またプロ野球は混乱していきそうな気がしないでもない。おそらく、プロ野球界はそうした民意を汲むことはないような気がする。それがいいことか悪いことかは別だとしても。ただ、こういう大事なときに、根来コミッショナーが引退するというのも無責任な気もする。まあ、コミッショナーには何もできなかったし、これからもできないだろうというのが、プロ野球界の現実でもあるらしい。

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電脳徒然草

2004-09-27 09:06:23 | 文芸・TV・映画
 最初にブログを始めるとき、ブログの名前を「電脳徒然草」にしようかと思った。私の知り合いのひとりが、「電脳草子」というエッセイを自分のHPに書いていて、それがとても気に入っていたのだ。しかし、『徒然草』があまりに有名なのと、『土佐日記-Tosa Blog』というブログがあり、それは紀貫之の『土佐日記』を原文と現代語訳を載せて紹介したものだった。「電脳徒然草」というタイトルだと『徒然草』をWeb上に掲載したものと誤解されるかも知れないということで、止めた。

 そのとき、いつか、自分でも『徒然草』の現代語訳を、『電脳徒然草』としてアップしてみるのもいいなと思った。そんなわけで、今日、佐藤春夫の『現代語訳・徒然草』(河出文庫)を参考までに買ってきた。読んでみて、引き込まれた。徒然草の現代語訳を読むは、初めてだ。大きな活字で組んであるので、読みやすい。

 ところで、日本の古典を電子ブックにしている最大のサイトが「Japanese Text Initiative」というバージニア大学とピッツバーグ大学の協同プロジェクトであるというのは、考えさせられてしまう。ここには、『万葉集』や『源氏物語』を初めとして、日本の古典が原文でそろっているし、漱石や鴎外などの近代文学もそろっている。もちろん『徒然草』も当然ある。日本には、「青空文庫」というサイトがあり、著作権が切れた近代文学を順次ボランティアの協力でアップしているが、古典については、最早日本の大学でさえ追いつけないところまで行っている。つまり、日本の古典研究は、このサイトのお世話にならざるを得なくなっていると言って良い。

 さて、Web上の『徒然草』現代語訳について調べてみると、すでに、佐藤国春さんの『超現代語訳 徒然草』と吾妻利明さんの『徒然草』の二つがあった。先を越された感じだ。特に、吾妻さん、6年がかりの翻訳がやっと最近終わったようだ。最終の「あとがき」が「2004年9月12日行楽日和の日曜日に」なっている。どちらかというと、前者の方が素直な訳になっており、後者の方が超現代語訳になっている。ただ、後者は、検索機能が付いており、原文でも翻訳でも言葉からそれがどこに出てくるか検索できる。とても便利な機能だ。私が、大学時代にこんなのがあればとても楽だったろうにと思う。両方とも、現代語訳としては、私には少し不満がある。その分、私も何かできるかも知れない。参考までに、第八段の原文と訳文を掲載しておく。

第八段 世の人の心惑わす事

■原文(岩波文庫版より)
世 の人の心惑はす事、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。
匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。九米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

◆佐藤国春訳
人を惑わせるもの、それは色欲。人の心などは本当に未熟なのである。
香りは一時的なものでしかなく、それを承知で衣裳に香を焚く。が、そのようにやがて消え行くものであったとしても、なかなか得ることの出来ない香りを求めようとするのは、これまた当然のことといえよう。
久米の仙人が洗濯をしている女性の肌を見て神通力を失ったというのも、確かに納得の行く話である。手足といった肌が美しく、ふっくらと色づいているその姿は、香りのようなうわべだけの物ではない。となれば、なるほど仙人が力を失ったというのも納得できる話だろう。

◆吾妻利明訳
男 の子を狂わせる事といえば、なんと言っても性欲がいちばん激しい。男ごころは節操がなく身につまされる。
香りなどは、まやかしで、朝方に洗髪したシャンプーのにおいだとわかっていても、あのたまらなくいいにおいには、ドキドキしないではいられない。空飛ぶ術を身につけた仙人が、足で洗濯をしている女の子のふくらはぎを見て、仙人からただの嫌らしいおっさんになり空から降ってきた、とかいう話がある。二の腕やふくらはぎが、きめ細やかでぷるぷるしているのは、女の子の生のかわいさだから変に納得してしまう。


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「すや」の栗きんとん

2004-09-26 13:18:07 | 生活・文化
 googleに「きんとん」と入力してクリックすると、「栗きんとん本家すや」がトップに出てくる。今は、「栗きんとん」のシーズン、1年のうちで最も忙しい時だ。「栗きんとん」作りは、すべて手作業なので、大変だ。「すや」は「酢屋」から来ており、元禄の頃、赤井九蔵という人が「十八屋」という屋号で酢の店を開いたのが始まりだという。現当主は11代目赤井良一さんである。

 毎年、9月なると連休を利用し、中津川の実家に行っていた。その帰りに、中津川バイパス沿いにある「すや」の支店の「すや西木」に寄り、店の横にある甘味処「榧(かや)」で、「ぜんざい」か「しるこ」を食べてから、お土産に「栗きんとん」を買って帰ってる来る。今年は、子どもの運動会と私の仕事の都合で、中津川には行けなくなってしまった。だから、秋の「すや西木」へは行っていない。今年の5月に行ったときは、「栗きんとん」がないので、「栗きんつば」と「栗こごり」を買って来た。しかし、今では、インターネットで取り寄せができるので、便利である。

 今日、「すや」のHPを見ていて、お菓子紹介のところで、「栗きんとん」だけ「消費期限3日」となっており、外の商品はすべて「賞味期限」になっているのに気が付いた。「育モニ。」さんの記事を思い出し、面白かった。彼は、「今日の記事は『本日中』にお読みください!」で「消費期限」と「賞味期限」について次のように書いている。

◇消費期限とは・・・
「その日まで消費してください」という期限表示。
この日を過ぎると、食に適さなくなる(食中毒の恐れなどが発生する)という期限です。
だいたい5日間以内で急速に品質が悪くなり、衛生上の危害が発生するような商品に適用されます。
弁当、おにぎり、サンドイッチ、惣菜類、生菓子など。

◇賞味期限品(質保持期限とも言う)とは・・・
「その日までは、美味しく食べられます」という期限表示。
年月日表示と、年月表示の2種類があります。5日以上数年以内(数年が何年を指すのかも特定されていません)までおいしさを保てるものに摘用されます。
菓子類、缶詰、乳製品類、カップめん、酒類など。

 中津川市には、「栗きんとん」を作って売っている店がいくつかあるが、中津川バイパス沿いに支店を出している、「すや」「川上屋」「松月堂」が有名だ。そのうち、「川上屋」と「松月堂」は東京のデパートでも売っている。「すや」は、名古屋の「松屋」に直売場があるだけだ。最近でこそ、インターネットで購入できるが、それまでは遠くから買うのは、かなり面倒だった。それぞれの店の営業方針の違いもあり、いろいろな売り方をしているが、みな日本全国に知られているのは、中津川出身者としてうれしい。

 「カラフルな毎日」のりつさんが、「秋の木曽路セット」と言う記事を書き、私のことを紹介してくださった。中津川には、父がひとりで住んでいる。私の兄弟は、5人で、すぐ下の弟が、中津川の父の近くに住んでいて、一番父に親しい。私は、埼玉だが、残りの3人は名古屋周辺にすんでおり、中津川には近く、かなりの頻度で父のところへ行っているようだ。そういう意味では、私は、長男なのに一番親不孝者になってしまっている。

 岐阜県立中津高校を卒業して大学に入学してから、家を出た。以後、金沢、岐阜、東京、埼玉と移り住んできた。中津川で生活をしていたのは、だから、生まれてからの18年。東京時代が一番長く、20年以上になる。もうすっかり、関東人になってしまった。「中津川に帰る」という言葉を使わなくなってからどのくらいになるのだろうか。

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